2021年3月 のアーカイブ

442    あれから10年

2021年3月2日 火曜日

2011年3月11日に起きた東日本大震災。大津波と原発事故で、文字通り東日本全体が恐怖に慄いた。それは、都市直下型で火災が中心の阪神淡路大震災から16年も経っていなかった。それから10年も経たないうちに、今度は、世界を震撼させているパンデミック(COVID-19)の中で、日本中が不安に陥っている。私も、今年こそは久しぶりに石巻に行って10年目の慰霊祭に出席したいと思っていたが、今まさに変異ウイルスの台頭が心配される中で、ご迷惑をかけてはいけないと中止した。

どうして、私たちは、短い一生の中で、何度もこれほどの大惨事に遭遇するのだろう。まさに、「起きてほしくないと思っていることは、必ず起きる」。岩手県陸前高田市にある「津波伝承館」は、「かもめの玉子」の製造発売元である、さいとう製菓の工場敷地の中にある。震災発生時に副社長だった齊藤さんが、避難するときに撮影したビデオ映像を投影しながら、齊藤さん自ら解説をする。大船渡湾を急襲する津波の凄さもさることながら、私が一番驚いたのは、多くの人々が津波をそれほど恐れていなかったことである。

齊藤さんが、私財を投じて作られた、この「津波伝承館」は、津波の本当の怖さを次の世代に伝えたいという思いからだった。一番印象的だった映像は、ちょっとした小高い場所から津波を眺めている若いカップルの姿だった。齊藤さんが、山の上から大声を出して「上がって来い」という指示に対して、二人とも笑顔で振り返りながら眺め続けている。この後、この若い二人は津波に飲まれて亡くなったそうである。歴史の目撃者として津波を眺め続けていたかった気持ちをわからないでもないが、彼らは津波を本当に怖いと感じなかったのだ。

「釜石の奇跡」を起こした東大教授で日本災害学会会長の片田敏孝先生の講演を聞いた時に、子供たちの素直さにゾクゾクするほど感動するとともに、大人たちの怠慢さには怒りさえ覚えた。当時、群馬大学教授だった片田先生は、釜石市の大人たちを対象として津波に対する防災意識を浸透させるつもりで何年も努力されたが、一向に関心が得られなかった。それで、釜石市の教育委員会に働きかけて釜石市の小中学校の生徒を対象に8年間も啓蒙活動を続けられた。それが「津波てんでんこ」で、「津波が起きたら、まず、自分だけは高いところへ逃げろ」という考え方である。その結果、大人には多くの犠牲者が出たにも関わらず、当日、病気で休んでいた子供一人を除いて、釜石市の全ての小中学校の生徒が助かった。

同じような話が、ニューオリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」でも起きている。犠牲者の多くが老人だったが、彼らは逃げられなかったのではなく、逃げなかったのだ。多くの老人が「一緒に逃げよう」という家族からの誘いも断った理由は、「自分が生きてきた長い人生の間で、そんなことは一度もなかったので、逃げる必要はない」ということだった。彼らが、起きて欲しくない、起きるはずがないと思っていることは、実際には起きるのだ。

一方で、多くの犠牲者を出した石巻市の大川小学校に行って驚いた。北上川の河畔に立つ大川小学校は、とてもモダンな作りで、ここに通っていた小学生たちがおくった毎日の楽しい学校生活が偲ばれる。しかし、この小学校の校庭は数十メートルの高さを有する小山に隣接しているのだ。津波が襲って来るという情報を得て、すぐさま、この裏山に子供たちを登らせれば、間違いなく全員助かったはずである。しかし、先生方は、突然のことに思考回路を失ってしまったのだろうか、目の前の北上川に架かる長い橋を渡って向こう岸に行くことを目指して生徒たちを引率した。

その結果、生徒たちは、この長い橋を渡り切る前に津波に襲われて命を落としたのだ。石巻は大昔から、何度も津波の被害には遭っている。私の曽祖母、祖母とも、この石巻で生まれ育って、東京に出てきている。それで、私は小さい時から、三陸地方を襲った大津波の話を、この二人から何度も聞いている。その石巻で、津波が来たら、この大川小学校では、どういう行動を取るべきか事前に何も決めていなかったとすれば、大川小学校の先生方だけでなく石巻市教育委員会を含めた市の行政全般に関して問われることになるだろう。

さて、この東日本大震災から10年経った。大震災とは全く性質が異なるものの、COVID-19が起こしたパンデミックにおいて、この大震災で得た教訓を私たちは活かせたのだろうか。つまり、「起きて欲しくないと思ったことは必ず起きる」という教訓である。私は、このところ、トランプ大統領側近達の回顧録なるものを何冊か読んでいる。その中で、2020年1月4日のトランプ大統領は電話で習近平総書記にCOVID-19について尋ねている。習近平総書記は、具体的なことは何も答えていないが、2020年1月10日に、中国はCOVID-19の全ゲノム情報をアメリカに送っていた。ファイザーやモデルナを始めとするアメリカの製薬メーカーは、その翌日の1月11日にはCOVID-19 RNAワクチンの開発を始めている。

その当時の日本の状況を思い出してみよう。多分、武漢を含めた中国全土からの春節をめぐる大量の観光客を迎えて、日本中がインバウンド景気に沸いていた。まさか、武漢で発生したCOVID-19が世界を蔓延させるパンデミックを起こすだろうなどと誰も考えていなかっただろう。ここで思い出すのが、インテルを世界最大の半導体メーカーに押し上げたアンディ・グローブの著書「パラノイアだけが生き残る」である。パラノイアとは「極度に病的な心配性」という意味である。

「会社の経営者や国の指導者は、パラノイアでないと生き残れない」とグローブは、この本の中で言っている。今日は、3月2日。これから、緊急事態宣言を解除するかどうかの3月7日を迎える。首都圏では感染者の減少が止まり続けている。神戸では感染者の15%が変異ウイルスだともいう。WHOは本日、世界は感染拡大に反転したとの声明を出した。まさに「起きて欲しくないと思ったことは必ず起きる」という前提に立てば、日本でも第四波の兆しが見えてきているとも言える。私は、今や、外出する時は、必ず二重マスクにするなど従来以上に警戒を強めている。