COVID-19禍では買い占めによるパニックが頻繁に起きた。マスク、トイレットペーパーなどに留まらず、食品の分野までに及んでいる。カップラーメンは未だしも卵、ホットケーキ粉やケチャップまでが棚から消えた。必須日用品の欠乏も深刻だが、食品が手に入らない危機ほど深刻なものはない。こうした状態が、一部の人々による一時的な買い占めによるものなら、少し辛抱すれば元に戻る。しかし、食料の殆どを外国からの輸入に頼っている日本で、全国の在庫が払拭したら、どうなるのか? 今回のCOVID-19を契機に真剣に考える必要が出てきている。
その一つは、世界各国で始まった自国優先主義である。今や世界は分断され、従来のエネルギーだけでなく、医療機器や食料までもが戦略物資となってきた。敵国を攻めるのに火器は要らない、兵糧攻めで十分だというわけである。そこで、食料の安全保障という観点からも、グローバリズムに依存した従来の農業政策、水産業政策を大幅に見直す必要が出てきている。つまり、重要な食品については、他国への依存度を減らし、もっと自給率を上げられないかという議論が必要となる。
加えて、もう一つ世界共通の危機として気候変動がある。ある地域は渇水による干ばつ、またある地域では豪雨による水害で農業は壊滅的な打撃を受ける。一方、水産業では気候変動による温暖化で海水面の温度上昇が起きて水産資源は壊滅的な打撃を受ける可能性がある。さらに、水産資源については、乱獲による枯渇だけでなく、マイクロプラスティックによる海洋汚染で食用に適さなくなるのではとの心配もある。
一方で、今回のCOVID-19禍で生じた食料問題がいくつかある。一つはアメリカで起きた豚肉加工場でのCOVID-19集団感染である。このため、アメリカでは豚肉の需給関係が逼迫した。もう一つは、COVID-19検疫によりメキシコ国境経由の入国者を大幅に制限したことにより、レタスやイチゴの採取者が居なくなったことである。これは、同じくCOVID-19検疫で東南アジアからの技能実習生が来なくなり採集に困っている日本も同じ状況に陥っている。
さらに、もっと深刻な問題が潜んでいる。それは、COVID-19も多分そうだろうと思われるが、これまで世界を席巻した主要なパンデミックであるインフルエンザ(鳥由来)、SARS(ハクビシン?)、MARS(ラクダ)、HIV(サル由来)は、全て動物を食する習慣によって動物から人間に感染したという事実である。狂牛病(BSE)はヒト・ヒト感染しないが広義の動物由来の感染症とも言えるだろう。近年、中国が、いくつかのパンデミックの震源地になっているのも、野生動物を好んで食する中国の文化から来ているものと思われる。当然、中国政府も、その点を気にしていて、今後、野生動物を食品市場に流通させないような恒久的な施策を講じつつある。
第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、戦場における圧倒的多数の戦死者は銃火器による殺戮ではなかった。死因の殆どは、飢餓と感染症である。政府は地震や津波、水害といった自然災害に強い強靱な社会を目指しているわけだが、併せてパンデミックや飢饉に対しても強靱な社会を構築することを求められている。さて、今回、COVID-19禍によってパンデミック対策については、現在、多くの議論がなされるようになったが、食料危機については、果たしてどこまで真剣な議論がなされているだろうか?
私は、昨年10月、サンフランシスコで開催されたDisrupt SF 2019に参加した。このDisruptは、現在シリコンバレーで最も使われている言葉で、つい先日まで日経新聞の1面でも、このDisrupt特集が組まれていた。Disruptとは、本来、「破壊」を意味する言葉だが日経新聞では「断絶」と翻訳されており、さすが日経新聞だと感心した。このフォーラムは3日間に渡って開催され、全米から400ものスタート・アップが参加している。日本のJETROが協賛していることもあって、日本からのスタート・アップも数社ほどブースを出展していた。
シリコンバレーのスタート・アップと言えばフィンテックとか仮想現実とか、華やかなテーマを想起させるが、このDisrupt SF 2019では「飢餓」をテーマとして扱っているスタート・アップが少なくない。彼らは、地球温暖化防止は極めて重要なテーマであるものの、現状では、もはや不可避の事態と考えられると言うのである。その結果、生じる危機は深刻な食料不足による「飢餓」で、それを救うための技術開発を今から開発する必要があると訴えている。AIやIoT技術による農業改革であるAgriTechや水産業改革であるAquaTechである。
AgriTechの目玉は、点滴灌漑で、少ない水量で効果的な灌漑を行おうとするものである。イスラエルで開発された点滴灌漑技術はスペインにおけるブドウ栽培など既に世界各地で実用化されているが、半導体チップを使った土壌センサーで点滴量や肥料成分の最適化など干ばつに強い農業を目指している。あるいは、先ほど紹介したレタスやイチゴなど従来人手でしか収穫できない作業のロボット化という課題に挑んでいるスタート・アップもいる。
水産業においては陸上養殖に関するテーマが多い。そういえば、アメリカ大陸の殆どの地域は海に面していないので陸上養殖がデフォルトになるのは、当たり前である。日本でも海水面温度の上昇と大型台風の影響で海上養殖は困難になりつつある。陸上養殖では水族館のように疑似海水を循環させて使うのだが、餌や糞による汚染を監視するとともに、生存率や生育状況を監視カメラで自動測定する技術が開発されている。
なかでも私が感銘を受けたのは、ノルウェーの国営ファンドが出資し、ノルウェー人がシリコンバレーに設立したスタート・アップが二酸化炭素から魚の餌をつくるという事業である。彼らは既にサンプルを製造済であり、本国ノルウェーの鮭の養殖場で試験運用している。二酸化炭素とアンモニアからバイオリアクターによってタンパク質を作り魚の餌に加工しているが、二酸化炭素は近くにあるセメント工場の排ガスから分離している。
本来空気中に放出される二酸化炭素の再利用であることだけでも地球温暖化防止のための取り組みとして素晴らしいのだが、なぜ彼らの目的が魚の餌なのだろうか? よく聞いてみると、彼らの考え方はさらに素晴らしい。ノルウェーは鮭の養殖では世界一である。これは水産資源の保護という意味では素晴らしい効果を上げているわけだが、その養殖の餌が、また魚だと言うわけだ。彼らの問題意識は、今後、枯渇していく資源を餌にした養殖事業に持続性はあるのか?という疑問である。
もう一つの飢餓問題への取り組みが、ヴィーガン(完全菜食主義者)である。ヴィーガンはベジタリアン(菜食主義者)と異なり、キチンとタンパク質を摂取する。一般的には大豆などの植物性タンパク質から食品加工によって擬似的な肉を模して食べるわけだが、今、シリコンバレーで多くのスタート・アップが挑戦しているのは、普通の肉と同じ味と噛み応えがある人造肉だ。彼らの主張は、牛や豚、鶏を飼育する牧場ではトウモロコシなどの穀物を餌にしているが、これは大量の水資源を非効率に消費しているだけでなく、例えば牛が反芻して出るゲップは二酸化炭素以上の温室効果ガスとなって大量に排出されるというわけである。
もちろん、彼らの主張の中には、動物を食するという文化をやめれば、地球温暖化の防止に役立つだけでなく、パンデミックを発生させる確率を著しく減らすことが出来るという論理がある。ポスト・コロナ時代に求められる技術開発とは、人類も動物も共存して生き残るという優しい思いやりが求められている。