落語は、「えー、お笑いを一席」から始まるように、「えー」という間投詞が話の中に頻繁に入ってくる。そして、この「えー」が微妙な間として落語の芸術性を高めているとも言われている。私は、少年時代から、落語が大好きで、中学校の時は学校放送で落語を演じたこともある。だから、この「えー」という間投詞には親しみがあり、自分でも頻繁に使っていたように思う。
以前にも、このコラムで書いたことがあるが、英語の能力が低いまま米国勤務を命じられた私は、着任してから3年間、個人教授からみっちりと企業経営者として恥ずかしくないエグゼクティブ・イングリッシュを学んだ。この個人教授の生徒となった日本人の中で、日本に帰国してから大企業の社長になられた方が何人もいる。この先生は、母国語が英語でない外国の子供達が米国の学校に転入してきた時の英語教育(ESL: English Second Language)の教師を長年務められてリタイアされた老婦人であった。米国生まれの中国系アメリカ人で日本語は全く理解できない方で、英語以外の情報交換は漢字の筆談で行った。
授業は、文法、ヒアリング、ライティング、プレゼンテーションの4科目あり、特にプレゼンテーションについては、課題を与えられて10分間英語でプレゼンテーションを行うという授業である。この授業で最初に、先生から、こっぴどく怒られたのは、文章の内容でも発音でもなく、冒頭に話した「えー」であった。もちろん、この先生は、私より以前に、何人もの日本人を教えているので、日本人が頻発に使う「えー」という間投詞については、よく熟知している。
その時に、先生が私を叱った言葉は「ダメです。貴方が、今、発音した「えー」という音を日本人以外の外国人が、どういう気持ちで聞いているか貴方は知っていますか? ものすごく気分が悪いのです。「えー」は、まともな人間が発する音ではありません。この音は、動物の発声に聞こえるのです。ですから、自分に対して動物のように話しかけてくるので、大変失礼な態度だと思えます。「えー」を発する代わりに、無言の間の方が遥かに良いのです。吃音で間を作っても全く問題ありません。「You Know」は決して品の良い間投詞ではありませんが、「えー」に比べれば、まだ人間の言葉ですからね」と言うことだった。
それ以来、私は、先生の前では、絶対に「えー」を発声しないように心がけた。それは、私にとって苦痛でもなんでもなく、むしろ快感だった。そして、この「えー」という間投詞を使わないと、なんと綺麗に話ができるのだろうかと思えるようになった。この成果は、日本に帰国した今でも大変役に立っている。私の講演では、いつも、聴衆の方から、とても歯切れが良くて聞きやすかったと言ってくださることが多い。多分、これは私が、「えー」という間投詞を殆ど発音しないからだと思われる。
よく考えてみると、プロのアナウンサーや司会者は、間違いなく殆ど「えー」を発声しない。多分、そのように訓練されているからだろう。そして、最近の若い人たちもインタビューを受けている最中に、「えー」を言わなくなってきている。インタビュアーから質問をされると、答える前に「そうですね」という言葉で、うまく時間をつないでいる。一方、年配の方は、挨拶をされる時間のかなりの部分が、「えー」で占められている。私は、この「えー」が気になりだすと、とても落ち着かなくなり、結局、何を言われたのか、さっぱり頭に入らない。
「えー」という間投詞が気になりだしてから、他人の話や挨拶を聞いてみると、「えー」という間投詞が全くない方、あるいは殆ど発声されない方の話や挨拶は、きちんと整理されていることに気がついた。一方、「えー」という間投詞を頻発されている方の話は、殆どの場合、全く整理されていない。つまり、真面目に聞かなくても問題ない話であるとも言える。これでは、「えー」という間投詞を発するのは、単なる話者の癖では済まない話である。
子供は、大人の真似をする。大人は、話をする時には「えー」という間投詞から始めるものだと、子供達が本気で思い込んだら、その子は世界の笑い者になる。もっとも「えー」という間投詞の英訳はないので、話しようがないのだが、私は英語の先生に叱られたのだから、きっと何を言おうかわからなくなって英語が途絶えた時に発声したものと思われる。私にとっての「えー」は、大人のモノマネから、自分の身体に染み付いた習慣になっており、それを拭いさるのに、米国駐在生活3年を費やした。
こんな恥ずかしい経験を、これからの若い人たちにさせてはならない。「話や挨拶の中で、「えー」を使うことを一切止めなさい。特に外国人の場合、相手の方を著しく不快にさせることになります。」と皆が、子供達に、丁寧に教えてあげなくてはならない。