55 Neusoft 創立20周年式典

昨日、大連で行われたNeusoft 社の創立20周年式典に参加した。中国最大のITソリューションベンダーであるNeusoft社は、創業の地である瀋陽で、第一回目の20周年式典を行っており、第二の創業の地である大連の開催は二回目である。この後、来月8日、首都北京で第三回目の開催を予定している。Neusoft社は、中国では辺境に位置する中国東北大学が生んだITソフトウェアのベンチャー企業である。その会社名にあるNEUは東北大学の英語の頭文字をとっている。さて、なぜ、中国最大のITソリューションベンダーを生んだ母体が、中国でTier1クラスの北京大学、清華大学、上海交通大学や復旦大学でなくて東北大学だったのか、そここそが大変興味のあるところである。

もちろん、その最大の功績者は、創業者で、現在もNeusoft社の会長兼CEOである劉先生である。劉氏を先生と呼ぶ理由は、劉先生は、今でも東北大学の教授である他、瀋陽、大連、成都、仏山(南海)にてNeusoftが経営するIT技術専門大学の理事長でもあるからだ。そして、劉先生が生きてこられた、この四半世紀の歴史は、この度、大震災に遭った日本の東北地方が、これから、どう生きて行くか、もっと言うなら、日本全体が、これから、どう生きて行くべきかを示唆しているようにも見える。

もともと、東北大学がある瀋陽は、大連と並んで、戦前、旧満州の重工業地帯だった、しかし、日本が引き上げた後は、新たな設備更新もなく、老朽化した設備を抱える衰退するばかりの寂れた街となった。東北大学の学生だった劉先生は、そうした瀋陽の街は、このままでは将来がないと思い、単身、アメリカに留学したのである。時は、1986年、あの天安門事件の三年前である。アメリカで中国人として最初のコンピュータサイエンスの博士号を取った劉先生は、東北大学に戻り、33歳で、当時中国最年少の大学教授となる。そして、大学でコンピュータサイエンスの教鞭をとっているだけでは満足出来なくなった劉先生は、1991年、未だ天安門事件後の混乱が冷めやらぬ中で、数人の教え子達と共に、今のNeusoft社の前身を東北大学の一角で起業した。

たった三台の中古パソコン(286ベース)でスタートした、Neusoft社の創業は、まさに苦難の歴史で、創業から三年ほどは、殆ど売り上げはゼロであった。当時の北京大学や清華大学では紅旗Linuxなど、高度ではあるが、ビジネスモデルが見えない研究に没頭していたころである。Neusoft社も、そろそろ一世を風靡するようになったWindows上でのソフトウェアの開発に注力しはじめたが、何ヶ月も徹夜をして開発をし、良い評判が出来てくると海賊版が蔓延して売上は消滅した。そうした繰り返しが何度も続き、Neusoftの前途に暗雲が立ち込めた時の救世主が、日本のアルプス電気の子会社でオーディオビジュアル製品を製造販売しているアルパインだった。アルパインの沓沢社長は、アルパインの製品に内蔵する組込みソフトの開発を全てNeusoft社に委ねるのである。

このアルパインとの協業の中で、アメリカで教育を受けた劉先生は顧客のIPを徹底的に守るという方針を貫かれた。そして、アルパインの成功と共に、こうしたNeusoft社の経営方針が、欧米顧客の評判を呼ぶ。アメリカでは、Microsoft, Intel, HP, IBM, Oracle, Sunmicrosystem, Cisco, EMC, さらに欧州では、Siemens, Philips, SAP, NOKIA,と言った、世界で一流の企業を顧客リストに連ねることを可能ならしめた。そして、Neusoft社を従業員18,000人の大企業に成長させた、最大のキッカケは、1996年の大連への進出であった。大連市長として、大連を古ぼけた老朽設備で衰退しつつあった重工業都市から中国一のITソフトウェア開発都市へと変貌させていった薄熙来との連携である。一方、薄熙来は、大連の改革にNeusoftの力を最大限利用したし、Neusoftも太子党出身で中央政府と太いパイプを持ち巨額の開発投資を中央から引き出すことが出来る薄熙来の力を利用した。つまり、薄熙来と劉先生は一体となって大連を、中国一のITソフトウェア開発拠点を有する、東北の真珠と呼ばれるほどの美しい街に仕上げたのである。

Neusoft は、この大連にソフトウェア開発拠点を有するだけでなく、学生総数二万人規模のIT技術専門大学を経営している。ソフトウェア開発は、人材こそが最大の資産であり、製造設備でもある。Neusoftは、この人材を自ら育てている。それも、今では、大連だけではない。成都、仏山市(南海区)と次々と大学を設立している。だから、Neusoftを従業員18,000人だけの企業と考えたら、それは誤りだ。その背後に、数万人規模の予備軍が居ると思った方が良い。だから強い。欧米の一流企業から、品質とコストで圧倒的な強さがあると評価されている。

そして、劉先生の魅力は、一流のグローバル企業のTOPによく見られる、あのギラギラした感じが全くないことだ。とにかく、優しい。あの四川省大地震の時に、大きな被災をした成都のキャンパスに自ら行き、陣頭指揮をとって4600人の学生を160台の軍用トラックと260台のバスを使って一気に大連と南海区のキャンパスに避難させた。今回も、大連工業大学の巨大な体育館で行われた式典は、顧客と共に大連地区の従業員全員が参加。踊りや歌の催し物も半分は、従業員のボランティアである。全社カラオケ大会の歴代の優勝者が演ずる歌と踊りは、まさに玄人はだしであった。とにかく、楽しい催しだった。そして、圧巻は、劉先生の講話である。さすが大学の先生、そして創業者としての迫力。原稿もなく、滔々と語られる、この20周年年の劉先生の講話は、10周年の時のように感激で泣き崩れることはなく、無事終了した。

大きな志を持つベンチャー経営者が、地域の人々や地方政府と一緒になって全く新しい街を築き上げた良き見本がここにある。中国の東北地方で起きた奇跡は、日本の東北地方でもきっと起こせるに違いない。韓国では済州島に対して、中国と香港の関係を模した、一国ニ制度を導入しようとしている。あらゆる国の規制を撤廃して、済州島に、新たに国を作れと言う訳だ。閉塞感で満ちた日本を変えるには、こうした思い切った制度の導入が必要である。大震災に遭った東北地区を蘇らせるには、そうした大きな決断が要る。

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