先月、私は全日本能率連盟主催のコンファレンスで「働き方改革」の講演をさせて頂いた。何しろ、著名なコンサルタント200名の前でお話をするわけだから、いつも以上の緊張感で話していたが、正面数列目に座っておられた一人の女性が笑顔で私の話に頷きながら聞いて下さっていることに心から救われたばかりか、講演が終わった後も、その方は、マトを得た質問をして頂きフォローもして頂いた。しかしながら、当日、私は体調が優れず、自分の講演が終了した後、すぐに帰ろうとしたところ、その女性が玄関まで見送りに来られて「挨拶だけでも」と仰るので、お互いに名刺交換をさせて頂いた。
それから数日後に、その女性、つまり、これからお話しをさせて頂く、田原祐子さんから、ご自身が書かれた著作「マネージャーは人を管理しないで下さい」が自宅に送られてきた。その本の内容こそ、先日、私が祐子さんに講演した話と殆ど同じだった。つまり、私が米国駐在中に経験した中で、アメリカにはプロジェクト・マネージャーとかプログラム・マネージャーとか部下のいない管理職が大勢いるが、この人たちは、人ではなく仕事(業務)を管理しているという話をしたからだ。それ以外にも、祐子さんの著作の中で述べられていることには、逐一、頷かされることばかりだった。
そして、その本の末尾にあった祐子さんの経歴は、株式会社 ベーシック 代表取締役、外資系人材派遣会社の教育トレーナー、経営コンサルティング会社の新規事業室長を経て、1998年に起業。これまで、東証一部上場企業から零細企業まで、1,400社 述べ13万人の人材を育成。コンサルのテーマは、人材育成・営業改革・組織開発・業務革新・研究開発・特許開発と記されていた。これは、一度、お会いしてお話を伺う価値があると、お願いしたところ快くお受けして頂いた。
祐子さんは、広島県のご出身で、広島大学附属高校を経て、関西学院大学を卒業された後、直ぐにご結婚、二人の娘さんの母親になった。ご両親から、病弱の妹さんを近くで看て欲しいと懇願され、大学時代に交際していた、今のご主人とは「結婚後、広島に住む」という条件でプロポーズを受けた。祐子さんのご両親も教育者であったし、ご主人も教育者としての道を歩まれて、現在は、名門、広島修道高校の校長を務められている。私も、そうだったが、若い時は、皆、誰しも薄給で二人の子供を育てるというのは大変なことである。
そこで、祐子さんも、自分も働いて、娘さんたちにお稽古など人並みのことをさせたいと、人材派遣会社に登録し働き始めた。だが、何しろ職歴が全くないため、任せられるのは営業の仕事だけだった。しかも、人件費の高い派遣会社に持ち込まれるのは、売れない高いサービスや商品ばかりだったそうだ。そして、その一つに、「オール電化」があった。当時、才覚を認められて派遣社員の教育トレーナーとして活躍し始めていた祐子さんに白羽の矢が立ち、経営コンサルティング企業で新規事業室長に就任。ここで、素晴らしい機会に恵まれることになる。
地元の電力会社である中国電力では、発電所や変電所の効率化で、技術系の担当者が職種転換で「オール電化」を広めるために営業部門に回されていた。しかし、今まで、長年、ひたすら設備と向き合い、無言で仕事をしてきた人々を、営業に出すというのは、そう簡単なことではない。祐子さんは、現場の担当者と一緒に、一軒ずつお客さまや、ハウスメーカーをたずねた。そして、営業とは、お客様に、どのように話を進めて行くのか? どういうメリットを訴えるのか?など、業務マニュアルを作成するとともに、職種転換する人たちに、どうやって自信をつけてもらうかに執心していった。
結果として、このプロジェクトは大成功となった。この成果を聞きつけて、お隣の四国電力から、そして九州電力から商談が舞い込んできた。やがて、祐子さんは独立し、現在の会社を起業した。話は、そこで止まらず、遂に西の雄である関西電力からも話が来た。そして、とうとう日本一の電力会社である東京電力からの大商談を受けるために広島から東京へ進出したのだった。
ここまで、読まれた方は、家庭を持ち、お二人の娘さんを育てながら、起業して大成功を収めた祐子さんは、まさに「光り輝く女性たちの物語」に相応しい辣腕のキャリアーウーマンと思われるに違いない。しかし、人生は、そう簡単に順風満帆には進ませてはもらえないものだ。私が、つい最近読んだ本に、アン=マリー・スローター著「仕事と家庭は両立できない?」がある。原題は「Unfinished Business」。直訳すれば「終わりのないビジネス」とでも言うのだろうか? 著者はプリンストン大学終身教授で、女性初のプリンストン大学公共政策大学院院長を経て、ヒラリー・クリントン国務長官の元で政策企画本部長を務めたバリバリのキャリアーウーマンである。彼女が、2012年 アトランティック誌に発表した論文「なぜ女性は全てを手に入れられないのか」が大反響を呼んだので、この本を執筆したのだった。
スローター女史が立案する外交政策が、あまりに秀逸なので、ヒラリー・クリントン長官は、彼女を認証官である国務次官補に昇格させようとした。しかし、彼女は、その直前に息子が警察に補導されたことを知り、クリントン長官の有難い申し出を断り、ワシントンの単身生活に終止符を打ち、ご主人や息子さん達が住む、ニュージャージー州プリンストンに戻ったのだ。スローター女史は、自問自答する。もし、自分が父親だったら、こうした事態が起きても、そのままワシントンにいて、プリンストンには戻らなかったのではないか?と。
祐子さんにも、同じような不幸が襲って来た。自宅で起業してから四年目、仕事は増え続けて、毎日睡眠時間は3時間、月の大半は日本全国へ出張、子供のことは二の次で授業参観にすら全く参加できなかった。そしてある日、娘さんが中学校で倒れたとの連絡を受けた。当時はイジメの全盛期で、娘さんは心の病になり、まもなく学校に行けなくなった。それからというもの、全国のあらゆる病院を訪ねて医師と相談したが、娘さんの病状は、一向に良くならなかった。そして、祐子さんは、遂に気がついた。この病気を直すには時間がかかる。そして、どんな薬より愛情こそが妙薬なのだと。現在、娘さんは立派に回復して、クリエイティブで独創的な仕事の道を自ら切り拓き、着実に歩み続けている。
祐子さんは、このことを1冊の本に表わしている。表題は「家族の病気は、あなたへのメッセージ」。この本の中で、祐子さんは、この娘さんに対して心から愛情を持って接するという姿勢が、本業における人材教育・職能訓練への姿勢に変化をもたらしたと言うのである。昔の自分は、娘達に対しても、クライアントの教育に対しても、今では考えられないほど厳しかったと言う。でも、それは決して良い効果を生まないことに気がついたそうだ。確かに、こうして対面でお話させて頂いていた間でも、祐子さんは「大成功した女性起業家」らしくない、謙虚で優しいトレーナーの顔だった。
女性にとって、仕事と家庭の両立は決して容易なことではない。しかし、その葛藤の中で、新たに学ぶことも沢山ある。肉親の苦しみや痛みを心から理解したことによって、他人にも優しくなれた祐子さんは、まさに、日本を代表する人材教育コンサルタントとして光り輝く女性の一人である。