毛沢東が現代中国を建国、鄧小平が香港・マカオを返還させたという二人の偉業に対抗するには、自身の名前が中国史に残るために何としても台湾を併合しないとダメだと習近平は考えている。これまでの通例を破って第三期以降の政権を獲得したのは、そのための時間稼ぎだと言われている。台湾を併合するための、中国の強圧が日々増している中で「台湾有事」関連の議論が活発になりつつある。こうした東アジアの派遣を誰が取るかという話をする見識を持たない私にとって、現在、一番興味がある話は、AIの勃興をめぐるデジタル産業において「台湾の覇権」が日々増しつつあることだ。
1970年にAIの研究者として富士通に入社した私は、後にAIの暗黒時代を言われた20年間にわたりその仕事を続けてきたが、流石にもうダメだと諦めて、1990年になって仲間を引き連れてパソコンの仕事に移った。当時のパソコン業界を振り返ってみると、プロセッサはインテルが独占、OS(Windows)はマイクロソフトが独占するという、いわゆる2社が世界の全てをリードする「ウインテル(Wintel)世界」であった。Apple以外のパソコン製造企業の全てが、その「ウインテル」をベースにパソコンを製造していたわけだが、当然のことながら標準化が極端に進んでおり世界中のパソコン(当時のパソコンは全てデスクトップパソコン)のマザーボードは大きさや形までもが標準化されており、その製造は、ほぼ全てが台湾企業によって行われていた。
そうした習慣を変えたのが、東芝が世界に先駆けて開発したノートブックPCである「ダイナブック」だった。このダイナブックと同時に世界を席巻したのがIBMのノートブック「Think Pad」であるが、その開発は日本IBMの藤沢工場、製造は同じく日本IBMの大和工場が担うことになった。富士通も、こうした動向に乗ってノートブックPCの世界展開を始めることとした。このノートブック開発のため、OASYS(ワープロ開発)、Towns(マルチメディアPC)とFAX事業を閉鎖し、その3部門の開発人員を全て新たなノートブックPC部門に集約して世界展開を図った。
当時、全世界でパソコン購入者の評価は「PC Magazine」の記事に依っていた。この「PC Magazine」は米国で発行される雑誌で、これに掲載される記事は米国で販売されている製品に限られていた。このために、我々富士通も採算を度外視してでも米国市場に製品投入したわけだが、案の定、世界で最も厳しい米国市場で販売するとすぐにも大赤字となって、「撤退するかどうか?」という議論になった。その何年か前に、米国でPCビジネスを展開した富士通の半導体部門は、不採算のため米国市場から撤退し、パソコン事業そのものを、我々情報部門に移行させた。同じ市場で二度も撤退すると、将来二度とパソコンビジネスは出来ないということになり、この米国市場でのビジネス再建のために私はシリコンバレーに駐在することになった。
シリコンバレーに着任して、私が一番驚いたのが、シリコンバレーで言われている常識の中に「ITとはインドと台湾(Indian & Taiwanese)の頭文字」だということだった。実際、シリコンバレーで活躍する各社で活躍するITエンジニアのなかでソフトウエアはインド人がハードウエアは台湾人が担っているケースが非常に多かった。だから、この業界を「IT業界」というのだというわけである。今や、マイクロソフト、アマゾン、アルファベット、IBMなどIT業界のビッグテックのトップがインド人で占められている。それでは、ハードウエアを担当する台湾人は何をしているのだろうか?確かに、今や、ノートブックを含む全てのパソコン、及びIAサーバは殆ど全て台湾で開発され、その製造の多くは中国で行われている。
それでは、シリコンバレーで台湾人は一体何を開発し製造しているのか?である。その答えが、今をAI時代で一番成長し利益を上げている「エヌヴィデア」である。私が、シリコンバレーにいた時の「エヌヴィデア」の主力事業はゲーム機向けのグラフィックプロセッサーだった。グラフィックスの描画を行うためには3次元の座標を計算するための行列演算機が並列に動く必要があり、これはパソコン向けにインテルが開発していたプロセッサとは全く異なる機能と高速性能が必要だった。当時ですらも、「エヌヴィデア」の描画プロセッサはトランジスタの数や高速性能でインテルのプロセッサを遥かに凌駕していると言われていたが、インテルのようなネームバリューと独占性がなかったため「エヌヴィデア」の製品は安価な取引価格に甘んじていた。
その「エヌヴィデア」が急速に知名度を上げたのが「生成AI」である。もともとAI処理に必要なディープラーニングに必要な演算機能がグラフィックスの描画機能を同じ性質の行列演算だったことから、いつか「エヌヴィデア」の時代になるのではという期待はあった。しかし、ChatGPTに代表される「生成AI」が出現すると、このAIの処理に必要な演算機能が標準化されクラウドシステムでサポートできることが分かった。今や、ChatGPTに代表されるGPTエンジンには、マイクロソフト、アルファベット、メタ、アマゾンを含めて全てのビッグテックが巨額の投資を行っている。まさに、「エヌヴィデア」は「生成AI」時代に絶対必要となる資源を提供している。しかも、今回「エヌヴィデア」は、単にチップメーカーとしてチップだけを提供しているだけでなく、部品とソフトウエアを含むサーバシステムとしてより付加価値の高い商品を提供している。
このGPTエンジンは、高速に動作する最先端半導体チップというだけでなく並行処理を行うソフトウエアが必要となる。「エヌヴィデア」は、ゲーム機エンジンを提供してきた中で並行処理に優れたソフトウエア技術を蓄積してきた。そして、「エヌヴィデア」は最先端半導体製造技術を持つ、台湾における半導体製造の中心的企業であるTSMCと密接な連携を図っている。その連携というのが、これまで例を見なかったとんでもない形の連携である。GPTエンジンは高速処理を行うために大容量のメモリーとデータを高速転送する必要があるのだが、韓国のSKハイニックスが開発したHBM(High Bandwidth Memory)と呼ばれる三次元積層メモリでTSMCが製造する高速プロセッサと独自の高速バスで結ばれて大容量・超高速のデータ通信ができる。すなわち異なるメーカで製造された半導体チップが積層構造で連結されるのだ。このため、こうした三次元チップが複数個搭載されたボードを「エヌヴィデア」はGPTエンジンとして販売している。
従って、「生成AI」でビジネスを行うことを企画している米国を始めとするビッグテック企業の間で「エヌヴィデア」製のサーバーは高価格で取り合いになっている。この結果、あっという間に「エヌヴィデア」の時価総額はアップルやマイクロソフトと肩を並べる規模になった。一方、これまで世界一の半導体メーカとして君臨してきたサムソンは、アップル向けプロセッサでTSMCに敗れ、HBMでもSKハイニックスには歯がたたない状況にあるのと、これまでビジネスの主力であった中国向け市場が米国の規制で思うように販売が伸びないこともあり、赤字に転落し、珍しくストが発生しているなど、台湾のTSMCと韓国のサムソンの競争には決着が見えつつある。今や、TSMCは最先端半導体ビジネスで世界シェアの90%を席巻する勢いである。
そのTSMCが製造拠点を台湾以外に米国、日本、ドイツに分散させようとしている。確かに、これだけTSMCによる最先端半導体分野での寡占状態が続くと、世界中のTSMC顧客が「台湾有事」を心配することが現実味を帯びてくる。米国政府にはとても及ばないが日本政府もTSMCの熊本への呼び込みには巨額の補助金を出している。現在、TSMCの熊本工場であるJSMCの工場建築は順調に推移し、第二工場建設も検討の視野に入ってきた。一方で米国の工場は苦境に陥っているようである。最近のアメリカは製造業の衰退が著しく、現代のアメリカには製造業をこなすメンタリティに欠けているような気がする。一方で、半導体分野で世界を驚愕させた日本がTSMCの日本上陸で、また世界に通用する基礎力がつけられるかが問われている。
台湾のTSMCが日本上陸を検討した一番の理由は、日本が台湾から一番近い距離にあるということと、今や台風が来なくなって水不足で苦しんでいる台湾とは違い阿蘇のカルデラから豊富に得られる水資源に大きな魅力を感じたからではないかと思う。そうした台湾企業TSMCの期待に日本が応えられるかが、日本の半導体製造業の将来を占う鍵になるような気がする。台湾有事は、まさに日本有事とも密接な関連がある。