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461   安倍元首相の国葬

2022年9月15日 木曜日

2022年7月8日 安倍元総理は奈良県大和西大寺駅前にて行った参議院選挙の応援演説で銃弾に撃たれた。このニュースが報じられると日本中が大変大きな衝撃を受けた。何しろ、歴代最長政権を維持した元総理大臣というだけでなく、現在も自民党において岸田総理以上に実力を持ち、ひょっとすると近い将来、再度、また総理大臣になるかもしれないという人物が手製の銃で撃たれ即死したからだ。

私が安倍元総理大臣と最初にお目にかかったのは、安倍元総理が、2006年ドイツで行われたハイリゲンダムサミットに出席するためベルリンを訪れた時だった。私は、この時、ベルリンで開催されていた日本・EUのEPA交渉でベルリンに居た。当時、ドイツはEUの輪番代表国であり、私たちの交渉結果をEU代表のメルケル首相と日本の安倍首相にお渡しする場に出席させて頂いた。この時のサミットはメルケル首相提案でロシアを含むG8サミットとして開催され、安倍総理は、この時、プーチン大統領と初めての会談を行った。

しかし、プーチン大統領は翌年の2007年2月にドイツのミュンヘンで行われた国防政策国際会議にて「ソ連の崩壊がロシアにとっては最悪の事件」であり、アメリカを中心とした一極体制を鋭く批判する、1時間14分にわたって熱弁をふるった「ミュンヘン演説」を行い、アメリカとの融和政策に終止符を打った。

次の年の2007年にG7サミットは日本の札幌で開かれ安倍首相がホストになる予定だったが、残念ながら、その直前に辞職された。この辞職に直接結びついたであろう2007年夏に行われた安倍首相のインド・東南アジア歴訪にも、私は一緒に同行させて頂いた。参議院選挙の敗北をはじめにして次々と不祥事が起きて苦境に陥っていた安倍総理は、インド・東南アジアと共に経済の活性化を図るために二百五十人もの経済人を引き連れてのインドネシア・インド・マレーシアの3カ国訪問を企画された。私は、この大人数の経済人の一人として参加した。チャーター機はJALだったが、普通はエコノミーのはずの座席が全てビジネス席である特別仕立ての航空機は、この時初めて乗った。

インドネシアを出発してインドでは2日間の日程があり、うち1日は安倍総理だけがコルカタへ行かれて、東京裁判で岸元総理を含む日本の戦犯被告を援護してくれたインド人弁護士の墓参りに行かれた。お祖父様である岸元総理をこよなく尊敬されていた安倍元総理らしいなと思った。私たちは、この間ムンバイを訪問してインド経済の中心地を訪れた。私は、その時、既にインドは何度か訪問していたが、毎回、どんなに気をつけていても酷い下痢になるので、インドに着いた最初の日から正露丸など下痢止めを服用していた。それでも、毎回、インドでは、厳しい下痢には苦しめられている。

元々、胃腸が弱かった安倍総理も多分気をつけておられていたと思うのだが、インドを立つときには相当酷い健康状態にあったようである。マレーシアについてからの安倍元総理のスケジュールは大幅に変更になったが、夕方から開かれた最後の打ち上げパーティにきちんと出席されて、参加者全員に対して感謝の意を表されて、250人全員と二人だけの記念写真を撮影された。おそらく気分が悪かった中で、250回も記念写真に応じられるというのは相当の苦痛だったと思われる。この時、私は安倍元総理を直近に見て、「誠実で素晴らしい方だな」と感動したが、その思いは私だけではなかったようである。

飛行機はジャンボジェットだったので250人一度に搭乗できるが、飛行機から降りた後のバスでは複数台に分乗しなくてはならない。経団連会長など財界首脳を初めとして各企業の会長は最初の1号車、社長は2号車で、副社長クラスは3号車と、会社での地位で分乗したのだが私は当時副社長だったので3号車に乗車した。総理大臣に同行したのは、それが初めてだったが、出発地の羽田でパスポートは全て事務局に預けて、税関検査など入出国手続きは一切なかった。この3号車で同乗した仲間たちは素晴らしい方々ばかりで、この後もぜひお付き合いしたいというので「3号車の会」というのを結成して、10年間ほどの毎年ゴルフや飲み会など定期的なお付き合いとなった。

この会の結成のきっかけは、日本に到着してから2週間後に安倍元総理が体調不良を理由に突然退陣されたことによる、みんなのショックが理由の一つでもあったと思われる。従って、東日本大震災を経て、安倍元総理が再び総理として再登場するまでは、安倍さんのことを評価し、応援する姿勢であったと記憶している。しかし、2012年一度政権を失った自民党が再度政権を奪還して安倍総理が再び復活されてから、この「3号車の会」のメンバーの安倍総理への評価は少しずつ変わってきたように思われる。

つまり、「選挙に対して圧倒的に強い」安倍政権は、「選挙だけにこだわり過ぎているのではないか?」。そして、「選挙にさえ勝てば国会の論議などどうでも良い」、そして途上国でよく見られるように「メディアが持つ言論の自由を束縛」や「官僚が政権に反対する力を削ぐ」ことに特に大きな力を注いできたことも関係しているかもしれない。「モリカケ」や「花見の会」など、先進国では許されないような不祥事に対しても全く説明しない姿勢に対して、「3号車の会」の皆さんも「安倍さん、もういい加減にいいよ」という感じになってきた。

つまり、経済人としては、これまでの安倍政権の施策を見ていて「確かに株価は上がったかもしれないけれども、必ずしも素晴らしい経済政策をおこなってきたとは言えない」というのが正直な感想ではないかと思う。それでも、お亡くなりになる直前まで、現職の総理大臣を遥かに上回る実力者が突然銃撃に倒れたという国民のショックは相当に大きいものがあり、岸田総理が表明した「国葬」というのもありなのかなと多くの国民が思ったに違いない。私も、最初は「別に賛成はしないが反対もしない」という感じだった。しかし、この1週間、メディアの世論調査では、どの結果も「国葬反対」が過半数となっている。これには、私も正直に驚いている。世間の人たちは、一体、今回は、どのように考えてきたのだろうか?

やはり、多くの国民が「国葬反対」となった直接の原因は「旧統一教会」と安倍元総理、あるいは自民党安倍派議員たちとの選挙をめぐる取引関係にあったことは間違いない。安倍元総理を銃撃した山上容疑者が「旧統一教会を応援していた安倍元総理を撃った」と表明したことには、当初は多くの国民が違和感を覚えたに違いない。しかし、一連のメディアの報道を聞いて、多くの国民が「やはり、そうだったのか」と思い始めて「安倍元総理に国葬は本当に相応しいのか?」と考えているのだろう。多くの国民が「モリカケ」も「桜を見る会」も安倍元総理に関わってきた、多くの問題が「やはり、本当だったのだ」と考えるようになって、それが「国葬反対」の意見に集約されているのだろう。

それにしても、「今、メディアの元気が良い」と思っているのは、私だけだろうか? 安倍元総理が存命中は、恐ろしくて話題にも出来なかったニュースが次々と報じられている。東京五輪のスポンサー獲得を巡る事件も、今頃になって分かった話ではないだろうと思われる。こうした動向を見ていると「これまで、誰が、メディアの報道を封じてきたか?」が分かってくるだろう。現在、東証上場企業は「コンプライアンス遵守」という企業倫理上の問題で大きな制約を受けている。これをきちんとやらないと国際的には投資家の信頼を受けられないからだ。政治の世界では、一体、誰が、いつ、この「コンプライアンス遵守」をきちんと公に議論できるのか?それがいつまでも出来ないと、今後の日本経済の再生はさらに難しくなるだろう。