先日、つい先日まで勤務していた富士通総研主催する掲題のコンファレンスに参加した。結論から言えば、とても充実したコンファレンスだったと言えるのだが、私が常々考えている、この掲題の答えを見つけることはとうとう出来なかった。政府や、東京都を含む各自治体の水素社会実現への思いは、相当に強いものがあり、マスメディアに至っては水素社会が究極のエコモデルのように報道しているが、ひねくれ者の私は、深く考えないで言い切っている人たちの意見には常に疑いを持って見ている。
確かに、水素は燃焼後、水になるだけであり、二酸化炭素も窒素酸化物も出さないという点で、クリーンなエネルギーではあるが、この水素を製造する段階で、どれだけ二酸化炭素を消費しているかという議論が欠落している。私たちは、既に、製造段階から含めた二酸化炭素の消費・節約の勘定では、太陽光発電パネルで騙されていた。それでも、水素に関しては、太陽光発電ほど酷くはなく、石油精製プラントや製鉄プラントで廃棄物として出る水素を活用しよういう動きは紛れもなく正しい方向を示している。
特に、風任せで気まぐれな風力発電において余剰電力を蓄積する手段として水素を使うシステムの考え方は秀逸である。即ち余剰電力を使って電気分解で発生させた水素を蓄積し、風が吹かないときは蓄積水素を使い燃料電池を作動させて発電すれば、高額の蓄電池を使わずに風力発電をベース電源に近い安定電源として利用することができるからである。
世界的には、既に、ブームが去った太陽光発電に比べて、太陽熱発電は太陽エネルギーを使う方法としては、最も効率が良く、しかも強力である。世界的には、地球温暖化による深刻な渇水で悩む砂漠地帯は益々広がっている。しかし、この灼熱地獄の砂漠で太陽熱発電により作られた電気を消費地まで長距離送電するのは極めて難しい。だからこそ、この電力で水素を発生させて、その水素を消費地まで運んでくれば、素晴らしいことだとは、誰しもが考える話である。
この話を、私が尊敬する環境学者である安井至先生にしたら、全く相手にして貰えなかった。安井先生は、東大生産技術研究所の教授を経て国連大学の副学長までされ、環境問題については、いつも私の疑問に丁寧に応えて下さるのが、この水素の問題だけは明快な答えを頂けないでいる。多分、想像するに、安井先生も迷っておられるのに違いない。安井先生は、水素に関する課題をたくさんご存知であり、水素社会の実現はそう簡単でないと考えておられるのだろうが、科学技術の進展が、いつか、その課題の解決を図ってくれるかも知れないので、水素社会の実現を否定も肯定も出来ないのでいるのではないだろうか。
それでは、水素の課題とは一体何なのだろうか? 私は、以前、内閣府規制改革会議のエネルギー部会の委員をしたことがある。その会議で学んだことは、たくさん有るが、例えば、「脱原発に向けて、再生エネルギーの拡大を」と叫ぶほど、実態は、そう簡単な話ではない。太陽光発電が、もっとも良い例で、日本もドイツを追いかけて太陽光発電の発電量を増やすと意気込んだのは良いが、ようやく拡充してきたところで、九州では電力会社が買い取れないほど発電量が増えてしまうなど、極めて、ちぐはぐである。そして、今は、ご本家のドイツまでもが、余りに高価であると太陽光発電を見切る始末となった。
水素については、自動車や石油、鉄鋼など強力な業界団体が水素ガスステーションに関する規制緩和を規制改革会議に持ち込んできていたが、どうも経産省の担当官は、慎重な態度を簡単には崩さない。恥ずかしながら、私は、そこで水素には、多くの課題があることを初めて知った。元素周期律表の最初に登場する水素は、原子量が最小の元素で、その分子は最も軽く、最も小さい。水素分子は、あまりに小さいので鉄の分子の中に入り込んで、鉄を腐食させるのだ。つまり、水素を貯蔵するためのタンクや、運ぶためのパイプラインに普通の鉄は使えないのである。ごく特殊な組成の合金としての鉄しか、水素の貯蔵・運搬には認められないという大きな問題があった。
今年、トヨタ自動車は、水素を用いた燃料電池自動車「ミライ」を発売した。800気圧で水素を貯蔵する燃料タンクを持つ、この自動車は、少し前まで1台1億円すると言われていたのを700万円で発売したのは、世界的に見れば驚異的である。暫くの間、世界のどの自動車メーカーも、この価格には追随できないと思われる。富士通総研のコンファレンスでは、このトヨタ自動車のミライ開発責任者の方から講演を頂いたと共に、燃料電池自動車向けの水素ガスステーションを、日本中に次々と設置している岩谷産業の方にも講演を頂いた。この講演を聴いて、岩谷産業がJAXAの国産ロケット燃料を独占的に供給していることも初めて聞いた。
JAXAのロケット燃料については、立川前JAXA理事長から興味ある話を伺ったことがある。立川さんがJAXAの理事長になられてから、それまで失敗続きだったロケット打ち上げが、全く失敗しなくなった。正に、立川大明神の神懸かりの力ではないかと言われたものである。それに対して立川さんは、「それは、たまたまだ。日本のロケットは糸川博士以来、ずっと固形燃料だった。しかし、液体水素を用いた液体燃料の方が、推力が大きいので、方式を変えたんだ。それが難しくて、なかなか成功しなかった。私が、JAXAに着任したころ、ようやく液体燃料の技術が成熟して失敗しなくなった、それだけのことだ」と仰った。
その上で、立川さんは、さらに興味あるお話をされた。「ところで、液体燃料ロケットは軍事用には使えないのですよ。液体水素はタンクに入れっぱなしにしておけないので、発射直前に燃料を注入するのです。大量の燃料を注入するには、何時間もかかる。それじゃあ、敵が攻めて来た時に間に合わないでしょう。だから軍事ロケットは全て固体燃料です。つまり、JAXAはロケットの平和利用だけに貢献しているわけです」この立川さんの話からも、水素の取り扱いの難しさが分かる。
ところで、私が社外取締役を務めさせて頂いている、日立造船は、昨年春に、水素と二酸化炭素を触媒反応させてメタンを生成する手法を発表した。これが、今、大変なブレークになっていて、開発担当責任者は、その技術説明で世界中を飛び回っている。欧州を中心に、数多くの引き合いがあるからだ。この技術には、二つの大きな利点がある。一つは、取り扱いが難しい水素をメタンに変えてしまえば、メタンとは、いわゆる「天然ガス」のことだから、貯蔵や流通に既存のインフラが全て使えるということである。
そして、もう一つは、石油精製や製鉄プラントから排出される二酸化炭素を、一度、メタンという形で吸収できることである。CCSと呼ばれる二酸化炭素を固定化し地中に埋蔵するというプラントが余りに高価で、埋蔵する場所も中々見つからないことで、二酸化炭素の吸収は極めて難しい。BPが、米国カルフォルニア州に計画した、CCS付きの石炭火力発電所は、CCSが余りに高価で安価な石炭を使うメリットが全くなくなり中止に追い込まれた。
この水素からメタンを生成する、メタネーション反応は、まだ大型プラントとして実現するまで、少し時間がかかるが、うまく安価に出来上がれば、大きな社会変革を実現する可能性を持っている。そして、今、食品廃棄物を含む生ゴミは、燃やすよりも微生物による発酵分解でメタンにする方が、エネルギー転換効率が良いのではないかとも言われている。そういうことも含めて、いろいろ考えると、これからは「水素社会」というより「メタン社会」と呼べるのかもしれない。