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448   中西宏明さんを悼む(3)

2021年9月5日 日曜日

さて、中西さんは、どうして奥様が猛反対された経団連会長に就いたのだろうか? 中西さんは、地位や勲章など俗人的な栄誉にこだわる人ではなかった。やはり、「日本を変えたい」という強い思いがあったに違いない。思えば、中西さんは、今から半世紀前の東大紛争の時、先生と生徒の間に立ち、双方の意見を丁寧に聞きながら、粘りつよいファシリテーターとして活躍された。あの時の中西さんも「東大を変えたい」という強い思いがあったのだろう。

私たちは、卒業してから25年後、伊豆の川奈で、先生かたもお招きして盛大な同窓会を開催した。会の冒頭、先生を代表して挨拶に立たれた尾佐竹教授は「25年前、あの時、君たちは東大を壊せと言った。正直に言えば、こいつらは馬鹿じゃないか?と思った。でも、25年経った今、よく考えてみると、君たちの言っていたことは、あながち馬鹿なことではないと思うようになった。あの時、一度、旧来の東大の体制を壊してゼロから再生していれば、今頃、東大は、世界に冠たる大学になっていたのかも知れない」と発言された。きっと、当時の中西さんは、そこまで先を読んでいたのかも知れない。

日本を変えるために、中西さんは経団連会長に就かれたのだと確信している。会長就任後、経団連の執務室の椅子に座られた直後に、中西さんは、机にパソコン用の電源も、インターネット接続ケーブルも、もちろんWi-Fiも全くないのに気がついた。中西さんの経団連会長としての最初の仕事は、執務室にインターネット環境を整えることから始まった。私も、経団連では産業政策部会長として2年ほど仕事をさせて頂いたことがある。経団連の事務方は極めて優秀な方々が多い。おそらく霞ヶ関の官僚にも引けを取らないレベルの優秀さだと思う。財界総理とも言われる経団連会長でも、彼らと正面から議論したら簡単には勝てない。それでも中西さんは、ご自身の考え方を大事にされたのではないか。事務方との調整を経ないまま、ご自身の意見を率直に述べられている。

マスコミの報道では、中西さんは、安倍政権と蜜月時代を築いたと言われている。日本を変えたいという意思を持っている限り、経済界だけでできる事には限界があり、政治の力を利用することが必至だと考えれば、時の政権と対立することは不毛である。私は、中西さんに「安倍政権の評価は?」と正面から尋ねたことがある。中西さんの答えは「長期安定政権ということは良い。毎年、総理大臣が変わっていたらやりようがない」ということだった。さらに「日本経済の再建」、「労働者の賃上げ」という安倍政権の経済政策の基軸である2点については全く齟齬がなかったと思う。

それでも、中西さんは、国家観については、安倍元総理と、かなり違ったものを持っておられたように思われる。中西さんの国家観は、安倍元総理よりも安倍元総理の出身地である山口県が産んだ、伊藤博文、井上馨など長州五傑(長州ファイブ)と言われる人々に近かった。長州ファイブは、まだ海外への渡航が禁止されている江戸時代に長州藩主の命を受けて欧州に派遣されロンドン大学に留学した五人組のことである。伊藤博文、井上馨らの五人はロンドン大学で学んだ。当時の英国では、名門オックスフォード大学、ケンブリッジ大学は、いずれも英国貴族の男子だけに入学が許されていたのに対して、ロンドン大学は一般庶民、女子、外国人にまで広く門戸を解放した多様性の高い学舎だった。

長州ファイブは、日本に帰国して、明治政府を樹立すると、ロンドン大学という世界に冠たる高い多様性に触れて学んだ成果を日本の開国に向けて次々と適用していった。通産省の事務次官、東洋大学総長をされた福川伸次さんは、私に「伊東さん、明治政府は西欧から招聘した外国人教師の給料に国家予算の3分の一を充当したんですよ」と仰った。中西さんも、幅広い海外経験を踏まえて、日本を再生させるためには、「旧来の日本」を一度壊すほどの覚悟が必要だと思われていたに違いない。

中西さんは、30年近く続いた日本経済の低迷は、日本の「異質性」にあると考えられていた。つまり、中西さんが目指していた国家観は、長州ファイブと同じく、日本を世界で普遍的に通用する「普通の国」にしたかったことだ。中西さんが、とりあえず手をつけたのは日本の人事制度だった。新卒一括採用、終身雇用、年功序列といった日本特有の人事制度は戦後日本の高度成長には、何らかの貢献を果たしたのかも知れない。しかし、少子高齢化で生産年齢人口が減少した中で、貴重な人材をいかに活かすか?また、女性や若手の活用が叫ばれている中で、そして、日立のようなグローバル企業グループの中でも、日本だけ特異な制度を維持することは、もはや不可能となった。

中西さんが、見本にしていたであろうシーメンスがドイツという国家を巻き込んでIoT技術をベースにした製造業戦略であるIndustrie 4.0には相当注目されていたに違いない。まず、中西さんは、その対抗策として、日立社内の中で、Lumada(ルマーダ: IoT基盤)として発展されてビジネス的にも大きな成功をもたらした。その延長線上として、中西さんは、今度は日本全体を巻き込んで、さらにサービス業をも含めたデジタル改革であるSociety 5.0を提案された。中西さんが、やりたいことは、まだまだ色々あったに違いない。

昨年は、卒業してから50年経ち、同級生たちと卒業50年回を企画していたが、コロナ禍のため今年に延期したが、今年4月の再度の緊急事態宣言を受けて再度来年に延期を決めた。それでも、再延期すれば、中西さんも、きっと回復して同窓会に参加できるかも知れないという希望を多くの仲間が持っていた。しかし、今や、それもできなくなってしまった。誠に残念である。思えば、あの50年前に、東大紛争の最中に中西さんと共に、学生と先生の間にたって熱心にファシリテーションをされていた仲間に清水 勉さんがいた。同級生に清水姓は三人いたので、皆、通称「勉ちゃん」と呼んでいた。

「勉ちゃん」は卒業後、富士電機に就職した後に、地元小金井市でソフトウエア開発会社「アイコム」を起業された。その後、「アイコム」を地元の小金井市では期待される有力企業にまで育てられて、市の商工会議所でもコンサルタントとして活躍されていた。しかし、2018年末、それまで闘病中だった「勉ちゃん」は突然他界された。「勉ちゃん」の通夜に参列した私が驚いたのは、参列者の多さだった。小金井市長を始め小金井市の地元経済界の方々が多数参加されていた。さらに、驚いたのは喪主の名前が「清水宏明」だったことだ。勉ちゃんの長男である「宏明」さんは立派な若者だった。おそらく「勉ちゃん」が中西さんのように立派な人になって欲しいとの願いから命名したに違いない。

お焼香を済ませて帰路に着こうとしたら、受付を待つ参列者の長い列の最後尾に、暗い寒空の中、一人で静かに並んでいる中西さんを見つけた。「来られたの?」と私が聞くと、中西さんは「夕方になって突然官邸から呼ばれて遅くなっちゃった。なんとしても、宏明さんにお会いして、ご挨拶をしないと」と言われた。やはり、「勉ちゃん」の御子息の名前を知っていたのだ。「勉ちゃん」が、生前、中西さんに報告していたのだと思った。それにしても、この寒空の下で、受付を待つ長い列の最後尾に経団連会長が静かに並んでいることなど誰も知らなかっただろう。