343 英国のEU離脱について思うこと  (1)

6月24日、英国のEU離脱の是非を問う国民投票の結果が出るという日に、私は、全日空インターコンチネンタルホテルにて開催された、ゼンショーの株主総会に登壇していた。株主総会開始直前は、残留派が僅かにリードと伝えられていたのが、終了後の昼食会にて離脱がほぼ確定というニュースを聞いた役員全員が、何とも言いようがない感じに包まれた。

例えば、日本最大の外食企業であるゼンショーにとってみても、英国のEU離脱が有利なのか不利なのか全く読めない。大量の食肉を輸入しているので、円高の方が有利であることには間違いないが、それも既に長期的に為替予約をしているので、大きな利益につながるわけではない。むしろ、世界的な景気後退によって、日本の景気も悪化し、顧客単価が下がることの方が怖い。少なくとも、株主総会で、こうした難しい問題が、質問の話題にならなかったことで、とりあえず安堵したというのが正直なところであった。

さて、この問題は、多くのメディアにて沢山の専門家が意見を述べている。私は、こうした議論に参加できるほどの深い見識は、とても持ち合わせていないが、富士通の海外事業において欧州総代表を2年ほど務め、日本-EUビジネスラウンドテーブルに8年間に渡って参加してきた経験から、この問題に関して、いろいろ感じたことを書き綴ってみたい。

富士通は、今から30年ほど前に、サッチャー首相の要請を受けて英国最大のIT企業であったコンピューター公社(ICL)を買収した。元IBMのチーフエンジニアであるアムダール博士が設立した、IBM互換機メーカである米国アムダール社を買収してから、ほどなくの事であった。私たち富士通社員が頻繁にロンドンへ出張するようになったのは、それ以来である。暫くして、そのICLが北欧の雄であるノキアのコンピューター部門を買収することになり、急遽、私もヘルシンキに行くことになった。「ICLが買った会社が、どんな会社か見てこい」という命令である。大英帝国の国営企業であったICLは富士通に買収されてからも、富士通の子会社という意識が全く希薄で、富士通本社への説明を十分にしないまま買収を決定してしまったからだ。

こうして、私と英国との付き合いが始まったわけだが、英国には、日本からは知りえない多くの難しい事情があった。その一つ例をあげたい。私たちの仲間にスコットランド出身者が居た。彼に言わせると、自分は英国人ではなくてスコットランド人であるという。確かに、英国の呼称にはUK:United KingdomやGB:Great Britainなど、いろいろな呼び名があるが、日本人がよく使うイングランドは英国全体の呼称ではない。このスコットランド人の彼に言わせると「もし、サッカーで日本とイングランドが対戦することになったら、自分は、迷うことなく日本を応援する。しかし、スコットランドと日本が対戦する時は、当然、応援はスコットランドだね」という。

そして、英国発祥で、国民的人気を博しているスポーツであるサッカーにおいて、イングランドとスコットランドが合体した英国代表(GB)チームという存在はオリンピックの時だけ結成されるが、その戦績は全く惨めなものである。イングランドとスコットランドの境界線は、大昔、ローマ帝国の国境線であった。これほど、古い時代から、両者は峻別されていたのである。私が、このスコットランドの州都エディンバラに行ったのは、セントアンドリュースで開催される、第一回全英女子オープンでのプロアマ戦に招待されたからだった。

主催者であるリコーの近藤社長と宮里藍さんと、セントアンドリュースのオールドコースを一緒に回れるなど、夢のようなことであった。時は、8月3日、真夏なのに気温3度、冬のような寒さであった。このため、翌日からの本番も暖かい沖縄で育った藍さんの成績は振るわなかった。多分、温暖な地中海に住んでいたローマ帝国の戦士達にも、1日の間に四季の天気が訪れるスコットランドは魅力ある土地には見えなかったのかも知れない。

このエディンバラには、ゴルフコースだけでなく、セントアンドリュース大学があり、王位継承権第2位のウイリアム王子が、ここで大学生活を送られた。ウイリアム王子が、ロンドンにあるオックスフォード大学でもケンブリッジ大学でもなく、セントアンドリュース大学で学ばれたのは、多分、ゴルフが大好きだったからではない。英国政府と英国王室が、対スコットランド融和政策の一環として考えられたに違いない。逆に考えれば、英国にとってスコットランド独立問題は、王室の協力も必要なほど深刻な問題だとも言える。

長い間、イングランドに支配されてきたスコットランドの人たちにとってみれば、英国がEUに残留することによって、独立はできなくても、自分たちがイングランド支配から解放されるかも知れないという希望が持てたに違いない。だから、多くのスコットランド人がEU残留に票を投じたのであろう。それでは、ロンドン市を除く大半のイングランドの人々がEU離脱に票を投じたのは、どうしてだろうか? まず、この英国のEU離脱国民投票の結果が出るまでの、為替レートを見てみると、ドルは110円くらい、ポンドは150円くらい、ユーロは120円くらいである。

カルフォルニアからミュンヘンに転勤にして、暫くしてロンドンに転勤になった富士通の同僚が言うには、食料品を買う時の値札には、ドルもユーロもポンドも、皆、同じ数字が書いてあるというのである。つまり、ロンドンは、食料品だけでなく、とにかく、なんでも高いのだ。一番、恐ろしいのは住宅価格である。富士通のロンドン駐在員も、家賃の説明を東京本社にするのが一番大変だという。「お前、どれだけ豪勢な邸宅を借りようとしているのだ」と本社から怒鳴られるからである。

とにかく、英国の景気はすこぶる良い。そのため物価も家賃も高い。街には高級車がいっぱい走っている。しかし、ロンドンを除くイングランド全体の庶民の所得は、殆ど上がっていない。一方、失業率は、どんどん高くなっている。それで、暮らしは、どんどん厳しくなる一方である。彼らは、その主たる原因が東欧から英国に職を求めてやってきた大量の移民のせいだと考えている。そして、それは多分間違ってはいない。英国経済が伸長しても、自分たちに恩恵はさっぱり来ないとすれば、その原因を断ち切るには、移民を制限する、つまりEU離脱するしかないと考えても、さほど不思議ではない。

さて、それではロンドン市内では、なぜEU残留賛成が多かったのであろうか?一昨年、多くの若者が起業しているというイーストエンド・ロンドンに行ってみた。ロンドン市がオリンッピック対策としてロンドン市内のスラム街に住んでいる人たちを、郊外に新築した公共住宅に移転させ、その跡地をリノベーションして、起業家たちに貸すことにした。その政策は、見事に当たり、かつてスラム街だったイーストエンド・ロンドンは、こざっぱりとしたサンフランシスコに見える。まさに、シリコンバレーと同じ活気が溢れている。しかし、街を闊歩している人達の殆どが、非白人の人々で、昔からイングランドに住んでいる人達ではない。こうして、新しいロンドンを支える人達も、また、移民か移民2世である。

こうして移民の知恵や労働力をうまく活用して、英国経済の繁栄を享受している人たちや、移民の人たち自身も含めて、英国のEU残留を支持することになったのであろう。英国が、EU離脱か、残留かをめぐって、深い分裂の闇に陥るには、その必然性があったように見える。

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