160  武藤真祐先生の挑戦

一昨日、武藤先生が院長を務められている石巻の在宅医療拠点「祐ホーム クリニック」にて武藤先生とお会いすることができた。私は、どうしても 、この石巻の地で武藤先生とお会いしたかった。武藤先生には、東京と 石巻の在宅医療拠点を掛け持ちで経営者として医師としてお勤めをなさ れながら、各地での多数の講演をこなされ、また政府の各種諮問員会での 重職をも果たされているという多忙なスケジュールの中で、私の勝手な 願いを聞き届けて頂いたことに心からお礼を申し上げたい。

さて、5年ほど前にもなるだろうか。シリコンバレーのベンチャーキャピ タルを幾つか訪問して、環境やエネルギー、医療に関するスタートアップ の動向について調べたことがある。この時に驚いたのが、環境やエネルギ ー問題については、多くのスタートアップが血道を上げて、新たなイノベ ーションに取り組んでいるが、医療関係に関しては殆ど聞いたことがない というのである。

その理由は、アメリカの医療業界が、他の産業に比べて、極めて保守的で、 かつ、多くの規制で縛られていることが、イノベーションを起こすことの 妨げになっているからだという。シリコンバレーで起業する人達は、多額 の資金を持っているわけではないので、早く成果が出ないテーマには取り 組めない。医療分野は、イノベーションを見つけたところで、実用化まで には多くの障壁があり、それを乗り越えるまでに長い時間がかかってしま うからだという。

それでも、私から見れば、アメリカの医療業界は、制度や考え方を含めて 日本に比べたら遥かに先進的であり、合理的だと思っている。だから、 国民すべてが守られている皆保険制度の日本は世界で一番医療が進んでい るなどという話は全く信用していない。同じような宣伝をしている英国の NHSのもとでは、今や、優秀な医師がどんどん英国から脱出していると いう話もあるくらいだ。

私が米国駐在中だった、今から10年以上も前、私たちはキーボードが ないスレートPCを販売していた。そう、丁度、今でいうiPadそのもの である。このPCは、もっぱらオフィスの外で使用するもので、損害保険 会社における車の事故査定とか、生命保険会社の契約端末としてだとか、 あの有名なサウスウエスト航空ではパイロットが操縦席で使ってもいた。 宇宙船にも持って行かれたし、湾岸戦争にも持参されていった。

こうして、スレートPCは、いろいろな分野で販売しており、アメリカ では年間10万台ほど販売していた。しかし日本で、このスレートPCは 、たったの1台も売れなかった。当時の日本では、オフィスの外でPCを 使うほどITのアプリケーションが進化していなかったからだ。というよ りも、日本の社会の仕組みや仕事のやり方がアメリカより大幅に遅れていたと言 う方が正しいかも知れない。そして、それは今でも全く同じ状況にある。

そして、大変重要なお客様として、全米各地の看護師組合があった。 中でも、一番大きい商談としては、NYの看護師組合で、一度に9,00 0台も、ご購入頂いた。つまり、NYの看護師組合は9,000人もの 看護師を抱えていたということになる。私は、大変興味が沸いたので、 一体どういう使い方をしているのか、お客様に詳しく聞きに行った。

どうも、この看護師組合というのは、独立事業組織で病院勤務の看護師 とは全く違う、在宅医療向けの訪問看護師を束ねた組織らしいということが理解できた。 この看護師さんたちは、大病院や個人医院から、訪問医療をアウトソーシ ングされているのである。そして患者さんを訪問する際に、持参するのが 無線ネットワークに接続されたスレートPCである。このPCを使って 担当医に患者さんの状態を報告して、治療や投薬の指示を受けるのである。 アメリカは、どうも日本よりも看護師さんが出来る医事行為の範囲が広い ということもあって、この在宅医療システムが広範囲に使われている。

こうした在宅医療システムが完備しているから、アメリカの病院の入院 期間は日本に比べて圧倒的に短い。心臓のバイパス手術ですら、一泊あ るいは軽度の場合は日帰りということもあるらしい。それで問題が起き ないのは在宅医療システムがしっかりしているからである。だから、ア メリカの病院ではベッドの回転率が日本より5倍から10倍大きいので、 ベッド数200床の病院と言っても、日本では1,000床から2,0 00床の病院規模に匹敵すると言われている。

武藤先生が目指しておられるのは、こうした院内治療と在宅治療を連携 させた医療システムなのだろうと想像する。しかし、アメリカ以上に保 守的で規制が多い日本の医療システムの中で、武藤先生は、これまで大 変なご苦労をされて来たに違いない。そういう意味で、石巻は新たな医 療イノベーションを起こす場としては最適である。海岸近くの石巻市立 病院は、宮城県第二の規模を誇る石巻市が十分に誇れる立派な威容をも った大病院だった。それが津波で全て壊滅してしまったのだから。

現在、武藤先生は石巻には日曜、月曜、火曜日の3日間来られて実際に ご自身で在宅治療に当たられている。天皇陛下の侍医であった武藤先生 に直接診て頂くと言う意味でも、石巻市民は本当に幸せである。その、 武藤先生と直接、お話できる私も本当に幸せであった。

武藤先生は、今度新たに出来る石巻市民病院と、現在進めている在宅医 療システムとを密接に連携させた、新たな医療システムを究極の目標と されている。そのシステムの中では、医師や看護師、薬剤師が従来の 仕事のやり方とは別な形で連携していかなければならないと言う。現在 のように、全てが医師の責任で、全ての医事行為を医師だけが行うとい うのは、効率が悪いだけでなく、体力的にも無理な仕事を医師に押し付 けていると言う。

そして、ITについても、武藤先生は大変先進的なお考えをお持ちであ る。ITは現在のように患者の検査データや診断結果を整理するだけに 留まらないだろうと仰るのだ。つまり、医師に必要とされている医学知 識ベースをもっとコンピューターに頼っても良いのではないかと言われ ている。最新の医学知識をコンピューターに頼ったところで、そんなこ とで医師の権威が損なわれるわけではない。医師にとって、もっと重要 なことは患者との人間的なコミュニケーションだという。患者の病気は 薬だけで治癒するものではない。患者の生き方、考え方が、病気の治癒 に密接に関わってくると仰るのである。

何だか、話をさせて頂いているだけで、私も心がわくわくしてくる。 日本中の多くの若い人たちが、これまでの立派な職場を捨てて、この石 巻の祐ホームクリニックに集まってきている。生き甲斐とは、働き甲斐 とは何か?と、改めて考えさせられる場所である。まさに明治維新を起 こした、かつての日本の若者たちの姿が想像できる。そう、ここ石巻で、 日本の新たな「医療維新」が起きるのではないかと期待させる。

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