261 あれから3年 (その1)

大震災から3年目の2014年3月11日、小雪が舞う仙台から、陸前高田、大船渡に向かうため、東北新幹線で水沢江刺へと旅立った。この水沢江刺駅は、旧東北本線の水沢駅より少し離れたところにあるが、これは新幹線の運行による振動が、水沢緯度観測所の天文測定に影響を与えないように配慮したためと言われている。一関から大船渡へ向かうJR大船渡線が津波で途絶えてしまったので、このように現在は、沿岸部へ行くに車で行くしか方法がない。仙台を発って古川駅に到達する頃、窓の外は吹雪で、一面の雪景色となった。もちろん、水沢江刺駅の周りも一面の雪である。

もともとの計画では、水沢江刺駅でレンタカー借りて、自ら運転していくつもりだったが、かつて岩手工場に勤務した経験のある同僚が、冬の峠越えは初めての人には無理だと、ハイヤーを借りることを薦めてもらったのは本当に良かった。この雪は3日前から降り始めたとは言うものの、397号線の峠の頂上である種山が原の道の駅近くは、1メートル近い積雪であった。日影のカーブでは、凍結のためか車は随所でスリップした。北国の春を軽く見てはいけない。3年前の、この日も、私は青森に居たが、小雪が舞う大変寒い日であった。

峠を越えて397号線から107号線に入ると、大型ダンプの数が急に増えた。この山道は、もともと、大型ダンプがすれ違う幅がない。さらに、この日は両サイド雪が積もっているため、すれ違うために、どちらかのダンプが、拡幅された場所で待機することが度々あった。この道を、これほど夥しい数の大型ダンプが行き来するようなことは長い歴史のなかで、今まで無かったに違いない。陸前高田に近づくと、大型ダンプの数は、なお一層増えてきた。昼間から、ダンプ渋滞である。

ようやく、目指す、陸前高田のキャピタルホテル1000の姿が高台に見えて来たものの、そこへ近づく道がわからない。陸前高田の中心市街は津波で徹底的に破壊されたので見通しはすこぶる良い。しかし、一般車は工事用大型ダンプと違って通行が制限されている道が多数ある。もちろん、ナビゲーションは、そんなことはお構いなしだ。だから、ホテルの姿は、見えているのに一向に近づけない。後で分かったことだが、大船渡から来るときには、ホテルに向かう丁寧な案内掲示板があったのだが、気仙川を下ってくるルートからには、それが全くなかったのだ。

それにしても、3年がたっても、この陸前堅田の中心街は、大型ダンプと工事用重機の姿ばかりで、暮らしている人の姿は、未だに全く見えない。荒涼とした海岸沿いの平地に、既に幾つか、かさ上げした土地が造成されている。確かに、お隣の大船渡市は、津波の浸水域から歩いてすぐのところに高台があるので、400名近い犠牲者がでたものの、多くの方が無事避難して助かっている。しかし、陸前高田市は海岸部の平地があまりに広いので、高台に逃げるのは容易ではない。だからこそ、このように、かさ上げするのだろうが、果たして、かさ上げをして、どれだけの方が、ここに戻ってくるのだろうか?との不安な思いも巡ってくる。

ようやく、キャピタルホテル1000に辿りついて、畠山社長と再会できた。オープンを2週間後に控えた完成前に工事中のところを見せて頂いたが、出来上がってから中に入るのは初めてである。入り口のエントランスも明るくて、チェックインの時から居心地が良い。部屋の設備も快適で、何しろ海側の窓が大きく、遠く海岸までの眺めは最高であると言うより最高のはずであると言うべきか。それは、部屋の窓から見える海岸までの広大は土地には、今は、大型ダンプと工事用重機しか見えないからだ。

それでも、ホテルに隣接するレタスを水耕栽培しているという大型テントは昨年のオープン直前には3基しかなかったのが、今は、20基近くに増えている。塩が入った田んぼではコメの栽培が難しいので、こうした水耕栽培に転換されているのだが、着実に規模が大きくなっている。畠山社長は、このホテルの部屋から見える景観の価値は、少しずつではあるが、こうして復興への歩みを自分の目で見て頂くことであると言われている。だから、ここへは定期的に来ないといけないのだと、私も自分にも言い聞かせている。

ハイヤーの運転手さんに伺うと、キャピタルホテル1000の営業はオープン以来順調で、特にイベントが数多く催されているとのことであった。三菱商事復興財団が力を入れて支援していることもあり、そのイベントは地元だけでなく、東京の大企業が主催するものも少なくないようだ。翌日の3月12日には、地元の3つの中学校の卒業祝いパーティーが予定されていた。畠山社長によれば、今年の中学卒業生は、3年前、小学校の卒業式が出来なかったというのである。父兄や先生方も、この子たちには、今度の中学の卒業式こそは、この綺麗なホテルで盛大に祝ってあげようと思っているに違いない。

お隣、大船渡市の追悼式までには、まだ時間があるので、高田の松原跡にある「奇跡の一本松」まで行ってみようと思い立った。そして、この名所となった一本松周辺の景色も半年前とはガラリと異なっていた。大体、指定されている専用駐車場は一本松までは歩いて一キロ近くある場所になってしまった。この一本松周辺が、巨大な橋というかモノレールのようなもので覆われてしまったのだ。まさに遠くの山の中腹から、この陸前高田の市街地にモノレールが建設されたのかと勘違いするほどの巨大なインフラである。頑丈な橋柱が、この巨大な建造物を支えている。このようなものは、半年前には姿かたちもなかった。

どうも、後で、地元の方から話を聞くと、遠くに見える高さ120mの山を40mまで削って住宅用高台にして、その削った土砂を、この陸前高田市街をかさ上げするために利用するための土砂移動用のベルトコンベアーなのだという。凄いものだ。私のようにいきさつを知らない方が見たら驚くに違いない。今まで、大型の製鉄所や製油所へ行っても、これほど巨大な設備は見たことがない。大型ダンプを使うと4年かかる土砂移動を、この巨大なベルトコンベアーで運搬すれば1年半で済むと言う。きっと人類はピラミッドを建設するときに、このような設備を造ったに違いないと、そう思わせる驚きの設備である。

それでも、高田の松原の「奇跡の一本松」は、こんなにも巨大な人工物を、すぐ隣に建設されたにも関わらず、晴れ渡った空に向かって凛として立っている。3年前の、あの自然の猛威が作り出した恐怖の大津波に耐えた一本松は、いくら巨大とは言え、人間が作った設備に狼狽えたりはしていなかった。

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