329 光り輝く女性たちの物語   (5)

ある時、国内の販売推進部長を務めた同僚からゴルフの誘いの電話があった。「昔、部下だった女性が、どうしても伊東さんとゴルフをしたいと言うのだけど、どうですか?」「それは良いけど、その方は、どうして私と?」「入社式の時に、伊東さんから、同じチアキということで声をかけてもらったことが随分と嬉しかったらしいよ」「よく覚えていないけど、わかったよ。それで、後の一人はどうするの?」「もう一人は、今、伊東さんと同じ富士通総研でコンサルタントをしている彼女の旦那だよ」こんなことで、一緒にゴルフをすることになった松野千晶さんが、今回の主人公である。

さて、ゴルフ場で、同僚から紹介された千晶さんは、エキゾチックな顔立ちの美人で、その旦那も涼しい顔立ちのイケメン、まさに似合いの夫婦だった。これから、私は、このご夫婦とお付き合いが始り、千晶さんという非凡な女性の、波瀾に満ちた、前向きな生き方に感銘を受けることになる。もともと、上昇志向の強い千晶さんが、私に会いたかった本当の理由は、どのようにしたら企業の経営TOPに上り詰めることができるのかという質問をしたかったらしいが、私には、思いもつかない話で、未だに答えられていない。

千晶さんは、語学に堪能で世界を飛び廻る企業人だったお祖父さんに憧れて、小さい時から米国留学を志していた。その思いも叶って、カルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学した。卒業後、今では、日本の殆どの大企業が行っている海外採用制度で、アメリカで行われた採用試験で、富士通に就職が決まった。しかし、意に反して最初に配属された部門は、国内の販売推進部門だった。先ほど、最初に話した、私の同僚が部長をしていた部署である。もともと、千晶さんは海外業務を希望したのだが、当時の営業の人事部門は、海外をやる前に、まず国内のことを知るべきだという方針だったらしい。

海外事業の責任者だった私に言わせれば、全く逆で、国内営業の上級幹部にさせるなら、まず海外の営業を経験させろと言いたいくらいである。しかし、今の富士通には、もうこんな余計な心配は要らない。現在の富士通社長である田中達也氏は、海外での営業経験をされた社長だからだ。いずれにしても、富士通は千晶さんという貴重な人材を失った。それでも、千晶さんは、3年半ほど勤めた富士通時代の上司や同僚達、同期入社の仲間たちとのお付き合いを、今でも大切に続けている。そう、あのイケメンの旦那も富士通同期入社の仲間である。

富士通を辞めた千晶さんは、これから何をしようかと考えを巡らせるうちに、毎日テレビのニュースを騒がせている児童虐待の話に取り憑かれるようになった。UCLAで児童心理学を学んだ千晶さんは、元々、政治の道にも興味を示していたのである。そして、縁あって、千晶さんは、野田聖子衆議院議員の秘書となる。もちろん、野田聖子さんが児童虐待に規制を加える議員立法を代表的に進めていたことにも大きな魅力を感じていた。野田聖子さんと言えば、いずれも強大な権力者である小泉元首相、安倍首相に対しても、絶対に自分の信念を曲げない強い意志を持った女性である。ここに、千晶さんは惚れ込んだのだろう。

2年間の議員秘書時代には、野田聖子議員に同行して、沢山の素晴らしい方々にお会いすることができたし、何よりパワフルで人望も高い野田聖子議員の魅力にとりつかれる生活を享受できた。それでも、国政に携わるということと、20代の自分にできることの間に、大きなギャップを感じる中で、元々、自分がしたかったことは何かという原点に千晶さんは立ち戻った。今の自分に叶えられることは、お祖父さんのように英語力を活かして世界を飛び廻る企業人になることではないか?と千晶さんは考えるようになった。

それで、千晶さんは、再び日系大手企業のグローバル事業部門に転職を希望し挑戦したのだが、全ての会社で門前払いをくらったのだ。リーマンショックの大不況も重なって、転職難民となった千晶さんに残された選択肢は「職種への希望は捨てて、正社員の立場を維持する」か、「正社員の立場を捨てて、希望の職種に就く」の2つしか残っていなかった。千晶さんは、後者の道を選んだ。もはや、日系企業を諦めて、マイクロソフト本社に非正規従業員として応募すると、直ぐに採用が決まったのである。そして、入社当初から、いずれ正規社員に転換したいという、自分の希望はしっかり伝えていた。そのかいもあり、自分の直属の上司が退職した後に、その後任にめでたく選ばれ正社員となったのである。

千晶さんは、マイクロソフト本社社員で日本駐在であるが、私が知り合った直後は、シアトル本社勤務になっていた。その後、千晶さんは、娘さんを出産してから、日本勤務にはなったが、今でも、日本と米国の間を頻繁に往復する毎日である。このマイクロソフトは、ママさんとなった千晶さんには、とても快適な労働環境を提供しているようだ。つまり、マイクロソフトに限らず成果主義が中心となっている欧米の会社では、残業が多いということは、生産性の低い仕事をしている印象を与える。そのために個々の従業員が、きびきびと仕事をするようになり、全体の生産性が向上し、結果的にプライベートの時間の確保に繋がっていくというのである。

千晶さんは、子どもが3か月になる前に復職したことで、日本の人たちから大変驚かれたが、マイクロソフトがフレックスタイム制度を採用し、またテレワークを積極的に推進しているため、最初の1か月間は毎日、そして1歳になるまでは週に3日の在宅勤務をさせてもらい、今は週2日のペースで在宅勤務が出来るようになっている。つまり、欧米の企業は終身雇用は保障されていないし、結果が全ての成果主義で、とても厳しいように見えるが、逆に、どれだけ長い時間働いて頑張ったかというプロセスについては、全く評価の対象とならないため、実績さえ出せばワークスタイルはとても自由なのだ。

そして、出社する日でも、時短を取らずに9時から始まる子どもの保育園に送りに行き、17時には迎えに行くこともできる。千晶さんの、Facebookを見ると、平日に子供連れでママ友とランチをしている最中に、友達が急に産気づいて、そのまま病院まで送り届けたなど、ビックリするような投稿がある。このように、在宅勤務の昼休みも自由に使えるのだ。こうして見ると、欧米の企業は何と優しいのかと思われたら、それは半分正しくて、半分は間違っている。欧米企業の考え方は、仕事さえキチンとしてくれたら、男でも女でも構わない。そして、ワークスタイルは問わない。とにかく結果が重要だというわけである。

日本の失業率が世界的に低いのは、膨大な数の企業内失業者が居るからだと言われている。仕事ができない中高年の男たちを日本の企業は正社員としてたくさん抱え、残業さえ多ければ「彼は真面目に頑張っている」と評価する。彼らは、忙しいふりをするために、不要な会議や資料を沢山作ることに血道をあげる。これが、日本企業の生産性を著しく低くしている大きな要因である。そして、そうした日本企業の風土が、女性にとって働きにくい環境を作り出している。つまり、千晶さんは、決して楽をしているわけではない。男女を問わず、結果が全ての成果主義のなかで、毎日、熾烈な真剣勝負をしているのだ。

千晶さんのアメリカの大学での勉強がハード過ぎたせいで、留学時代に培った忍耐力とストレス耐性が社会人になって役立っている。また、転職難民となり職を持つ幸せを痛感した経験が、どんなプレッシャーをも撥ね退け奮起させている。欧米企業での、ハードな競争に耐えて生きていけるのも、そのお陰ではないかと千晶さんは言う。

そして、将来のことについて千晶さんは、いずれ企業人を卒業して、20代の頃に叶えられなかった「子どもを守る社会づくり」に何かしらの形で貢献し、その実現に向けて、これからも積極的に世界を飛び廻り、各国の社会情勢を肌で感じながら子ども達にとってのベストな社会を追及していきたいと考えている。間違いなく、この千晶さんは、グローバルに活躍できる「光り輝く女性」の一人である。

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