210  あれから2年 (その3)

2013年3月11日の午後、仙台国際センターで開催された仙台市主催の東日本大震災慰霊祭に参加した。昨年に比べて、来賓席を大幅に減らし、殆どを遺族席に充て、今年からは市民中心の慰霊祭にされたようだ。その中で、貴重な来賓席を私に分けて頂いた仙台市のご厚意に心から感謝したい。前月の2月7日の晩、東京のホテル ニューオータニで開かれた仙台市主催の「仙台の夕べ」にも参加させて頂いたが、東北の首都である仙台市の底力を感じざるを得ない。東京に一極集中し、衰退するばかりの地方都市の中で、仙台だけは別格である。

それでも、仙台市は若林区荒浜を中心として1,000人もの犠牲者を出した。震災直後に仙台市の海岸部を訪れた時、仙台東部道路の海側と山側では、被害状況に天国と地獄ほどの差があるのに驚いた。海側は、津波で何もかも破壊され尽くされているのに、山側は、大震災も含めて、あたかも何もなかったような平穏な様相を呈していたからだ。釜石で見た、堅固な防波堤が無残にも破壊された状況と、なだらかな土盛りで作られた仙台東部道路が何の被害も受けていない状況の差を、どう説明したら良いのだろうか。ある学者は、高さと底面積の比だという。まさに人工物の代表でもある急峻に立ち上がる防波堤は、底面が狭いために、実は津波の圧力に弱い。しかし、なだらかな土盛りの高速道は、自然の山に似て津波の力を受け流すのだと言う。

そのため仙台東部道路から山側の仙台市の中心は、元々、宮城県沖地震後に施された耐震建築の成果もあり大震災の被害は殆ど何もない。ただ、仙台市から、さらに山側の丘陵部に入った造成地が地滑りを起こした新興住宅地の被害は深刻である。従って、これから新たに宅地造成する際には、よほど留意しないと、また同様の被害を生む可能性がある。さらに発展を続ける仙台市内の住宅地の地値高騰もあって、大震災以降も山形市から仙台市に通勤する人が急速に増えている。高速山形道を通るバスは、山形市―仙台市間を所要1時間で結び、朝夕の通勤時間帯は10分おきに出ているから首都圏の通勤電車並みの便利さである。

このため、仙台市及び、その周辺地域の海岸部で家を失った人々が、今、山形市に居を移して通勤通学に通っている。日本の県庁所在地で境界を接して隣接しているのは、山形市と仙台市だけであるという特殊な地勢的関係にあるとは言うものの、こうした災害時の救援体制も含めて、県境を越えた広域行政が求められる時代になったと言うべきだろう。山形新幹線の山形駅では、月曜の朝、福島県の職場へ向かうお父さんたちで大混雑すると言う。子供や妻を、とりあえず山形に移住させ、週末だけ家族に会いにくるお父さんたちである。山形県は、こうして数万人レベルで福島県と宮城県から大量の被災者を受け入れている。

福島県や宮城県から移住した住民のレベルで見れば、山形県はれっきとした被災県である。被害を受けた地域だけが被災地ではない。避難した人々が暮らす地域も、やはり被災地である。いつになったら戻れるか分からない被災者が暮らす場所にこそ、行政の支援が必要である。復旧、復興予算は、「被災地」だけでなく「被災民」にも使われなくては、やはりフェアではない。中央政府に、そうした考えが希薄だからこそ、被災地の行政は、被災者を無理やり被災地域に留めようとする。住民は、とっくに、そこから出て行きたいのにも関わらず。

誰だって、故郷は一番大切だし、一時でも忘れることなど出来る筈がない。それでも、故郷に留まっていることに不安があり、荒廃した故郷で生きていける見込みがなければ、大事な故郷も捨てざるを得ない。そうした辛い覚悟をした人々への支援こそ、本当は、一番重要なのかも知れない。そして、それは被災地の行政が出来ることでは最早ない。被災地を含めた、広域行政が、あるいは国レベルで考えなければならないことである。仙台市の力強さを見るにつけ、国は、東北という広大な地域を、仙台市を首都とした広域行政区画に任せるべきではないかと思う。福島県、宮城県、岩手県という単独の行政が、それぞれ独自に復興していくというのは所詮、もはや無理のようにも思える。

その仙台市が、この平成24年度事業として、大震災後に局次長以上の仙台市の幹部職員が、どういう行動を取ったかという「震災記録誌」を完成させた。これは大変素晴らしい考えである。誰も想定し得なかったほどの未曽有の大災害が起きた中で、市役所の職員の取った行動はおそらく様々だったに違いない。マニュアルに書かれていないことばかりが起きている中で、市役所の幹部は、その時点で自分が一番正しいと思った行動を取られたに違いない。結果として、通常時は、非常識と思われる判断が、実は大震災時には有効な方法だったこともあっただろうし、また、その逆もあっただろう。

そうした膨大な記録を作成し、次に、こうした大災害が起きた時には、どういう行動を起こすのが正しいか、それが、今すぐには判らなくても、多くの防災研究者が、この「震災記録」から時間をかけて答えを見つけることであろう。しかし、人間の記憶は時間が経つに連れて薄れていく。だから、今、復興で大変な繁忙な時期にも関わらず、その記録を残しておこうという、遠い未来を見据えた仙台市の計画は尊敬に値する。そして、その作業に我々の同僚が参画させて頂いたことにも心から感謝をしている。その同僚からは、仙台市の副市長を始め、局長、局次長の皆様方が、お忙しい時間を割いて、本当に真摯に、そして丁寧に震災記録作成のためのヒアリングに、ご対応頂いたと聞いている。

少なくとも、仙台市の、こうした考え方を聞いている限りにおいて、もはや国のレベルを遥かに超えている。あの莫大の復興予算を、一体、誰に任せたら住民視点で、正しく使われるのか、我々は、もう一度、じっくり考えてみる必要があるだろう。

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