255 復活を果たしたキャピタルホテル1000

昨年11月1日に再び開業を果たしたキャピタルホテル1000の畠山直樹社長が、昨日、私が勤務する竹芝のオフィスに来られた。東日本大震災で4階まで浸水し、1階は全壊して再建不可能として廃業に追い込まれたキャピタルホテル1000を私が初めて見たのは、大震災から、ほぼ1年後の2012年2月だった。海岸沿いに建てられた、この7階建てのホテルは大震災の爪痕を残しながらも気仙地区のナンバー1豪華リゾートホテルだったことを偲ばせるに十分な洒落た景観を留めていた。

ホテルの名前にある『1000』は陸前高田が生んだ大演歌歌手、千昌生さんの『千』である。バブル絶頂期の1989年に贅を尽くした、この豪華ホテルには、当時の不動産王であった千昌生さんが多額の資金を出資して建てられた。大船渡、陸前高田、気仙沼を含む気仙地区の人々の結婚式や演奏会など主だった催しは、皆、このホテルで行われた。しかし、バブル崩壊と共にホテルの稼働率は低下し、オーナーの千昌生さんも不動産王から借金王になり、ホテルは一度倒産し、第三セクターが経営を引き受ける。この後、堅実な経営が功を奏して累損を一掃した矢先に来たのが、あの東日本大震災である。

ホテルの周辺は津波で全てが無くなった。白砂靑松の景観で有名な7万本の高田松林も、陸前高田駅も、駅周辺のアーケード商店街も、今は何の跡形もない。僅かに、松原近くにあった野球場と思しき4本の照明塔らしきものだけが残っている。この野球場は2011年3月に完成し、その、こけら落としとして楽天のオープン戦が予定されていた。しかし、その直前に、大震災の津波と地盤沈下で、一度も試合が行われないまま野球場全体が海に沈んでしまっている。

もう、関係者の誰もが挫け、心が折れた。ホテルを再建するなど、誰も考えが及ばなかったのも無理はない。しかし、そんな中で、ホテルの一従業員だった畠山さんは、自らが社長となって再建することを決意した。この畠山さんの心意気に、多くの人が応援団となる。国も補助金を出すことを決め、三菱商事復興支援財団も出資、地元気仙地区の気仙沼信用金庫も融資に応じ、キャピタルホテル1000の再建が決定した。再建先は、海岸から2キロ離れ、高田の松原があった海岸が見渡せる海抜18メートルの高台である。もちろん、あの奇跡の一本松も各部屋から見ることが出来る。

私が、この再建中のキャピタルホテル1000を訪れたのは、昨年2013年10月11日だった。それは11月1日のグランドオープンを控え、10月25日には関係者一同を集めて落成記念式典が開催される、ほんの2週間前であった。まず、私達が一番困ったのは、建設中のホテルが見える高台へ辿り着く道路が見当たらないことであった。そう、未だホテル玄関への導入路が出来ていなかったのだ。どこから上がるのだろうと困っていた私達を、作業着姿の畠山社長が私たちの人数分のヘルメットを両手に持って近づいてきた。どうやら目の前の土手を上るらしい。

ホテルの中は、内装を完成させるための作業員の方が忙しく最後の詰めを行っている。そんな中を畠山さんはロビーから宴会場、厨房、各部屋の内装にいたるまで、その熱い思いを私たちに説明して下さった。このホテルには、通常の観光ホテルに必ずある土産物屋とレストランがない。畠山社長は、観光で訪れたお客様には地元、陸前高田の仮設商店街で買い物を、仮設レストランで料理を召し上がって頂くといった回遊ツアーして頂きたいと考えている。それにしても、あと2週間で本当に落成祝賀式典など出来るのだろうかと不安を隠しきれないまま帰京することになった。

東京に帰ってから、25日の落成を祝うため、お花を贈らせて頂いた。昨日、畠山社長は、その返礼に来られたのである。何とも律儀な東北人気質である。しかも、お土産は、地元陸前高田の銘酒、酔仙の生酒だった。畠山社長からは、「これは生酒ですからね。日持ちしませんから早めに飲んでくださいよ」と何度も念押しをされたが、具合の良いことに翌日は仕事納めの納会だったので、多くの仲間と一緒に滅多に飲む機会のない生酒を味わうことが出来た。

畠山社長から伺った話は、Good NewsとBad Newsとの両方があった。まず、Bad Newsから言えば、ようやく完成した復興住宅への入居状況が芳しくないことだった。年金暮らしの一人暮らしのお年寄りが申し込む1DKは、さらなる増築が望まれているが、家族一緒で過ごすための3DKはさっぱり申し込みがないのだという。それは世帯主である父親が地元で働き場所を見つけられないためである。市役所から復興方針が出される前に、勝手に、どんどん再建してしまった大船渡市に比べて、陸前高田市の復興はさっぱり進展していない。

Good Newsは、キャピタルホテル1000が開業以来、大変盛況なことである。結婚式や宴会、ピアノの発表会など催し物は目白押しだとのことである。そして、この年末年始は市外の仮設住宅に避難している方々が正月を故郷で過ごそうと、早くから予約で一杯となってしまったらしい。せっかく、大晦日の紅白歌合戦で陸前高田から実況中継で歌う予定のドリカムから申し込まれた宿泊依頼も、残念ながら断らざるをえなかったという。

「それにしても2週間前に未だ出来ていなかった道路は落成祝賀式典までに、どうやって完成させたんですか?」と私が尋ねたら、「市が突貫工事のために周辺道路を全部通行止めにしてくれたんですよ。ありがたい、本当にありがたいです。」と畠山社長は語る。本当に、畠山社長の心意気には多くの応援団がいる。まず、何処に再建しようかと悩んでいるときに、もとのホテルの地主さんが、ご自身が高台に引っ越すために山を切り開いて整地するから、そこを使いなさいと土地を貸して下さったのだという。株主の三菱商事も、鉄筋やセメントなど建材を大震災前の価格で提供してくれたので、建設費は高騰した現在の建材コストに比べて20%以上も安く入手出来たという。

さらに、畠山社長にとって、今回はもう一つのGood Newsがあった。地元、高田高校の女子バレーチームが岩手県大会で優勝し代表となって全国大会に出場することになったことである。聞けば、この高田高校は2011年3月12日が卒業式だった。前日に起きた大震災のために校舎が壊されて卒業式は中止、入学式が出来たのも、内陸の学校から借りた仮校舎で5月に行われた。今回、全国大会に出場するメンバーは、3年間、ずっと、この仮校舎で頑張ってきた生徒たちである。暗いことばかりしかなかった地元が久しぶりに沸きかえったGood Newsであった。

東京で開催される全国大会の試合は1月4日。地元応援団が上京するのにも、年始の帰省ラッシュで東京に出てくるのも容易ではない。畠山社長は、まだ41歳の青年社長であるが、もはや地元では立派な名士である。本業も多忙な中、この高田高校女子バレー全国大会出場に関するロジスティックスの支援を買って出たのである。今回の東京出張も、この高校女子バレーの件だと言う。やはり、この人は凄い。多くの方が、この畠山社長を応援しようと思うのは当然だろう。今回の高田高校の全国大会出場に向けて、女子バレーの名門である日立製作所が日立市に持っている練習施設を提供してくれるべく高田高校に申し入れがあり、大会までの練習環境の整備や選手達の上京の手配等を畠山社長が調整しているという。

私も、及ばずながら、来年3月11日の気仙地区の慰霊祭に出た後、このキャピタルホテル1000に泊まるべく、既に宿泊予約を入れている。こんなに頑張っている方には、誰しも、出来ることは何でもしようと思うのは至極当然である。

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