370 日本・EU EPA 大筋合意 

昨日、ブリュッセルにて岸田外務大臣とEUのマルムストローム委員(通商担当)との閣僚交渉で大筋合意に至ったとの報道を聞き、8年間も、この交渉に関わって来た私は、言葉では表せないほどの感銘を覚えた。思えば、私が、この日・EU EPA交渉に関わったのは、この交渉を円滑に進めるための日本とEUとの官民合同会議である日・EUビジネス円卓会議(ラウンドテーブル)のプリンシパルに就任したことからである。この会議は、毎年、日本と欧州で交互に開催され、時期は、双方の首脳会議が開かれる直前に開催され、会議の結果を両首脳に手交するというセレモニーも含まれていた。

この「日・EUビジネスラウンドテーブル(以下BRTと略す)」は、私が参加する何年も前から開かれていたが、双方の主張には大きな隔たりがあり、その交渉は全く進展しないままだった。私が、最初に参加した「日・EU BRT」は、丁度、第一次安部内閣発足の時で、2007年6月ドイツ、ハイリゲンダムG8サミットの直前にベルリンで開催された。初めて参加した私には、この会議が何のために行われていて、皆が何を話しているのか、さっぱり理解できなかった。元々、日本側のEUに対する、一番大きな期待は、家電製品14%、自動車10%というEUが日本製品にかけている関税を撤廃してもらうことだった。

当時も、今も、EUはドイツによって仕切られていて、この時のBRTのEU側メンバーも殆どドイツ人で、彼らは、日本との関税撤廃を目指した自由貿易交渉には全く反対だった。なぜなら、かつて世界一の輸出国となった日本は、世界の各国に対して、既に、工業製品に対する関税は全て撤廃していたからだ。だから、ドイツにしてみれば、日本との関税交渉は全くメリットがない。そればかりか、ドイツを支える自動車産業を守るためには日本車への10%関税は絶対に譲れないものだったのだ。

従って、ドイツを主体とするBRTのEU側メンバーは、そもそも、この会議はもういい加減に止めようという態度だった。それを日本側は何とか、今後も、このBRTを続けたいという主張を繰り返していた。それでも、EU側は、表向き、自由貿易を標榜している中で、あまり子供染みたことを言うのは恥ずかしいと思ったのか、日本とEUの間で、高度なレベルの経済統合協定(EIA)を議論しようと言う提案をしてきた。EIAとは一体何なのか? 要は、この実態は、数式で表せば、EIA=EPA-FTAである。つまり、関税の議論を全くしないで、非関税障壁だけの議論に集中しようと言う論理である。これって、一体何だ!と日本側は思ったわけだが、どうも、よく読むと、「関税の話を全くしない」とは表向き書いていないので、これ以上の対立を避けて、日・EU BRTを来年以降も継続することを重要視して、とりあえず合意文書を作成した。

当時のEUは、未だ大統領が居なかったので、EUの首脳は加盟各国の輪番制だった。その時の首脳はドイツのメルケル首相だったので、我々BRTは、合意文書を安倍総理とメルケル首相に渡して、無事セレモニーを終えた。そして、このことは実はセレモニー以上の意味があった。翌年のG8サミットが日本の洞爺湖で開催されることが決まって居たので、メルケル首相から翌年のG8サミット主催者である安倍首相に引き継ぐと言う意味もあった。我々は、そのことに大きな期待を持っていて、来年は、ぜひ、安倍首相とともに、EIAからEPAへの議論に進展させたいと言う思いがあった。

ところが、突然の安倍首相の退陣で、洞爺湖G8サミットの主催者は安倍首相から福田首相に交代し、そのためというわけでもないのだろうが、日・EU BRTでの議論は、またもや、さっぱり進展しなくなった。一方、ドイツは、これで、もう日・EU BRTは死に体になったとして身を引き、代わりにフランス人がBRTに主体的に参加してきた。フランスの思惑は、原子力、水、鉄道などフランスが得意とするインフラビジネスを日本に売り込むべく、国や地方自治体が関わる公共調達分野の非関税障壁の撤廃が主目的であった。もちろん、これに対して日本側は真摯に対応をしてきたので、日・EU BRTの雰囲気もずいぶん変わってきた。EUで一人勝ちしてきたドイツの論理が、EUの他の国々の中で支持されなくなってきたことも一因としてあるだろう。

私が、参加してからの8年間で、日本とEU間では、少しずつではあるが、対アメリカ、対中国、対ロシアとの関係において、お互いの共通利益が理解できるようになってきた。同時に、EUが東欧へと大きく拡張していく中で、日本企業が家電製品や自動車を賃金が安い東欧へ進出することになり、日本製品を関税だけでEU市場から排除しようとするドイツの思惑は、うまくいかなくなってきた。EUはEUの中のグローバル化により工業製品分野でドイツ1強という形が崩れてきたからだ。一方で、ドイツ以外のEU各国(フランス、オランダ、イタリア、スペイン)は、日本の農産品関税に焦点を絞ることでEPA交渉に期待をかけてきた。既に関税撤廃を決めた工業製品とは異なり、日本は農産品には高い関税をかけてきたからだ。

日本は、EUとの交渉においても、これまで頑なに農産品の関税引き下げについてドイツの自動車関税以上に強力に交渉を拒んできた。しかし、アメリカとのTPP交渉の中で、日本は農産品に対する一定の覚悟ができたのであろう。この結果、日本とEUの関税交渉において、ようやく双方向的な議論ができるようになったのかも知れない。その意味で、TPP交渉は、EUとのEPA大筋合意に大きく貢献したと思われる。さて、もはや日・EU BRTから引退した私は新聞報道に頼るしかないが、「EUは自動車関税に関して7年後には撤廃の方針」に驚いた。

EUの盟主であり、あの頑ななドイツが、よく7年後に自動車関税の完全撤廃に合意したものだと思う。一つは、日本市場でドイツ車がよく売れていることもあるだろう。私の家の近所では2台に1台はドイツ車である。もはや、ドイツが日本を全面的に敵に回すのは、あまりに大人気ない。廉価版のメルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン、Audiは、本当に、今の日本で売れまくっている。長年トヨタ車に乗っていた、私の妻も、先日、とうとうBMWが製造しているミニ・クーパーを発注した。しかし、これらのドイツ車は、よほどの高級車でない限り、南アフリカ製である。今や、南アフリカから日本への輸出産品は、鉄鉱石や金、ダイヤモンドではなく自動車となった。

そして、よく日本の外交交渉能力で非難されるのが、EU・韓国FTA、米韓FTAである。韓国が日本より素早くEUと米国とFTAを締結したのは韓国の外交能力が日本より優れているのだと。しかし、これは、まったく違う。実は、韓国は、EUや米国と前代未聞の屈辱的なFTAを締結させられたのだ。今回の日本・EUのEPAは全く対等な条約である。さらに、決してEUや米国は、FTAについて韓国市場を目指したものではなく、巨大な中国市場へスムースに進出するための便法であるとも言われている。表面的なものだけで、日本の外交能力を批判してはならない。

そして、最後に、私は、今回の交渉合意に対して、次のように懸念している。ドイツは、7年後に自動車はハイブリッドからEVへ全面的にシフトし、自動運転に代表される頭脳の開発へと大きな技術変革が行われていくと考えているのではないか。そして、もう、そこで、ドイツは日本に負けることは絶対にないと強い自信を持っているのかも知れない。

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