122 地域コミュニティによる3.11追悼式

昨日、横浜市青葉区たまプラーザの美しが丘公園で行われた、 3.11東日本大震災黙祷セレモニーに参加した。私にとって、 たまプラーザは、1977年から12年間住んだ町であり、二人の 息子にとっては、東洋英和女学院付属かえで幼稚園から横浜 市立美しが丘小学校と人生で一番楽しい時期を過ごした懐か しい故郷でもある。昔、この美しが丘公園にはロケットの形 をしたすべり台があったので、子供たちは「ロケット公園」 と呼んでいた。

2時46分からの黙祷セレモニーが始まる1時間半前に現地に車 で着いたのだが、公園付近の有料駐車場は全て満車である。 しかも公園には、既にかなりの人数が集まっており、おまけ に警備のためか駐車違反取締りのためか、パトカーも来てい るので、何としても駐車場を探さないといけない。しかし、 そこは12年間も住んで得た土地勘を活かして、少し離れた 場所に漸く有料駐車場を見つけることができた。

公園には臨時の簡易トイレが設置されており、黙祷セレモニ ーを行うための舞台や、キャンドルライトの設定が既に済ん でいた。この催しの主催は青葉区商店街連合会で、青葉区役 所と三陸河北新報社が後援をしている。昨年9月、私は石巻 の三陸河北新報社の本社事務所を訪問、西川社長から震災時 の状況を伺っている。この青葉区商店連合会と三陸河北新報 社と、どういう関係で繋がっているのかわからないが、縁と いうのは本当に不思議なものである。

そういえば、私の母方の祖母だって石巻出身だから、石巻出 身の方も沢山横浜に出てこられているだろうし、また今回の 震災で一時的に横浜に避難しておられる方々も数多く居られ るに違いない。会場でマグカップを利用した寄付金付きキャ ンドルライトを購入しようとしたら、もう完売で売り切れだと言う。 この美しが丘公園に設置されているキャンドルライトの数は どうみても数百個だから、随分と過少に見積もったものだと 思っていたら、それは大きな誤解だった。

この半透明のプラスティック製マグカップの表面には、購入 した人の震災への想いがカラフルな色のペンで書かれている。 そして、このカップは昨日までに5,500個も売れたのだそうだ。 そのうち約半数の3,000個は、既に石巻の北上川の畔に据えら れて昨晩、この美しが丘公園と同じように灯されるのだという。 横浜と石巻、数百キロ離れた場所で、同じキャンドルライトが 灯るわけである。そして、この美しが丘公園と全く同じように青葉区内9か所の公園でも同様なキャンドルセレモニーが行われるのだという。だから5,500個も製作したのに全く足りないわけだ。

さて、この会場では、福島出身のお笑い芸人である「なすび」 が来ており、福島県伊達市の物産直販活動にも参加していた。 さて、この伊達市には、富士通のサーバー・パソコンの量産 工場があり、私も震災後に3度ほど訪問している。昨日は、本 当に何とも不思議な縁である。聞けば、もともと、このたびの 催しは、この青葉区商店街連合会が毎月第三週の日曜日に この美しが丘公園で、3.11大震災被災地の物産直販活動を行っ ているなかから企画されたものだという。

つまり、この横浜市青葉区に住む人たちは、大震災直後から 、継続的に、福島や三陸沿岸の被災地のコミュニティーと連携 を持っていた。私の家の隣の娘さんは近くの桐蔭学園に通って いるのだが、桐蔭学園では学校こぞって、住居面積に余裕の あるご家庭で、多数の福島県の子弟を預かっているのだという。 桐蔭学園は、この青葉区に幼稚園から高校まで大規模なキャン パスを擁しているので、住居さえ確保できれば、福島から移住 してきた生徒の通う学校のキャパシティは全く心配がない。全 く素晴らしい支援である。

毎日、会社と自宅を往復しているだけだと、こうした地域コミ ュニティー活動とは、つい疎遠になる。このたび、横浜北部の 小さなコミュニティが主宰した追悼集会に参加して、地域の 人たちが自分達が出来る範囲で地道な支援活動をされている ことを知ることができ本当に良かった。こうした情報は、東京 や仙台で開催された大規模な追悼式に参加することでは絶対に 得られない。マスコミも、政府主催の追悼式は朝から晩まで、 大々的に報じても、こんな小さなコミュニティーの活動を丁寧 に報じることは絶対にない。

今回の大震災でも、「いざという時には公助は役に立たない」 ということが、またしても証明された。災害で大事なことは、 やはりコミュニティーの結束力、つまり共助である。そして、 このコミュニティーの結束力が、他のコミュニティーとの 連携を図ることにより、より大きな力となっていく。もはや、 日本の政治には何も期待できないことがよくわかった。私達 自身が、皆で、コミュニティーの力を強めていくしか、こう した大災害の後で生き残る道は残されていない。

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