2月20日に、老人介護施設に入った母は、私たちの心配をよそに、同じグループのお仲間達とうまくやっているようだった。やはり、16年間の独居生活が、よほどに心細く辛かったに違いない。いくら、母が群れることが嫌いで偏屈な性格とはいえども、人間は一人では生きていけないのだ。昨日、末弟と嫁さん、その長男がお彼岸の墓参りのついでに施設を訪れた時に、何年かぶりに、嬉しくて、はしゃいでいる母を見て驚いたという。
しかし、好事魔多しである。その晩、母は、車椅子から降りて、独りで歩き出して転倒したのだった。介護士の方は、一晩様子を見たが、今朝になって、あまりに痛がるので、病院に連れて行くことを決断したという。それで、ぜひ同行してくれと介護士の方から、今朝、私に電話がかかってきた。3連休の最後の日だというのに、病院の方も大変お気の毒だったが、先日退院したばかりの病院が、母の治療を快く引き受けてくださった。
私も、骨折の経験があるが、その痛さと腫れの大きさは半端なものではない。母の太ももを触ってみると熱く腫れ上がっている。早速、CTスキャンを行って頂いた結果、大腿骨が根元からザクッと折れていた。整形外科医をしていた末弟にも、担当医の話を一緒に聞いてもらいCTスキャンの写真も見てもらったが、「これはひどい骨折だね!」と言う。担当医の方から、「手術をしないと二度と歩けなくなりますが、どうされますか? 今回は、手術をお望みですか?」と聞かれる。
私も、末弟も「手術は結構です」と答えた。末弟は、「仮に、自分が執刀を決断したとしても、麻酔医は、患者が重度の大動脈弁狭窄症に罹っていると知れば、多分協力を断るだろう」と言う。だから、手術は事実上、不可能なのだと言うことらしい。最近、コンプライアンス管理から、病院側は患者の家族の同意を徹底して求めてくる。私の場合は、身内に医師がいるから良いのだが、そうでない場合は、一体、どういう基準で判断されるのだろうか?
本当に、現代の日本もアメリカ並みに訴訟社会になったから、医師も本当に大変である。担当医はさらに質問を続ける。92歳の母に対して「入院中に万が一、患者さんが、極めて重篤な事態に陥った時に、万難を排しても延命治療を望まれますか?」と。「いえ、結構です。延命治療は本人も望んでおりません。」と私が答えると、担当医は安堵の表情を浮かべる。だって、身体中、管でぐるぐる取り巻かれて青息吐息で生き長らえるなんて、決して母は、そんな無様なことを望んではいない。
担当医は、さらに話を続けていく。「手術をお望みでないと言うことは、今の痛みが治まり次第、多分4週間以内に退院をして頂くことになります。その後は、リハビリ専門病院で3ヶ月程度、過ごして頂きますが、それ以上は、その施設にはおられませんので、その後の介護施設を今から手当して頂く必要があるかと思います。リハビリ施設とは、多分、「老健」と呼ばれる施設だろう。ここは、期間限定の施設で、ずっと長くは居られない。担当医は、先の先まで考えておくよう貴重な示唆を与えてくださった。
母は、こうした話を知ってか知らずか「私は、十分生きたよ。これ以上、もう、お前達に迷惑をかけたくないよ」と何度も言う。しかし、そうはいかない。生き長らえている以上は、少しでも幸せに生きてもらわねばならない。そして、いよいよ神に召された時は仕方がない。運命として素直に受け入れざるを得ないだろう。それまでは、神の摂理に逆らわない限りにおいて私達が出来ることはしたいと思う。
末弟は、医師らしく冷静に「骨折をきっかけに寝たきりになり、寝たきりになると、それから誤嚥性肺炎になる。それが、後期高齢者の死に至る標準的なコースなのだ」と言う。多分、そうなのだろう。母は、その標準コースに、今、足を一歩踏み入れた。だからこそ、これから、私たちは、母の1日1日を大切に生かせてあげたいと思う。それは、今までの親不孝の懺悔の意味で。