PCR検査のための検体採取は鼻腔の方が上咽喉より20倍のウイルス量なので、敢えてクシャミによる感染の危険を犯しても鼻腔から採取するのだと聞いていたが、唾液の方が鼻腔より5倍近くもウイルス量があると聞いて唖然とした。もっと早く、それが分かっていればPCR検査もスムーズに行われて、命が助かった方も少なからずおられたのではないかと大変残念に思う。
今回のCOVID-19は、まず口の中の受容体に住み着いて、繁殖をしてから鼻腔や上咽喉へ移動するので、味覚障害・嗅覚障害が感染の初期段階に起こるというのは素人でも納得できる。また、初期の不顕生感染者の感染力が高いというのも、元気な人が大声で話して口から唾が飛沫として多量に飛び散るからだ。ダイヤモンド・プリンセス号で多くの感染者をだしたのも船の手すりや、ブッフェでのトグル共有で手に感染したウイルスがパンを食べることで口まで運ばれたとの説が有力だが、これも説得力がある。
従って感染症専門学会が指摘する「3密を防げ」というのは極めて正しい。近い距離で大声を出して騒げば、感染の確率は飛躍的に高まるからだ。この「近い距離で大声を出して騒ぐ」という行為が、いわゆる「祭り」と呼ばれる行事だ。「祭り」は、大規模な会場でのスポーツ観戦や音楽ライブとして、COVID-19の危険なクラスターとなる。多くの人々が、心の拠り所にして、楽しみにしている、この「祭り」が、二次感染、三次感染を恐れて、暫くの間、行われないとすれば、こんなに悲しいことはない。
そもそも「祭り」は、為政者が民衆の不満をガス抜きさせるための懐柔策として大いに利用をしてきた。一方、民衆の方も懐柔策に乗せられたフリをしながら、そのエネルギーの矛先が為政者の方に向いたら大変なことになるぞという脅しの意味も込めて、精一杯、命がけの馬鹿騒ぎを行ってきた。それでも、近い距離で身体をぶつけ合って大声で叫ぶことで、お互いに固い連帯感を共有できるメリットは大きい。共同生活を必要とする人間社会では絶対に不可欠な風習でもある。
ところで、私も最近気がついたことだが、「テレワーク」の「テレ」とは「電話」の意味ではなく、「リモート(離れている)」という意味らしい。元来、電話を意味する「テレフォン」とは、「離れた」「音(声)」が語源だからだ。従って、「テレワーク」というよりは「リモートワーク」という方が、日本人には実態に即した理解ができる。今まで、同じオフィスで働いていた人々が、いわゆるSocial Distancingに準じて、離れた場所で仕事をするというのが、「テレワーク」である。しかし、どうだろう。それでは「テレ祭り」というのは可能なのだろうか?ヒトは近い距離で共同生活を営み、楽しみも悲しみも、そして怒りも、近い距離で共感を得て感動を得ている。Social Distancingを保って共感を得るのは極めて難しい。
さて、古来より「祭り」は、ムラという共同体の結束を深める行事として行われてきたが、一方で、排他的な側面も持っている。よそ者は、「祭り」の見学者にはなれるが、ムラのインナーサークルに入り、本当の意味での参加者にはなるのは中々難しい。「祭り」の時だけ、近い距離に居て同じ空間を共有しても、本当の仲間となることは出来ない。私たちは、日頃から、近い距離で生活を営んでいないと、お互いの苦しみや悲しみまでは理解できない。すなわち、それらを乗り越えた本当の意味での楽しさや幸せ感を共有することが重要なのだ。
そうだとすれば、私たちは、ロヒンギャ難民を可哀想だと理解を示していても、あの残虐な仕打ちが、いまだに過酷なカースト社会を維持しているインドや、クラン(同族)によって社会を分断しているアフリカや中南米の一部の国々では、それが日常的に行われていることを、どこまで知っているだろうか? インドでは、いまだに汚水槽や汚水管を素手で掃除することを強いられている最下層のダリット(不可触選民)が存在する。しかも、彼らは、インド社会に不可欠なエッセンシャルワーカーである。COVID-19感染拡大防止策の一番に手洗いが挙げられているが、彼らは日常的に糞尿を触っており、しかも手洗いをする水も与えられていない。
先進国では、多分、この1−2年の内にCOVID-19禍から脱出することは出来るだろう。しかし、インドやアフリカ、中南米では、もっと酷い状況にまで感染が拡大するだろう。その間に、COVID-19は、さらに凶悪なCOVID-20やCOVID-21に変異することも考えられる。地球の裏側まで24時間以内で移動できる、昨今、こうした凶悪なウイルスが、再び先進国を襲うことは明らかだ。近距離で幸せを共有できる「祭り」が、当分の間、出来ないと嘆くのもわかるが、私たちは、もっと遥かに遠い世界で、次の新たなパンデミックが周到に準備されていることにも関心を注がなければならない。