2012年 私はNASAリサーチパークにあるSingularity(特異点) Universityを訪れた。ここは未来学者レイ・カーツァイルが将来のAI時代の到来に備えて2008年に設立した大学で、2045年までに人間を超えるAIの出現に備えて、社会全体で準備をしておこうという目的で開設された。AI研究の長い歴史から見れば、2008年はAIの将来に関してまだ何も見えていない暗黒時代であった。カーツァイルはAIの研究が、ある特異点を越えれば一気に発展し人間のレベルを追い越していくと予測した。彼は、その時期は、もうすぐそこに来ているのに、なぜ、今からその準備をしないでいるのかと世の中に大きな疑問を投げかけていたわけである。
そして、そのAIの特異点と言われる技術革命が突然2012年に訪れた。トロント大学のヒントン教授が国際的な画像認識コンテストで圧倒的な差で優勝。それまでの首位は日本の東大だったが、ヒントン教授が編み出した深層学習(ディープ・ラーニング)手法は、東大を一気に大きな差をつけて首位を奪取した。2012年にシリコンバレーを訪れた私は、スタンフォード大学のAI関連の教授たちが、これからAI開発の世界が大きく変わると興奮していたのに驚いた。彼らは、皆、ヒントン教授が起こしたディープ・ラーニングは「AIのビッグバン」だと言っていた。Googleは早速500億円近いお金で、ヒントン教授の研究室メンバーをそっくり買い取ったが、ヒントン教授は長年にわたって腰に深刻な持病があり、長距離を移動できなかったので、ヒントン研究室は、Google本社があるメンロパークに移らず、今でもトロントに研究開発拠点を維持している。
Googleは、これまで不可能と言われていたAI囲碁の開発を見事に成し遂げた英国のAI研究会社、ディープマインド社を買収するときにも、ヒントン先生に立ち会ってもらいたかったので、ヒントン先生を寝かせたままプライベートジェット機に乗せてトロントからロンドンまで運んだというエピソードまである。こうして、これまでAI分野で最も優れている企業はGoogleだと言われてきた。私の友人も、日本からアメリカにわたり優秀なAI画像認識ソフトを開発したが、その会社の株式を全てGoogleに売却し、シリコンバレーでベンチャーキャピタルを立ち上げた。「どうしてGoogleに売却したのか?」という私の質問に対して、彼は「AIは、どんなに優秀なソフトを開発しても、最終的な性能はデータの質と量で決まる。保有するデータの量でGoogleに勝てる会社は、今は世界中で一つも存在しない」と答えた。
AI開発は2012年以降、特に今まで苦手だった画像認識や音声認識で飛躍的な発展を遂げ、2017年頃には人間の能力を超える性能を発揮できるようにまでになり、多くの大学や企業が開発したAIソフトをオープンソースとして提供するようになって、更にその発展を加速させた。AIソフトは、どれだけ優秀な性能を持っているかは、大量のデータで学習させて初めて評価ができる。従って、多くの人々に使ってもらって、その能力を検証してもらわないと価値がわからないという側面があるからだろうか?そういう中で、あのイーロン・マスク氏が「オープンAI」という非営利団体を立ち上げた。彼は、最近、AIの研究開発は危険だから歯止めをかけるべきだと主張しているが、この「オープンAI」を立ち上げたきっかけは、AIの効用は広く世界中の企業や人々が等しく受ける権利があり、Googleのような大企業や、アメリカのような先進国だけに独占させてはならないという考えだったと言われている。まさに、南アフリカの出身でアメリカへ移住し世界一の自動車企業であるトヨタに真っ向から挑戦している起業家らしい考え方だ。
2019年の秋、まだ世界がコロナ禍で汚染される前の話である。私は、サンフランシスコで開催された「Disrupt San Francisco 2019」に参加した。この会合は、シリコンバレーを中心とした新興企業数百社が集まって、最先端テクノロジーを展示し議論する場で、全米はおろか日本からも数社が参加していた。この会場で、当時からも話題になっていた「オープンAI」のCEOが登壇するというので、私も彼の話を聴きに行った。彼は、「これからAIが発展するためには、皆がテクノロジーをオープンにして互いに携えていかなくてはならない」と「オープンAI」の考え方を話した。そうした中で、ある質問者が「そんなことを言っても企業は、利益を上げなくては研究活動を持続できないのではないか?」と質問すると、彼は「最近、マイクロソフトから10億ドルの資金提供を受けた。オープンAIが今後どのように利益を出していくかは、そのお金が底をついてから考える」とお茶を濁してしまった。
そして、その間、コロナ禍はアメリカ中を地獄の坩堝に変えてしまったわけだが、ようやくコロナ禍も落ち着いた2022年11月、オープンAIはChatGPT(GPT3.5)を発表し、無償提供を開始した。その後の2ヶ月間で既に2億人以上が使い、その性能に皆が驚いた。すぐさま、マイクロソフトはオープンAIに対して追加の100億ドルの支援を行うと発表した。オープンAIは既に非営利団体から普通の企業体として組織形態を変えていたので、マイクロソフトはオープンAIの大株主ということになった。更に、年があけた2023年3月オープンAIは、ChatGPT(GPT3.5)から進化させたGPT4を発表し、現在は有償で提供している。オープンAIの大株主となったマイクロソフトはOffice製品にGPT4機能を融合させ、従来のOffice製品とは全く異なる新たな機能を提供していくと発表した。
私の友人でIT企業を起こし現在は息子さんを後継者として会長職として幅広く活躍されている方がいる。先日、この方とランチを共にし、GPT4の話を伺った。彼は、既に有償のGPT4を使っているらしい。彼に言わせるとGPT4はChatGPTとは比較にならないほど高性能だという。私が「どのくらい優れているのか?」と聞くと「100倍から1000倍ではないか?」と答えるのである。GPT4は、使う頻度による従量制料金らしいが、彼が払っている金額は月額7万円くらいだという。しかし、彼が依頼する仕事を、優秀なアシステントより遥かに優れた形で、しかも遥かに速く仕上げるのだという。「AIが、こんなに優秀な仕事ができるのなら、これで仕事を失う人が相当出てくるのではないか?」と彼は心配する。
マイクロソフトがWordにGPT機能を入れれば、文書の自動作成ができるし、PowerPointにGPT 機能を入れれば、ちょっとした指示で素晴らしいスライドが出来るだろう。また、ExcelにGPT4を入れれば、例えば会社の経理データからAIが経営コンサル業も行えるだろう。つまり、オフィスワークとして従来型の事務作業をしている人の仕事の殆どをAIがこなすことになっていくに違いない。つまり、「上司から指示される仕事」の殆どはAI自身が出来るようになるとすれば、人間がやらなければならない仕事は「AIに指示する」ことだけになるはずだ。
こうしたマイクロソフトの動向を鑑みて、Googleは早くも非常事態宣言を出した。Googleは、世界一のAI企業として君臨してきたが、これまで、それをビジネスにうまく結びつけることができていなかった。Googleの存在意義は、情報検索であり「ググる」という新語まで飛び出すほどGoogleは検索という分野で圧倒的な首位を誇ってきた。最近、Z世代になってからは従来の「Google検索」よりも、「YouTube検索」に移行しつつあるらしいが、YouTubeも広義のGoogle社なので、それは大きな問題ではなかった。それでも、YouTubeがTikTokに抜かれているのはTikTokの優れたAI技術の使い方にある。そして、マイクロソフトがGPT4を手にいれることで、もはや「検索機能」自体が不要というGoogleにとって最も危機的な状況になりつつある。
しかし、私たち自身は今後のGoogleの行方を心配しているどころではない。私たち自身がAIをどのように使いこなしていくのか?あるいは、どのようにAIが出来ないことを出来るよう勉強していくのかを真剣に心配していかなくてはならない時代になった。カーツァイルがAIの進展した後に、社会がどうAIに対処していくかを心配していた状況は、彼が予測していた以上に早く到来している。