コロナ第七波が頂点を迎える中で、講演依頼も次々とキャンセルが相次ぎ、外出する機会も非常に少なくなった。そんな中で、仕方なく日中は多くの時間を読書に費やしている。未来について書かれた本の多くが殆ど同じ懸念に触れている。まず、第一の課題は世界中で起きている高齢化と人口減少である。高齢化については、高度医療の普及や衛生設備の普及がもたらしたもので、各国とも平均寿命が着実に伸びているからで普通に考えれば好ましい動向と言える。しかし、先進国でも途上国でも一様に出生率が低下しており、それに伴い高齢化比率が高まり年齢別人口構成が昔に比べて歪になってきている。
また、世界中の経済学者が世界の中で、いち早く「高齢化社会」を迎える日本の動向に注目していることにも驚かされる。しかし、その「高齢化社会」と言う課題は、そう遠くない時代の日本に続いて、どの先進国でも大きな課題になっていく。とりわけ注目されるのが、中国、ロシア、韓国である。中国の急速な高齢化は「一人っ子政策」が大きな理由だが、最近の若い中国人は結婚しようとしない、あるいは深刻な住宅問題で結婚ができない事情になっている。韓国も同じで、不動産価格の高騰により若者は結婚したくてもできない。あるいは結婚したくないと思う女性が増えている。
この高齢化問題は、ロシアに至っては、さらに深刻で、ソ連邦崩壊後、人口がどんどん減少してきている。特に、白人系ロシア人の出生率が著しく減少している。プーチンは、こうしたロシアの人口減少問題を憂いて、同じスラブ系民族であるウクライナをロシアに併合しようとしたのだとも言われている。人口問題は、戦争も引き起こすのだ。確かに、人口問題は極めて深刻な国家存続の問題であるが、世界が注目しているほど、この問題に関して日本では危機感が薄い。人生100年時代とも言われている長寿化は、一見幸せそうな社会を思い起こさせるが、この膨大な数の高齢者をわずかな数の若者たちが支える年金で本当に養っていけるのか?極めて大きな課題である。
1990年のバブル崩壊から30年近く低迷を続ける日本経済が抱える本当の原因は、実は少子高齢化社会である。一人当たりのGDPで全く成長していないと言われている日本経済は、実は労働生産年齢人口の一人当たりのGDPでは西欧先進国並みに成長しているのだ。膨大な数の働いている人が毎年リタイアし、新たに参加する新規労働者が少なければ、よほどの高い生産性向上を実現しないとGDPは伸びない。しかも、新規労働者の多くが非正規労働者として参入しているので、全体の賃金水準も伸びないままに放置されてきた。これでは日本の将来に全く希望が持てない。
それでも、グローバル市場で活躍する多くの日本企業は、このコロナ禍でも順調に業績を伸ばしている。それは、グローバル市場で顧客を獲得していることだけでなく、開発や製造を担う人材もグローバルな市場で調達しているからだ。しかし、高齢化社会が全世界で深刻な状況になってくると、今後、若くて優秀な人材をグローバルに採用することも困難になるだろう。こうした人材不足に対して大きな効力を発するのが、デジタルの力だ。このデジタルの力によって高齢者比率が高い社会でも生産性の向上が実現できるからだ。現在、官民共にDX(デジタル変革)が声だかに叫ばれているのも最もなことだ。
しかし、政治家も、経営者も労働組合もDXの推進には全く異論がないものの、うまく進展している企業は三分の一くらいだと言われている。多くの日本企業がDXに関してうまく行っていない最大の理由は「デジタル人材」の不足である。欧米の企業では、従来から、一定比率のデジタル人材を社内に抱えてきたし、最新IT技術に対して社内のデジタル人材の再教育もずっと行ってきた。欧米の企業が日本企業に比べてデジタル人材に注目してきたのは、経営者が抱える最大の悩みが社員の「高い離職率」である。日本企業にように終身雇用の習慣がない欧米企業では、社員は常に解雇の恐怖に備えて自身のキャリア育成に真剣に取り組んでいる。この結果、平均で2−3年で会社を変わって新たなキャリアを身につけていく。
一方、欧米の経営者の方は、デジタル技術を駆使して出来るだけ社員の数を減らす「人に頼らない経営」を目指してきた。一般定形業務は、昨日入社した社員でも簡単に引き継ぐことが出来るようにデジタル技術で社員が急に辞めても困らない体制を築き上げてきた。日本の経営者がデジタル技術の導入については「人手で行うより効率的」であることを条件としているのとは大きく考え方が異なっている。欧米企業の経営者は「人手で行うより多少効率が悪くなっても構わない」からデジタル化により「人依存性」を少なくしようと考えてきた。この両者の違いが何十年も続いた結果、日本企業の生産性が欧米企業に比べて、大きく劣ることになった。
一方で、このコロナ禍が落ち着く中で、多くの日本企業が極度の人手不足で悩んでいる。デジタル化技術は、こうした人手不足を解消するばかりか経営者が想像している以上の余剰労働力を産む。従って、経営者としては、こうした余剰労働力が発生する前に社内の人材をデジタル人材として再教育していくことが肝要だが、実際には、こうした施策も、必ずしもうまく行っていない。入社したらリタイア年齢になるまで、同じ会社で働き続けるという意識が、新たなキャリア形成に向かって努力するという気構えを生じさせてこなかったからだ。それ以上にもっと深刻な問題が、これまでの日本の初等中等教育制度の中で小さい時から「STEM教育」をきちんと学んでこなかったことがある。STEMとはScience (科学)、Technology (技術)、Engineering(設計)、Mathematicise(数学)という理系学問を言う。
さて、欧米では、このSTEM教育についてどのように対処しているのだろうか? 例えば。Google, Amazon, Apple, Meta, Microsoftなどの巨大技術企業を抱え世界で最もイノベーションを産んでいるアメリカでは、このSTEM教育についてどうように取り組んでいるのだろうか? 富士通が委託研究を依頼していたMITのラーソン教授は、K12(初等中等教育)の権威であるが、教授は「幼い子供への教育で一番重要なのは科学(Science)と数学(Mathematicise)だ」と言う。そうした教育は、「彼らを技術者や研究者にするためのものではない」。つまり、「頭に汗をかいて考える(Critical Thinking)」ことは「覚える」ことより遥かに重要だと言うのだ。
しかし、実際のアメリカではきちんとしたSTEM教育を受けている学生は諸外国に比べて決して多いとは言えない。つまり、現在のアメリカにおいて中心的な役割を果たしているSTEM人材は、外国からの留学生や優秀な移民によって補われている。こうした人材がGAFAと呼ばれるBig Techを興し、そうしたIT企業で中心的な役割を果たしている。一方、STEM教育とは縁もなく育ったアメリカ生まれの人たちが、どんどん中間層からはみ出し、このことがアメリカの格差拡大につがっている。トランプ大統領は就任中に海外の優秀なSTEM人材をアメリカに受け入れる卓越した制度であったH1Bビザの停止を発表した。彼は、アメリカを再び偉大にすると言いながら、これまでアメリカを偉大にしてきた競争力の源泉を止めてしまったことになった。
次に、英国について説明してみたい。英国は製造業の凋落とともに中間層が縮小し、旧英連邦各国からの移民も多いこともあって所得格差が年々拡大している国である。英国は米国と同様に富裕層は私立の学校で教育を受け、公立校で授業を受けるのは裕福ではない人たちの子供である。このため、英国の教育省では、この公立の初等中等教育に腐心している。私が話を聞いた英国教育省の担当官の名刺にはInternational Educationと書いてあった。別に彼らが国際教育の担当をするわけではなく、ロンドンの公立学校の生徒の半数以上が海外にルーツを持つ人々の子供たちだからかも知れない。
このため、英国の公立の小中学校では「英語」、「数学」、「科学」の三科目を必須科目として力を入れて教育し、その他の科目は本人の希望で好きな選択に任せているという。どうしてそうした施策を取ったかと言えば、英国において公立の小中高等学校の生徒は大学のような高等教育を受ける可能性は低く、高給な手取りを得る安定した職業に就くことが困難なのだという。従って、英国の公立初等中等教育は高等教育への準備機関ではなくて、そこで安定した職業を得る教育機関を目指すのだという。つまり、安定した職を得てお金を稼ぐにはSTEM教育が最も有効だとの結論に達したのだという。
具体的には、英国の公立小学校では1年生からプログラミング教育を始めている。中学生になるとArts & Technologyという昔の日本で存在した「職業家庭」という科目が必須となっている。この科目では3次元CADを学ばせ、住宅の設計を生徒に学ばせている。生徒は、設計が終わると、それぞれグループごとにVR(仮想現実)の仕掛けを使って仲間が設計した住宅を内部から見学するのだという。仲間が設計した家具や壁紙のデザインなどお互いに評価し合いながら改善をしていくのだという。
英国教育省の考えは、将来、まともな仕事につけない子供たちは英国の安全保障にとって危険な存在になるかも知れない。それで、とにかく小さい時からSTEM教育に慣れさせて、お金の稼ぎ方を学んで欲しいということだった。これは英国だけの問題ではない。日本の将来、あるいは日本で育つ子供たちの将来を考えるときに、幼少時代から理数系分野の学問に少しでも慣れ親しんでおくことが、将来のキャリア形成においても極めて重要だと思われる。