米中関係の悪化はCOVID-19禍が始まる前から、既に深刻化しつつあった。これはトランプ大統領が得意とする交渉術の一部であり、いずれどこかで手打ちがあるのではないかという憶測もあった。しかし、中国武漢発のCOVID-19禍で、アメリカが世界最大の感染者数、死者数を出す未曾有の悲劇に見舞われてから、アメリカ市民の中国に対する姿勢は大きく変化することになる。今や、トランプ大統領が属する共和党だけでなく民主党までもが中国に対して強硬な姿勢を示している。もはや、米中対立問題は今回の大統領選挙では全く争点にはならないはずだ。
今回のCOVID-19禍で、ニューヨークで最も多く解雇された人種は東アジア人(中国人、日本人、韓国人)であるという。我々、日本人からしたら理不尽だと思うかも知れないが、アメリカ人にとっては、日本人も韓国人も中国人も外観からみれば大して違いも無く、全く区別がつかない。それほどまでに、今や中国はアメリカ人の敵意の的になっている。一方で、習近平政権は南シナ海や香港問題など、アメリカを一層刺激する対決姿勢を次々と打ち出してくる。これは、もはや今後、両国が妥協できる範囲を大幅に逸脱していると言わざるを得ない。
さらに、世界は中国がCOVID-19禍に必要な医療用防護具(PPE)や人工呼吸器で圧倒的なシェアを持っていることに気がついた。パンデミックという安全保障上の問題に的確に対処するには、中国への依存度を高めることは大きなリスクであると、世界は、ようやく認識したのである。今後、世界の交易は、中国を中心とするグループとアメリカを中心とするグループに大別されていくものと思われる。さて、こうした中で、日本はどちらのグループに属するかは大変深刻な問題である。日米関係は今後とも重要な関係であると同時に、日本にとっての中国は未来永劫にわたって切っても切れない至近距離の隣国であり続けるからだ。
このような状況の中で、ドイツの立ち居振る舞いに注目してみたい。ドイツは、こうした米中対決を見越していたかのように、COVID-19禍が起きる前から、そのどちらにも隷属しない独自の戦略を編みだしていた。それがドイツ製造業の国家戦略、Industrie 4.0である。このIndustrieはドイツ語であり、英語のIndustryではない。つまり、ドイツは別に新たな製造業システムの世界標準を目指していたわけではなく、Industrie 4.0は、ドイツが中国、アメリカと並んで世界3大製造業大国となることを目指した国家戦略なのだ。
こういう話をすると、多くの方は、「えー。アメリカが製造業大国なの?日本こそ、製造業大国ではないのか?」と思われるかも知れない。確かに中国は世界一の製造業大国である。しかし、それは単純生産高ベースの話で、付加価値生産高ベースでは、未だにアメリカが世界一の製造業大国となる。そして、少し前の2016年のデータになるが、世界の財輸出シェアランキングでは、中国が1位で13.8%、アメリカが第二位で9.4%、そしてドイツが第三位で8.7%と二位のアメリカを猛追している。一方、第四位の日本はドイツの半分の4.2%しかない。従って、ドイツが本気で製造業を強化したら、アメリカを抜いて中国に肉薄するというのは決して夢物語ではない。
しかし、ドイツも日本と同じく少子高齢化の波を避けることは難しく、これまでトルコや東欧からの移民の力を借りて製造業の強化を行ってきた。しかし、昨今、移民に対する反発はドイツでも例外ではなく、さらなる移民の受け入れが難しくなっている。そこで、ドイツの製造業は東欧に活路を見いだそうとしている。つまり、Industorie 4.0のIoT技術を用いて、東欧に進出したドイツ企業の工場がドイツ国内にある工場と自律的に連動し、あたかも一つの工場であるかのように製造する仕組みの構築である。
多くの先進国が、国の基幹事業を製造業からサービス業へ舵を切る中で、ドイツはこれまでにも増して製造業に拘っている。その証拠に、ドイツの財輸出はGDPの40%にも達している。日本の財輸出はGDPの、たかだか10%にしか過ぎない。さらに、ドイツの輸出高の70%は中小企業の貢献である。つまり、ドイツの国富は中小企業が支えていると言って決して過言ではない。ドイツの多くの中小企業が「隠れたチャンピオン企業」と称されるように、ニッチな分野で圧倒的な競争力を持つ。中国の工場を訪問すると、そこで目にする製造機器は殆ど私たちが名前を知らないドイツ企業の製品である。ニッチ分野とは言えグローバルにおいて大きなシェアを持てば立派な大事業となる。
そして、ドイツの製造業における国策であるIndustrie 4.0は、ドイツ国内にある工場と東欧に存在する工場を、あたかも一つの工場であるかのように自律的に連動させる仕組みを持っているわけだが、この機能は異なる中小企業を一つの企業であるかのごとく自律的に、かつ有機的に連動させることも出来る。そして、このIndustrie 4.0を企画したドイツ製造業連合の幹事がSAP, Siemens , VW , Boschの4社である。ご存じのようにSAPはERPで世界一のシェアを持つソフトウエア企業であり、Siemensは世界有数の製造設備メーカーで、VWは世界最大の自動車企業である。そして、BoschはVWだけでなく、BMWやメルセデスにまで幅広く世界中の自動車メーカーに対して横断的に部品を供給している世界最大の自動車部品メーカーである。
つまり、industrie 4.0はBoschに代表されるように横断的な産業連携に極めて有効である。異なる企業の製造工場を有機的に連携させる仕組みを構築することに意義がある。さて、振り返って日本の自動車製造業を見てみるとトヨタを代表例として、最終組立を担う自動車メーカーの傘下に、一次下請、二次下請けと階層的な下請け構造を構成している縦型のピラミッドを構成している。こうした産業構造は、自動車業界だけでなく日本の製造業の典型例となっている。下請けを担う中小企業は、発注企業からの注文をキチンとこなしていれば大きく儲かることも無いかわりに潰れることもなかった。しかし、今回のCOVID-19禍のように、突然、世界の需要が大きく激減したときにはひとたまりもない。もちろん、こうした縦型の産業構造には、Industrie 4.0が狙いを定めている自律的な工場運営という次世代製造システムは全く無力である。
ところが、COVID-19禍による急激な発注停止の嵐に襲われた中小企業は、生き残るために縦型社会の枠を超えて新たな挑戦を始めている。それが「製造シェアリング」である。自動車部品製造業界が、これまで全く縁のなかった医療器具業界に対して一時的な製造受託を始めたのだ。医療防護具(PPE)の製造や人工呼吸器の製造など、必要な部品や製造治具、あるいは最終組み立てまで含めて受託し始めている。これは単に工場の稼働率を上げるという目的だけでなく。従業員の士気向上にもおおいに貢献しているはずだ。こうした動きを経て、日本の製造業もドイツのように業種を超えた横断的な水平連携が出来るようになるとIndustrie 4.0のような次世代製造システムの導入も可能となってくるだろう。
今回のCOVID-19禍による経済の落ち込みはリーマンショック時の下落率を大きく超えた。さらに、リーマンショックの時の落ち込みは殆どが製造業であり、サービス業は無傷だった。それゆえ、復活も早かったのかも知れない。しかし、今回のCOVID-19禍では製造業の下落は、それほど大きくはない。つまり、下落の大半は、移動や娯楽、飲食や買い物といった、いわゆるサービス業が占めている。日本社会は、近年、農林水産業を含む第一次産業から製造業を中心とした第二次産業へ移行し、さらに多くの労働者が製造業から第三次産業であるサービス業へと転職した。
今や、この日本の国を支えているのはサービス産業である。COVID-19禍は、このサービス産業に決定的なダメージを与えている。この21世紀の人工知能が幅をきかすといわれている時代に、ドイツはIndustrie 4.0で、再び製造業の復活を真剣に考えており、こうした動きを、そのまま中国は「中国製造2025」として「Industrie 4.0」の中国版を国家戦略に据えた。トランプ政権が対中貿易バッシングを始めたきっかけが、この「中国製造2025」だとも言われている。日本もCOVID-19禍が作り出す、新たな分断された世界の中で生き残るには、食を支える第一次産業、もの作りで国富を生みだす第二次産業を、もっと大事にしていかないとダメだとCOVID-19禍を契機に見直すべきだろう。