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456 プーチンとロシア人

2022年4月8日 金曜日

毎日、ウクライナから発せられるニュースを見て怒りというよりも絶望という感じになっている。聞けば、こうしたプーチンとロシア人の残忍さは、今回のウクライナが初めてではなく、チェチェン紛争やシリア内紛でも全く同じ類の残忍な行為が繰り返されてきたという。こんなことを繰り返していたら、そのうち人類は滅びるのではないかと危惧せざるを得ない。プーチンという個人はヒットラーと同じ狂気の支配者だとしても、そのプーチンに何の疑いもなく従うロシア人の国民性はどこから来ているのだろうかと色々と考えてみた。

ロシア人の祖先は北欧のルーシー族だと言われているが、一般的にはスラブ民族と呼ばれている。そして、この「スラブ」という言葉は「奴隷」を表す「Slave」が語源だというのだから驚く。確かに、帝政ロシア時代のロシア国民は「農奴」と呼ばれている。他の欧米諸国についても中世の庶民の暮らしは決して楽ではなかったはずだが、奴隷とは呼ばれてはいない。このことを検証するためには、ロシア史上で「タタールのくびき」と表現される歴史について見ていかなければならない。13世紀前半、モンゴル帝国はロシア全域を破壊し尽くして隷属させた。そして、このモンゴル皇帝によるロシアの支配は250年にわたって続くことになる。

元来、モンゴル人は人口が少ないので、そのロシア支配はロシア人貴族を傘下に置いた間接支配を行った。つまり、ロシア人支配階級はモンゴル帝国の徴税官に成り下がったわけである。彼らはモンゴルが指示する人頭税を収めるだけでなく、自らの富の蓄積を目指して支配下にあるロシア国民に対して過酷な徴税を行なったことは容易に想像がつく。まさに「農奴」という言葉が相応しい奴隷状態だったのだろう。ロシアがタタール(モンゴル)支配から抜け脱してロシア帝国を建設するのは、17世紀後半になってからだった。これほど長い間、奴隷のように苦しんだロシア国民は、今度は、晴れてロシア皇帝の正式な「奴隷」となった。極寒の中で生き抜く我慢強いロシア国民で無ければ到底耐えられないことだ。

1917年世界で初めて共産党宣言が発せられてレーニンによってソビエト連邦が成立するとロシア国民は帝政時代の暗黒時代からようやく抜け出すことができるように思われた。しかし、レーニンの後を継いだスターリンは集団農場という制度によって再びロシア国民を奴隷化した。その結果、農民の労働意欲は低下し、ロシアの穀倉地帯といわれたウクライナで深刻な飢饉が起きて、膨大な数の農民が餓死した。つまり、ソビエト連邦という社会主義国家になってすらロシアの農民は依然として「農奴」のままだった。ちなみに、レーニンは純粋なロシア人ではなくユダヤ系だといわれており、スターリンも純粋なロシア人ではなくジョージア人である。

1991年ソビエト連邦が崩壊した後に、ロシアの支配階級に君臨したのはソ連時代の高級官僚や諜報機関の幹部だった。彼らは、ソ連崩壊のどさくさ紛れに国有財産を私物化して新興財閥オリガルヒを形成した。多くのロシア国民は、またもやプーチン大統領の取り巻きであるシロヴィキや新興財閥オリガルヒの「奴隷」として大きな苦痛を味合うことになった。グーグルの創立者の一人で、未だにGoogleの親会社であるアルファベットの16%の株を保有するセルゲイ・ブリンは6歳の時に両親と共にロシアから米国へ移り住んだ。父は、ロシアからアメリカに渡ってメリーランド大学の数学の教授、母はNASAの研究員をしている。こうして、これまでにロシアから多くの優秀な頭脳がどんどん流出した。現在のロシア経済が低迷から抜け出せないのも国民を奴隷扱いして大事にしないからだ。

今、ロシアに奴隷状態で残っている人たちはロシアが好きだから残っているのではない。出ていく術が見つからないからだ。ロシアの多くの若者が自殺やアルコール中毒、薬物中毒や不慮の事故で亡くなっている。ロシアに居ること自体が絶望なのだ。13世紀から、なんと800年間にもわたってロシア国民は「奴隷」で居続けている。アメリカのラストベルトでも全く同じような絶望に満ちている。そんな人々が熱烈に支持するのがトランプでありプーチンなのだ。第一次世界大戦に敗北して巨額の賠償金を課せられて低迷を続けたドイツでもヒットラーは英雄になった。絶望を目の前にして、その突破口として大衆が渇望するのがプーチンやヒットラーやトランプといった独裁者たちである。

何とも皮肉なことではないか。ロシア国民に言わせれば「自分達は世界から同情を勝っているウクライナ人より遥かに不幸だ」と不満をぶちまけている。彼らはプロパガンダに騙されているフリをしているだけで、そんなに馬鹿ではない。多くのロシア人兵士が戦場で戦死していることが分かれば話は違ってくる。チェチェンでもアフガニスタンでも国内の反戦運動がきっかけでプーチンは兵を引いた。この戦争の幕引きは、結局、ロシア国民が「奴隷」から「人間」へと目覚めることしか救われる道がない。