この数週間、TVニュースでウクライナの話題が出ない日はない。オミクロンによるコロナ禍が大変な時に「ウクライナ、そんなこと俺には関係ないよ」と仰る方もおられるだろう。それでも、北方領土という国境問題を抱える隣国ロシアが、今、どんな状況にあるかを知っておくことにはかなりの意味がある。それで、「プーチンは、どうして、そんなにウクライナに拘るのか?」、あるいは「そもそも強権独裁者のプーチンが、どうして、そんなに長い間ロシアの指導者を続けていられるのか?」という疑問を持たれている方も多いと思う。
それは、今、ロシア国民が置かれている状況を知れば少しは納得がいくかも知れない。2000年にロシア連邦大統領に就任したプーチンは、2007年2月10日にミュンヘンで開催された国防政策国際会議において西側諸国のリーダーを前に1時間14分もの長い演説を行った。これが、アメリカを中心とした一極支配体制にはっきりと反対を表明した「プーチン大統領のミュンヘン演説」として歴史に刻まれることになる。この中でプーチンは「ソ連の終焉は20世紀の最大の地政学的不幸」と述べた。
ソ連の崩壊は1989年のベルリンの壁崩壊から始まるわけだが、15年後の1995年までにロシアでは170万人もの若い人たちが自殺、薬物、アルコール中毒で早世した。この結果、1989年には70歳だったロシアの平均寿命は1995年には64歳まで下がっている。何しろ、ソビエト連邦崩壊後、自国の国境が後退したため2,500万人ものロシア人が突然外国で生活していることに気がついた。ウクライナには現在でも830万人のロシア人が取り残されている。こうした悲劇の結果、2009年ロシア人の15歳の平均余命はバングラディッシュ、東チモール、エリトリア、マダガスカル、ニジェール、イエメンよりも低くなった。中国やインドでは恣意的に男女の産み分けを調整するので圧倒的に男子が多く、そのために結婚できない男性が増加していることが問題視さているが、ロシアでは若い男性が成人前に早世するため女性が結婚相手を見つけられないでいる。
現在、ロシアのGDPは韓国とほぼ同じであり、かつて米国と世界の覇権を争った国とは全く違う国力となっている。しかも、そのGDPの7割近くが石油や天然ガスといった資源産業が占めている。これらの産業は多数の良質な雇用を創出しない。従って、多くの若者は成人してもまともな職を得られないでいる。当然、国民の間で、こうした不満は、常に燻っているわけだが、プーチンは、これはアメリカを筆頭とする西側諸国がソビエト連邦を崩壊させたからだと言っている。この状況を打破するためには、アメリカや西側諸国と対峙することが唯一の道だと国民を煽動している。第二次世界大戦勃発前夜の日本と全く同じである。
ロシアの悲劇は、単に国土の喪失だけに止まらない。かつて、ソ連は、世界一流のワクチン製造大国だった。日本もポリオウイルスが大流行した時には、ソ連製のワクチンで救われた歴史がある。しかし、今回ロシアが開発したコロナワクチン「スプートニク」は、どうも有効性が疑問視されていて殆どのロシア国民が接種を拒んでいる。一方で、ファイザー製ワクチンの基となったドイツ・ビオンテック社製のmRNAワクチンを開発したカタリン・カリコ女史はソ連の圧政からアメリカに逃れたハンガリー難民であり、モデルナの創業者は同じくソ連の圧政から逃れてアメリカに渡ったアルメニア難民の息子である。つまり、旧ソ連を支えていた優秀な科学者たちはロシア以外の旧ソ連邦に属する国の人々だった。
同じことが半導体産業についても言える。旧ソ連が使用する半導体の開発・製造は旧東ドイツのドレスデンが担っていた。ベルリンの壁崩壊後、ドイツ政府は先端技術から何世代も遅れたドレスデンの半導体企業の処置に困り果てた。それで、旧世代の製造設備でも作れる太陽電池の製造会社に仕立てて、当時世界一の太陽電池企業となるQセルという会社を作った。それでも性能が今ひとつで価格も高いQセルの太陽電池は誰も使わないので、ドイツ政府はベルリンの駅や公会堂など公共施設にQセルの太陽電池を大量に敷き詰めた。この非効率な設備で作られた高価格の電力を旧西ドイツの国民に購入させて東西ドイツの資産移転を行った。
また、旧ソ連でITテクノロジーの開発を一手に担ったのが現在タタルスタン共和国の首都カザンである。一応、タタルスタン共和国は現在でもロシア連邦に属するので、ロシアとみなすこともできる。私が、このカザンという都市を知ったのは富士通の欧州総代表になってからだった。なんとカザンに富士通の支社があるのだという。富士通が買収した英国のICL(コンピュータ開発公社)は、ソ連邦が崩壊すると同時に、カザンにあった旧ソ連邦最大の国策IT企業を買収した。私は、退任するまでに、一度、カザンに行ってみたいと思ったがとうとう果たすことは出来なかった。どうしてカザンがソ連邦随一のIT産業の集積地になったかと言えば、第一次世界大戦で敗れたドイツが再軍備のための製造基地としてソ連と秘密協定を結んで飛行機や戦車を製造する軍需産業の一大拠点をカザンに築いたからだ。こうしてみると、ソ連は基幹技術を常に周辺国に依存してきた体制が見て取れると、同時にソ連とドイツの微妙な関係が見えてくる。
これはウクライナも同じである。旧ソ連は、ウクライナにミサイルと航空機、原発と核兵器と言った基幹産業の最重要技術の開発を任せてきた。ウクライナ人は昔も今も多くの優秀な理系人材を抱えた国である。一説に依れば、ソ連邦崩壊直後に職を失った数千人もの航空機エンジニアをアメリカのボーイング社が引き取ったとも言われている。ロシアもベラルーシもウクライナも、元々は北欧のルーシー族から派生した血縁的には近い民族である。ボーイング社があるシアトルは、かつてコロンブスがアメリカを発見するより大分前から北欧のバイキングが住み着いた街だと言われている。シアトルの気候が西岸海洋性気候で北欧の気候と近かったこともあり、きっとウクライナの人々には住みやすいと思われたからだろう。
もう一つ、ウクライナの人々にとっては忘れられない暗黒の歴史がある。ソ連の中央政府から命じられたチェルノブイリ原発の出力変動実験である。この無謀な実験の結果、ウクライナの首都キエフは深刻な放射能汚染に見舞われた。この事故の収束に現地に派遣された多くのウクライナ人が、その後の後遺症で亡くなっている。ウクライナは、ソ連邦崩壊後、すぐに自国内にあった全ての核兵器をロシアに返還しているが、この不幸な事故はソ連邦がまだ存在している最中に起きた。この時の、ソ連の中央政権から命じられた容赦もない指示は、未だにウクライナ人の心に残っている。そして、この世界でも稀に見る優秀なウクライナ人の才能が発揮できる機会は、ウクライナが旧ソ連邦の内に存在する限り見出すことが難しいと思っているに違いない。
今回のウクライナ紛争が、ウクライナが北大西洋条約(NATO)に帰属するかどうかという軍事的な側面だけで見るのはあまりに短絡的である。ウクライナのEU加入を一番望んでいるのは、実はドイツである。ドイツはロシアと軍事的対立関係になることは全く望んでいない。メルケル首相が、あれだけ長期政権を維持できたのは彼女が東独時代に培った堪能なロシア語とソビエトという国への理解に基づくプーチンとの蜜月関係だった。ドイツの真の野望は中国、アメリカに次ぐ世界第3位の製造業大国になることである。このためには、優秀な理系民族であるウクライナとの協業関係が絶対に欠かせない。ドイツは、ドイツとウクライナの両国民がシェンゲン条約の傘下で自由に往来できることを心から望んでいる。
これは全く乱暴な議論ではあるが、もしトランプ大統領が再選されていたら、このウクライナの問題はどうなっていただろうか?トランプはNATOなど、アメリカには役に立たないので要らないと言っていた。そうだとすれば、プーチンはドイツが事実上の盟主であるEUと相互にうまくいくウクライナの位置付けを何とか見出したかも知れない。しかし、歴史は、仮定だけで議論が収束するものではない。