177  隠れたチャンピオン企業(新光電気)

書店のビジネスコーナーに並ぶ、エクセレントカンパニーの紹介本。ベストセラーになった直後に、衰退が始まり、暫くすると苦境に陥って市場から消え去ったり、かつての競合相手に買収されたりする。それを何度も目にしてきた私たちは、その類の本には、もう飽き飽きしている。一方、ハーマン・サイモン著の「グローバルビジネスの隠れたチャンピオン企業」を読んだ私は、「これこそが、真にエクセレントカンパニーの本質だ」と頷いた。実際、この本の中で紹介されている隠れたチャンピオン企業の8割はドイツ企業である。

現在のEU経済危機は、どうして始まったのかという説は多々あるものの、私は、根本的な要因はドイツ企業の圧倒的な強さにあると思っている。現在のEUの中では、ドイツだけが巨額の経常黒字を誇り、オランダを除く、他の全ての国が赤字である。この状況を、日本に例えれば、東京だけが圧倒的な黒字で、名古屋を除く全ての地方が赤字という状態だと思えばよい。日本国内は円という通貨で統一されていて、日本の中で国税から各地域に配布される地方交付税が存在しないで、地方税だけで各地域で住民サービスをしろと言われているのが、現在のEUの状況だと思えばよい。こんな状態が続くわけがない。

ドイツの企業が、これほど強くなったのは、それほど昔ではない。1990年以降、ドイツはアジアの新興国である日本と、これまでの競争方法では勝ち目がないと戦略を大きく変えたのだ。好調なドイツ経済の原動力は、GDPあたりで50%近くにもなる輸出にある。このドイツの輸出を支えてきたのは、シーメンスやメルセデスのような大企業だけではなく、多くの中堅企業群であった。日本は貿易立国を目指しながら、GDPあたりの輸出比率は、たかだか10-15%にしか過ぎない。世界の平均が30%であることを考えると、いかに日本の経済が、あるいは日本の企業経営者が内向きであったかが理解できる。こんな状況で、さらに内需拡大施策など考えること自体、とんでもない幻想に過ぎない。

そして、ドイツの輸出を支えているのが、中堅企業群であり、ハーマン・サイモンが言う、隠れたチャンピオン企業達である。これらの企業の特徴は、消費財ではなく生産財をターゲット領域としてグローバル・ニッチを目指している。多くの人たちに知られていない市場であるが、堅実な市場が存在し、プレーヤーの数も多くない、その分野で、グローバルで50%-80%という高いシェアを誇るのだ。特定の顧客と間に親密な関係を築き、顧客の要望を真摯に聞いて実現する。規模の大きいコモデティ市場で、低コスト、大量生産を得意とする日本企業と正面からぶつかっても勝てないとドイツの経営者たちは考えたからだ。

そして、今、コモデティ市場をターゲットとして、低コスト、大量生産を武器にエクセレントカンパニーとなった日本の大企業達は、中国や韓国のメーカーに敗れて、その存続に向けて死力を尽くしている。つまり、こうしたコストカット、低価格型ビジネスモデルは新興国の企業モデルだったのだ。既に、先進国となった、日本は、これまでとは、全く違う戦い方をしなくてはならなかった。そういう意味で、先進国の企業のあるべき姿を書いた、ハーマン・サイモン著「隠れたチャンピオン企業」は、我々日本再生のバイブルになるだろうと私は信じている。もちろん、この本の中で、日本の企業も幾つか紹介されており、例えば、浜松フォトニクス、島精機製作所、東洋炭素、マキタなどが挙げられている。

こうした企業にはブランド戦略は必要ない。むしろ、ブランド力を高めるよりも、隠れて誰にも知られないようにひっそりとビジネスをしていることを好む。せっかく、誰も気が付かないニッチな市場で頑張っているのだから、下手に競争相手に入って来られたくないのである。だから、ビジネス本として書店に並べられることもなかった。彼らにしてみれば、そんなことは大きな迷惑である。そして、読者となる大衆は良く知らない会社の話を聞いても、仲間の間で話題にもならないし、面白くもない。だから、これまでの、エクセレントカンパニーを紹介したビジネス書は殆ど役に立たないということになる。

そうなると隠れたチャンピオン企業を探して訪ねてみたくなるのは人情だ。まずは、今、自分が所属する富士通グループにおけるチャンピオン企業を訪ねることとした。長野市に本社を置く、新光電気工業(以下新光電気と略)である。一昨日、昨日と2日間に渡って工場見学をさせて頂いた。新光電気は富士通が50%の資本を有する東証一部上場企業であるが、親会社である富士通との取引は殆どない。こここそが、チャンピオン企業たる所以でもある。新光電気の主力製品は、半導体パッケージで、その主要顧客は世界最大の半導体メーカー、i社である。

富士通の前身であった富士通信機製造の社員であった光延丈喜夫氏は、戦後閉鎖することになった長野事業所を60名の社員とともに引き継いで新光電気として創業された。光延氏が、最初に手掛けた仕事は電球のリサイクル事業で、切れた電球のガラスと口金を外して、中のフィラメントを交換し、再度接続して中の空気を抜いて再生することだった。その作業の中で培った、真空技術・金属材料の加工技術・ガラス封止技術を深化させ、今日の半導体パッケージの製造にまで発展させてきた。

かつて、長野地区は富士通のコンピューター製造の一大拠点であった。同じ長野地区に拠点を置く、新光電気は、その富士通から大型コンピューターに用いる半導体のパッケージ製造に大きな貢献をすることになった。そして、1980年、富士通が大型コンピューターの分野でIBM互換機ビジネスを世界展開して行く中で、富士通から要請を受けて、当時としては社運をかけて100億円を投資した一大パッケージ製造工場を作った。しかし、工場の建屋が完成した段階で、そのプロジェクトは中止となった。富士通は、もう新光電気のパッケージは要らないというのである。不運にも、高速半導体がバイポーラー技術からCMOS技術へと大きな転換点を迎えた時期と重なったからだ。新光電気創業以来の最大の危機であった。

そこで困った新光電気は、日本の半導体メーカーの攻勢に会いDRAM事業から撤退し、プロセッサ事業に集中することを決めたi社を生涯のパートナーとして選んだ。この時点で、新光電気は半導体パッケージというニッチな分野で世界に雄飛することを決めたのである。それから、i社は、パソコン分野からサーバー分野へと幅広く、次々と高性能半導体製品を開発していった。半導体が進化すれば、当然、それを搭載するパッケージも合わせて進化していかなければならない。なにしろi社は世界最高技術で製品を開発してくるので、その高度な要求にタイムリーに応え、かつ高品質なパッケージ製品を供給しなくてはならない。その困難さが、新光電気の技術をどんどん高めることとなった。

それから、新光電気はi社の世界最高の技術要求に応えることによって、世界最大の出荷量を任されることになった。もちろん、i社のコスト要求は極めて厳しい。しかし、それに応えれば、i社の事業拡大に合わせて出荷数量を飛躍的に増やすことが出来た。そして、新光電気にとって最も幸せなことは、i社のプロセッサの技術進歩が極めて速かったことである。当然、その進歩に合わせてパッケージの技術も進歩するわけなので、新興国の競合他社が追随する暇すら与えなかったからだ。今では、i社が次に進めてくるであろうテクノロジーを独自に予測して、それに最適なパッケージを新光電気の方から提案することもあるという。

富士通本体は、コンピューター製造を長野から沼津へと移管し、その後、北陸と福島へと製造拠点を移転させた。現在、新光電気が抱える5,000人ほどの雇用は、富士通が移転した後の長野地区の雇用を殆ど埋め合わせている。さらに、新光電気は、来年にかけて、この長野地区に世界最先端のパッケージ工場を建設中である。今年、中部電力管内で新工場を建設しているのは、この新光電気だけだと言う。なぜ、5重苦とか6重苦と言われる日本の工場立地競争力の中で、新光電気は日本に新たに工場を新設できるのだろうか。

そのコアとなる競争力は、トヨタ生産方式の導入による「1個流し」にある。新光電気が製造する製品は、年間で、多いものだと何億個、少ないものでも1千万個はある。どれも、大きさは小さくて微細加工の極みを追求した超精密品である。従来は、何万個単位のロット生産を行っていたという。ところが、顧客によって仕様が微妙に異なり、しかも半導体業界はサプライチェーンの上流にあるため所要変動幅が極めて大きい。部品在庫、仕掛在庫、製品在庫はキャッシュフローを厳しくするだけでなく損益も毀損する。

トヨタ生産方式の1個流しの考え方は、従来100mあった製造ラインを10mにまで縮めることができた。カンバン方式の導入で、中間在庫も殆どなくなった。さらに、この製造ラインの改良は、今も日々進行中である。そして、この工場で使われている製造装置の殆どは自社製である。金型も、工具も全て自社製である。だから、設備メーカー経由で製造技術が他社に流れていく心配がない。また、長野という暮らしやすい地域に住みなれた技術者の流動性も極めて少ない。そして微細化と共に、ラインはどんどんクリーン化する必要が出てくるので、製造ラインに多くの人が関わることを嫌う。

そうした、もろもろの条件が海外移転のメリットを打ち消している。そして、なによりも、一番大きな要因は、顧客密着型で、顧客から次々と絶え間なく要求される最先端テクノロジーをタイムリーに実現するためには、日本で開発した技術を海外へ移転などしている暇が全くないことである。

コメントは受け付けていません。