440    今年の年賀状について

8年前にリタイアした直後の年賀状は500枚ほど出していたが、今年は200枚までに減った。私は、もともと年賀状は「生存確認」のつもりで、「私は、まだ生きていますよ」という意思表示として出していて、私の方が賀状を頂くと「元気に生きておられるのだ」と安心する。賀状の枚数は大幅に減ったが、その中身とバラエティはむしろ増している。特にリタイアした後に知り合った友人の中で賀状を交換させて頂いている方々は、高校・大学以来の長年の友人や40年勤めた会社仲間に匹敵するほど濃い関係にある。

それでも、最近は、「賀状を出すのは今年限りとさせて頂きます」というメッセージが書かれている賀状を頂くケースも少なくない。特に、ご自身の健康を損なっておられるなど、それぞれの事情があれば致し方ない。現実に、毎年賀状をくれていた大学時代の友人で一昨年手術した咽頭がんが、昨年再発された方からは、今年の賀状は来なかった。昨秋は、手術前に録音したご自身の声で音声合成されたメッセージを卒業50周年文集に登録されていたほど元気だったのだが、今、どんな状況にあるのか少し心配である。

また元の会社で一緒だった女性の同僚も、毎年賀状を下さっていたのに、今年の賀状は来なかった。昨年12月中旬、誕生日のお祝いメッセージを出したら、お姑さんが末期の膵臓がんで、このコロナ禍の中で入院も出来ず、テレワークの傍ら自宅で介護されていて、このまま自宅で看取りをしたいとの返事を頂いた。年末までに、いつ召されるかわからない中で、毎日介護に追われている中では、年賀状を書くに気にもならないだろう。

一方で、昨年リンパ腫を再発し、治療を続けながら経団連会長という重職を担っておられる中西宏明さんからは、今年も手書きのコメントを付した丁寧な年賀状を頂いた。大変な状況でありながら、「そんなに頑張らなくていいよ」と言ってあげたいくらいだ。中西さんは日本の経済界でデジタル時代をリードする立場にありながら、アナログの重要性をしっかりと認識されている。今、アメリカではデジタルCDが全く売れなくなった代わりに、針で再生するアナログの円盤レコードが売れまくっている。年賀状は、まさに古き良きアナログ時代の郷愁になっている。

私の妻は、今年ほど毎日年賀状が配達されるのを待っている時はなかった。どの賀状にも、何がしかコロナに関わることが書かれていて、それを読むと、こちらも身につまされる気持ちになる。「コロナ禍が終息したら、またお会いしたいですね」という文章を読んで単なる儀礼的な言葉には受け取れないからだ。本当に会いたい。ヒトは、会えない時ほど一層会いたいものだ。珍しく、妻は、私に来た年賀状も含めて、今年は何度も何度も読み返していた。

これまでは賀状に家族全員の写真など入っていると、少し鬱陶しいところもあったが、今年は全く違う。思わず、写真に写っている一人一人に見入ってしまう。滅多に人に会えない暮らしをしているからだろうか。何とも懐かしい気持ちになってくる。そして、皆、無事に過ごしている様に「良かったね」と安心する。本当は、今年こそ、全ての年賀状に家族写真を掲載して欲しいくらいだ。人に会えないからこそ、人恋しくなるものだ。

海外に住んでいる友人からは、二人の娘さんと、そのお相手とお孫さんも含めた一族全員が写っている年賀状をメールで頂いた。これも本当に頂いて嬉しかった。二人の娘さんは、アメリカ人と結婚。「大体、結婚相手を見つけることだけでも大変なのにアメリカで日本人の結婚相手を見つけるなんて至難のこと」と友人も言っていたが、まさに、その通りだと思う。ニューヨ-クに住んでいた建築家の長女は昨年出産をされたが、ニューヨ-クの感染爆発に嫌気がさして、一家で両親が住むシリコンバレーに引っ越してきたらしい。

そのカルフォルニアで、今や全米で最も激しい感染爆発が起きている。CNNでも報じていたが、カルフォルニアには既に、昨年の9月に英国由来の変異ウイルスが入ってきていたらしい。何しろ、これまで全米で流行していたCOVID-19とは比較にならない程の感染力とのこと。それでも、家族全員が笑顔なのは何とも嬉しい。きっと、一族で近くに住んでいるという安心感なのだろう。さて、今の日本で起きている感染爆発は、どうもこれまでと勢いが全然違う。日本国民の皆が、突然、気が緩んだとは思えない。ひょっとして、日本でも英国由来の変異ウイルスが流行しているのではないかと思ってしまう。

そして、今年の年賀状の、もう一つの特徴は、都会から田舎への転居である。私が住んでいる横浜市青葉区あざみ野の近所に住んでいた元の会社の同僚が、リタイアを契機に、故郷である長野県に居を写したという年賀状だった。若干年の差はあるが、若い時に会社の終業後の英語教室に一緒に通い、アメリカ勤務の時は、私がシリコンバレーで販売業務、彼はオレゴンで工場勤務だった。このコロナ禍では都会で窮屈な生活を送るより田舎でのんびりと本当の意味での豊かな生活を送るべきだと考えたのだろう。それも、オレゴンで暮らした経験から得た生活の知恵かもしれない。

昨年は、殆どコロナ禍で過ごした1年だった。それぞれの年賀状は、その1年を見事に転写している。それぞれの人生、皆が懸命に生きている。そして、それは、今年も、まだ続いている。来年の年賀状で、「大変だったね。でも、終わって良かったね」と書けるように、注意深く、丁寧に毎日を暮らそうと思う。

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