208 あれから2年 (その1)

今日、石巻薬剤師協会専務理事 丹野佳郎先生がFacebookに投稿されていた写真「2年ぶりに明かりが灯った日和大橋」を見て、北上川の河口にかかる日和大橋が、あの日からなんと2年間も真っ暗だったと初めて知った。日和山から見る日和大橋は、まさに石巻港の玄関で高さ18mもある立派な橋である。その高い橋を、あの大津波は軽々と越えていったと日和山の麓に暮らす古老は私たちに説明してくれた。

あれから2年が経った。あの日、私は青森のホテルで講演の真最中だった。大きな揺れで「皆さん、今日の講演はここで中止です。直ぐに外に出てください」と壇上から言うのが精一杯だった。私にとっては、忘れることが出来ない2011年3月11日午後2時46分だが、日本国民の65%は、もう既に遠い出来事になったのだと言う。日々の暮らしが大変な中で、東北に直接関係ない人々の本音は、そうなのかも知れない。

しかし、母方の祖母が石巻で生まれた私には、この身体の中に東北の血が半分流れている。その縁か、次弟は東北郵政局の人事部長として一時仙台で暮らしていた。そう、次弟は、郵政省入省からまもなく、今は南相馬市の原町郵便局長として赴任したことがある。当時、一番仲が良かった同僚が、今回の大震災で両親と妻と子供と、馬追のために飼っていた馬まで全て同時に失ってしまったのだという。本当に、何とも言葉が出ない。

そして一番下の末弟は、東北大学医学部学生として仙台に暮らしていた時に、あの1978年の宮城県沖地震に遭った。一晩中、連絡がつかないので、皆心配していたが、彼は、バイクで仙台市内の被害状況を見て回っていたのだという。あの時は、仙台市内のブロック塀が皆倒れて、多くの方が怪我をした。そして整形外科医として東京へ戻った末弟は、阪神淡路大震災の翌1月18日から被災者の救出作業に立ち会った。「兄貴、俺は地獄を見た」と語り、そのショックで、彼は、暫くの間、まともな精神状態には戻れなかった。

だから、私達兄弟にとって、3月11日は、何があっても忘れることが出来ないのだ。昨年の3月11日(日)は、本当は仙台の慰霊祭に行きたかったのだが、宿もまともに取れないと聞き、近所のたまプラーザ美しが丘公園で開催された横浜市青葉区主催の慰霊祭に参加した。会場には、数百の灯篭が灯されていたが、実は、この10倍もの灯篭が石巻に寄付されたと聞いた。

会場には石巻河北新報社が協賛としてテントを張っていた。私は、震災直後、石巻河北新報社に取材に訪れていた。同じ会場では、福島県伊達市の人たちが農産品販売のためのテントを設営していた。伊達市は富士通のパソコン、サーバーの製造工場がある。この伊達市の工場には震災直後、内閣府園田政務官の視察に立ち会うため2度ほど訪れている。石巻河北新報と言い、伊達市のボランティア団体と言い、何か、不思議な縁を感じたが、来年こそは、仙台の慰霊祭に参加しようと、美しが丘公園で黙とうしながら一人で心に決めた。この美しが丘公園は、二人の息子が小さい時、いつも一緒に遊んだ公園でもあった。

そして、その夢がとうとうかなった。この週末の日曜日の夕方、私は仙台に向けて出発する。翌、3月11日の午前中は被災地石巻を視察し、午後からは仙台国際センターで開催される仙台市主催の東日本大震災追悼式に参加できることとなった。夜は、仙台市を拠点に、被災地3県を回っている富士通の復興本部で仕事をしている同僚達と慰労会を開催する。皆、本当に良い仕事をしている連中ばかりである。私は、彼らに、いつも、「こんな素晴らしい仕事に恵まれる機会は人生で二度とないので、ぜひ悔いのない仕事をして欲しい」とお願いをしている。

人は、ギリギリの状態に追い込まれるときに本音が出る。本当にして欲しいと思う、最小限かつ最優先の要望が出る。自治体もNPOも、NGOも、皆、絶対的に人手が足りない。こういう時こそ、ITの出番である。そして、厳しいコストと開発手番と、誰でも操作できる使い勝手が必要とされる。しかも、皆、忙しいので要件定義を書く人すらいない。私たちの同僚は、こんな環境の中で、次々と住民の方々が本当に困っていることを一つ一つ解決してきた。中には、全くのボランティアとして、アフター5と休日を使い、自費で現地に通い要件を聞きながらソフトを作り上げた集団も居る。皆、良い経験をしたと思う。人生、給料と出世のためだけに働くわけではないという誇りを持ったに違いない。

そして、翌12日は、折角だから、今、仙台博物館にて開催されている東日本大震災復興支援特別展「若冲が来てくれました。プライスコレクション」を見学してこようと思っている。江戸初期の日本画家伊藤若冲の動植物を絢爛に描いた日本画の殆どを収集したプライス夫妻が選りすぐった名画100点を、被災地東北3県だけに公開する。今回のような大規模な若冲の展示会は日本では、もう二度と見られないと言われている。この入館料、画集の販売代金は全て大震災被災地復興のために寄付される。これを行かずして何とやらである。

日本人エツコさんが夫人であるとは言え、プライス氏の東北への思いは、並々ならぬものがある。私たちは、65%もの日本人が東日本大震災を、もう既に遠い過去のものとしてしまったことに恥じざるを得ない。

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