445  稗田康夫さんのこと

2021年6月18日

2021年6月3日 稗田康夫さんが、肺がんのため、73歳でご逝去された。心よりご冥福をお祈り申し上げます。1970年東大電気電子工学科卒業の同級生だった、稗田さんを追悼する意味で、私の思い出をほんの少しだけ語る。

1995年から1996年にかけて、首都圏で東大入学を目指す受験生で稗田康夫さんの名前を知らない人はおそらく誰もいない。当時、東大の学生たちが組織していた東大学生文化指導会が主催する「東大学力コンクール」、いわゆる「東大学コン」は東大へ入学するための模擬テストとして最も権威があった。模擬試験会場は、理一を目指す私の場合だと東大本郷の法学部1号館、まさに本試験を受ける会場そのものだった。さらに、問題用紙や回答用紙も本物の受験時と全く同質のザラザラした紙で、印刷様式も全く同じだった。そのため、本試験の当日も全く違和感なく受験できるので、それだけでも「東大学コン」は大変人気があった。

その「東大学コン」にて、稗田康夫さんは、いつも二位に大きな差をつけて堂々の一位だった。稗田康夫さんが、私と同じ理科一類を目指しているのは知っていたので、ぜひ一度会ってみたいと思っていたが、残念ながら駒場の教養学部時代に身近で会うことはなかった。そして、遂に、本郷の専門学科(工学部電気電子工学科)へ進学し、憧れの稗田康夫さんに巡り会うことが出来た。しかし、実際に会った稗田さんは、外見上は、ごく普通の人だった。むしろ控えめで大人しそうな人柄だった。

しかし、私と同じ、ベビーブームの先頭にいた稗田さんをめぐる受験戦争における伝説は、凄いものがあった。中学・高校と名門私立武蔵で学んだ稗田さんは、中学受験の時に私立武蔵だけでなく慶応中等部も受けたらしい。ところが、稗田さんは慶應中等部を落ちたと言うのである。どうも、稗田さんが、普通はあり得ない高得点を取ったので、集計係が、これは何らかの間違いだとして、最上位の数字を書き換えてしまったと言う噂だった。もちろん、これは単なる噂にしか過ぎないのだが「東大学コン」で常時一位の席を渡さなかった稗田さんを知っている私としては「多分本当の話だろう」と思っている。そして、もし稗田さんが慶応中等部に合格していたら、八丁堀で歯科医院を営んでおられた、お父上の影響もあって、慶応の医学部に進学し、医者になっていたのかも知れなかった。

稗田さんや、私が、本郷に進学して、まもなく、東大紛争が始まった。7ヶ月間のロックアウトの間、私たちは、色々なことを議論した。その中で、いつもは控えめだった稗田さんは、元々純粋な気質だったこともあり、東大のあるべき姿を熱く語る論客として目立つ存在にもなった。同じ電気電子工学科には、稗田さんにも決して負けない論客として、確か、大阪天王寺高校出身だったと思うが川上富清さんがいた。私の記憶では、この川上さんの大阪の実家も、歯科関連の事業を営んでおられたと思う。この時の付き合いがあったからだろうか、この二人は、後に、同じ運命を歩むことになる。

1970年東大電気電子工学科を卒業した私は富士通へ、中西宏明さんは日立製作所へと企業へ就職する道を選んだのに対して、稗田さんは純粋な学問を志向し、東大大学院物理学科へ進学した。同大学院で修士号を取得して、博士過程は東大原子核研究所へ進学し、素粒子の研究に打ち込んだ。その後、八丁堀で長年歯科医院を営んでおられたお父上の跡を継ごうと思われたのだろうか。博士課程を中途退学し、東京医科歯科大学を受験し合格する。東大受験に合格してから8年経っても、稗田さんの受験能力は全く落ちていなかった。東京医科歯科大学といえば、東大の理一に合格するより遥かに難度が高い。私の末弟も東大の理一は合格したが東京医科歯科大学は落ちている。

稗田さんが、東京医科歯科大学へ入学して学んでいると言う話を聞いて、すぐに思い出したのが先ほどお話しした稗田さんの親友だった川上富清さんだ。川上さんは、東大電気電子工学科を卒業すると、直ぐに、大阪大学歯学部に入学し、大阪市阿倍野区で歯科医になられた。多分、この川上さんの生き様が、稗田さんに与えた影響は大きかったと思われる。その稗田さんも、昨年秋からステージ4の肺がんとの闘病生活を続けられていた。このコロナ禍の中で、さぞ不自由な入院生活だったことだろう。でも、自分の思う道を、ひたすら歩み続けてこられた稗田さんに、きっと悔いはない。あの7ヶ月間のロックダウン生活を共に過ごした仲間として、今一度、心からご冥福をお祈りしたい。

 

444 マスクと手洗いだけで大丈夫?

2021年5月3日

中国に進出している日系の百貨店で、コロナ禍で一番売れた商品はメガネだという。相手のマスクから漏れて出る飛沫は、自身のマスクによって口から侵入することはある程度防げるかも知れないが、目から侵入することには無防備である。そのため、コロナ患者に相対する医療関係者はマスクだけでなく、目からのウイルス侵入を防ぐために必ずフェイスガードを着けている。確かに、中国の武漢で、最初に新型コロナウイルスで亡くなった医師も眼科医だった。

よくマスクの代わりに透明なプラスチック製のフェースガードをつけている人を見かけるが、あれは大きな間違いである。フェースガードはマスクの代わりにはならない。フェースガードは、マスクでは覆うことが出来ない目から感染することを防止するためである。外出する時な終始マスクをしていて、外食もしていないのに、一体どこで感染したのだろうと不思議に思っている方こそ、目からウイルスが侵入した可能性が高い。

私は、当初、コロナウイルスが目から侵入するのを防ぐために、花粉防止用のゴーグルを購入して着けてみたが、何とも、ものものしくて不自然だった。今では、外出する時には、必ずメガネを着けている。若い時は、近眼と乱視だったのだが、歳をとって老眼と重なり、今では本を読む時以外は全くメガネが要らなくなった。それでも、眼科医からは白内障の症状があると言われているので、紫外線とブルーライトを遮断する透明のサングラスをかけている。なぜ、透明かと言えば、色の濃いメガネは瞳孔を大きく開き紫外線の遮断効果が減少すると言われているからだ。今回のコロナ禍で、この透明サングラスが外出時には離せないものとなった。

コンタクトレンズを常用している、多くの若い中国人が日系の百貨店でコロナ感染防止用に洒落た日本製のメガネを購入している。福井県鯖江市は高級メガネフレームの世界的大産地だ。これが、中国の日系百貨店に於いて、コロナ禍でのベストセラーだというのだから驚きだ。確かに、コンタクトレンズは、手で挿入するし、その手にウイルスが付着していたらと考えると本当は恐ろしい。こんなニュースを報じている、日本のメディアがあっただろうか? コンタクトレンズ業界は大スポンサーだから、ご機嫌を損ねるわけにはいかないのだろう。

実は、中国では未だ完全にコロナ禍が収束しているわけではない。上海や北京のような大都市で、時々、一定数の感染者が判明しているのだ。しかし、その度に、短期のロックダウンを行い、1,000万人規模の大規模なPCR検査(もちろんプール検査)を行い、無症状感染者を徹底的に炙り出している。彼らは、彼らなりに地道で継続的な努力を重ねている。「なにしろ、中国は、強権社会だからね」と言ってしまえば、それで終わってしまうが、本当に、それで良いのだろうか?

443   COVID-19対策は長期戦の覚悟

2021年4月6日

今年1月初旬に、東京都の感染者が2,500人、神奈川県でも1,000人近くになり、COVID-19の第三波のピークを迎えた時には、私も本当に怖かった。気のせいか、いつもより頻繁に救急車のサイレンが聞こえたような気がする。その後、緊急事態宣言が発令され感染拡大が鎮静化し、これは何とかなるかなと思ったが、既に、大阪府や宮城県で変異株による第四波の感染拡大が始まっている。

こうしたことは、既に昨年から、ある程度予測できたが、この第四波の拡大とワクチン接種が追いかけっことなって、少し時間はかかるが終息に向かっていくものと考えていた。しかし、ワクチンの供給量は信じられないほど少なく、73歳の私でも、今の横浜市の状況を見ていると、今年中に接種してもらえるかどうか全くわからない。さらに開催に踏切そうなオリンピックが、もっと致命的な第五波を起こすかも知れない。遅々として進まない、日本のワクチン接種にイライラしても不健康になるだけなので、もはや、居直って、長期的な籠城戦略に耐えるしかないと覚悟を決めた。

日本人のCOVID-19に対する感染防止の意識は世界でも高いものがあると言われており、実際に、感染者数は欧米に比べたら桁違いに少ない。TVで報道されるようにマスクも着けないで大騒ぎをしている欧米人の振る舞いを見ていると、さもありなんと思えるのだが、米国シリコンバレーで暮らしている友人たちの暮らし方を聞くと、日本人こそ、緩すぎるのではとも思えてしまう。彼らは、何ヶ月も続いたロックダウンにも耐えて、家から一歩も外へ出なかった。最近、二回目のワクチン接種を受けて、ようやく外出に踏み切ろうと思ったのだが、今度はアジア人に向けてのヘイト行動に怯えている。コロナは人々の心まで壊してしまったのだ。

日本人の感染者数が欧米に比べて少ないのは、決してファクターXなどというものではなく、単に、島国で、他国に比べて人々の往来が少なかっただけではないかと思えてくる。先月、山梨県の職員研修所からの依頼を受けて県の職員、約100名に対してオンラインの講演をさせて頂いた。研修所の方々はオンライン研修には、手慣れておられて大変スムーズに行われた。参加者は聴講中にチャットで逐次、質問をされ、講演終了後に主催者が代読する。このやり方だと質問も気兼ねなくできるので、大変活発な議論ができた。聴講者も地元の山梨県在住者だけでなく、多くの優秀な職員が勤務している東京事務所からも参加を頂いた。

山梨県は、クルーズ船ダイアモンド・プリンセスの重症者を受け入れた山梨医大の指導の下、長崎知事主導で独自の感染防止対策をとっているため、感染者数は日本の中でも極めて少ない。私は、県の職員の方に「山梨は首都圏にも距離的には近いのに、どうして、これほど感染者が少ないのですか?」と聞いてみた。その答えは、少し躊躇されながらも「県境封鎖ですかね」だった。その「県境封鎖」の詳しい意味については教えて頂けなかったが、従来から言われている通り、パンデミックの主要な要因が「移動」であることを改めて認識した。

その山梨県では、最近、首都圏からの流入が増えているという。山梨は、風光明媚でコロナ禍でも安全。週1−2回なら東京への通勤も苦ではない距離だ。移り住みたくなるのも当然だと言えるだろう。多分、移住者たちは長期戦略を立てている。リモートワークが当たり前になったシリコンバレーでも、テキサス州オースティンに移り住む人が増えている。オースティンはアメリカではシリコンバレーに次いで半導体企業が多い街である。しかし、不動産価格や家賃もシリコンバレーに比べたら比べ物にならないほど安い。もちろん、米中半導体戦争の勃発で、これからオースティンが、さらに発展するだろうというエンジニア達の長期的戦略も透けて見える。

富士通は昨年3月より研究職やシステムエンジニアを含む多くの従業員の出社を原則禁止するとともに、社内の会議室を全面使用禁止とした。職場感染のクラスターは会議室から発生すると言われているので、極めて賢明な施策と言えるだろう。さらに、昨年12月には在宅勤務の社員に対して会社にある私物を全て自宅に持ち帰るよう指示し、年明けから感染対策を考慮したオフィスの全面的なリノベーションを開始した。コロナ禍、及びコロナ後の働き方改革をコンサルテーションする立場として自ら実践しようという心意気を感じる。

もう1年以上も、一度も出社しないで在宅勤務を続ける社員に向けても、将来の「働く環境のあり方」を提示する必要があったかも知れない。いずれにしても、このコロナ禍は、もはや中途半端な施策で短期的に凌げば済むという状況ではない。経営者としても、コロナ禍が、今後、2−3年に及ぶことを覚悟した体制へと準備をすることが必要である。Googleは、コロナ禍が終息した後は、従来通りの勤務体制に戻すつもりのようだが、それにしても従来とは違う感染対策を考慮したオフィス環境にすべきだとして新しいビルを建設中だ。

今回、人類はmRNAワクチンという前代未聞のテクノロジーでCOVID-19を終息させようとしている。このことは、賞賛すべき科学の貢献と言えるが、何億年も生き続けてきたウイルスが、これで簡単に降参するとはとても思えない。既に、世界で1億人以上に感染を広げたCOVID-19ウイルスが、さらに強力な変異株を創出する可能性は極めて高い。それなのに、この日本では、これまで、地震・津波・洪水を意識した国土強靭化計画には多くの議員たちが活発に活動してきたが、感染症によるパンデミック対策を唱えた議員の姿は殆ど記憶にない。

IMFが発表した2021年度の経済予測も、殆どの先進国がコロナ禍を乗り越えて2020年度の落ちおみをカバーする5%以上という大幅な成長が期待されているのに、日本だけは2020年度の5%の落ち込みを補いきれない3.5%の成長に留められている。有事というのは、戦争や自然災害だけではない。今後の有事は、パンデミックだけではなく、エネルギーや食料も想定される。これだけグローバリズムが進展する中でも、有事の際には国境が意識され、お金では買えないものが出てくるのだということを、今回のCOVID-19禍で思い知らされた。