7月下旬から、いよいよ日本にもCOVID-19の第二波が襲来してきたと思われる。諸外国に比べて、第一波をうまく抑えたことから「日本の奇跡」とか「ファクターX」とか日本礼賛のメッセージが溢れたことが嘘のようである。やはり、このCOVID-19は得体が知れない感染症だ。無策な政府を非難する声には、私も半分は同意するが、政府の側に立ってみて考えてみると、どうしたら良いかわからないのではないかと少し同情したりもする。
従って、このCOVID-19禍は、最短でも1年、長引けば3年くらい続くと考えた方が良い。だとすると「クマが出た時には死んだふりを!」という教訓は役に立たない。1年も死んだふりをしていたら本当に死んでしまうからだ。つまり、今の状況が長く続くという前提で、何か新しいことを始めないと企業は存続ができないだろう。COVID-19禍が収束した後に、今までとは異なった時代、即ち、ニューノーマル(新常態)になると言われているが、さて、どんな常態になるのだろうか?しかし、今まで常態と思われていたことが、一体、どのように変わるのかをゼロから考えるのは至難なことである。
ここで、ピーター・ドラッカーが語る、『「すでに起こった未来」を見つけよ』という言葉を考えてみたい。つまり、ポスト・コロナ時代に起きることは、今まで全く起きなかったことが突然始まるわけではない。その変化の兆候は既に起きている。COVID-19禍は、その変化を加速させるだけだと思った方が良い。だから、ドラッカーが言っているように、私たちは、その「すでに起こった未来」を丁寧に見つけ出さなくてはならない。
例えば、今、大変苦しんでいる業種にアパレル業界がある。ステイホームで人々は、毎日、普段着で暮らしているので、人目を気にする外出着への関心が薄らいでいる。テナントとして入っていた百貨店も2ヶ月近く閉店しており、毎日が地獄の日々である。しかし、アパレル業界の苦境は、実はCOVID-19禍が起こる以前から起きていた。例えば、日本市場の需要と供給の関係から見てみると、今から30年前の1990年では需要が11.5億点に対して供給は12億点とほぼ拮抗していた。ところが2018年には需要が13.5億点に対して、供給は二倍以上の29億点に達していて、余剰在庫が15.5億点にまで達している。
つまり、アパレル業界は製造した商品の半分以上が余剰在庫となり、廃却を迫られていた。アパレル業界は、2年前に流行する「色」を決め、1年前に流行する「形」を決めて、安価な労働コストが可能な途上国で一斉に大量に製造をしてきた。このビジネスモデルは、もはや、とっくに破綻していたのである。こうしたビジネスモデルを打ち破ったのが英国のウルトラ・ファスト・ファッション企業であるPRIMARKである。
PRIMARKは、ロンドン近郊で縫製しながらバングラディッシュで縫製するH&Mより安価で販売する。ロンドンの銀座通りであるオックスフォード通りに2,000坪の店舗を有し、今や英国第一位、世界第7位の巨大アパレル業となった。ロンドンの女性たちからはプチプラ(安くて可愛い)ブランドとして人気があり、平均一点7ポンド(約1,000円)の商品は、COVID-19禍でも人気は全く衰えない。とにかく、PRIMARKの成功の秘訣は余計な在庫を抱えないことである。こうした動向は、COVID-19禍が起こる以前から始まっていた。
日本でも、多くのアパレル業界が苦しんでいる中で、ワークマンだけはCOVID-19禍がどこ吹く風というほど好調である。もともとガテン系の作業着が主流の商品だったワークマンが女性向けファッションで大ヒットを連発している。また、ニトリは百貨店にテナントとして入っている100店舗ほどが休業したにも関わらず、前年比大幅な売上増加という好業績を挙げている。ニトリはテレワークによる巣ごもりで、日常生活を少しでも暮らしやすくしたいという庶民の細やかな希望を満たしてくれる商品を安価に提供してくれている。
一方で、自動車産業は未曾有の苦境に陥っている。一体、何が起きているのだろうか? 実は、COVID-19禍の発生以前から起きていた所得水準の低下が、COVID-19禍によって一層深刻になったからである。休業から解雇、実働時間の低下による所得の減少により多くの若者の所得が大幅に減った。彼らは、もはや車を買う所ではない。都内に住む若者は駐車場代すら払えない。必要な時に、軽自動車をレンタルすれば良いと割り切っている。こうした現象は日本だけではないので、世界的に、もはや自動車の需要が大幅に増えるということはない。
そして、今回のCOVID-19禍で最も苦しんでいる業種は居酒屋ではないだろうか? 狭い店舗で飲酒をしながら、お互いに長い時間会話をするというのはCOVID-19感染環境としては最悪である。むしろ、お互いに無言でひたすら盤面に向かうパチンコ業界の方が遥かに安全である。その居酒屋業界は今後、どうなっていくのかを、既に起きている結果から考えてみたい。それは、日本人の飲酒習慣の推移を見てみればわかる。
もともと、日本人は欧米人に比べて遺伝的に見てアルコール分解能力が著しく弱い。言い換えれば、多くの日本人は元来下戸だった。ところが、終身雇用という村社会で暮らす日本人サラリーマンは、下戸というハンディを長年にわたって無理して酒が飲めるよう鍛えてきた。今から20年前、40歳代から50歳代の日本人男子の平均的な飲酒習慣は60%を超えていた。しかし、現在、20歳代から30歳代の日本人男子の飲酒習慣はたった16%しかない。つまり、今の日本の若者は6人に一人しか酒を飲まないのだ。
よく、言われることだが、「最近の若者は職場の飲み会に参加しない」、「今の若者は忘年会をスルーする」と非難されている。彼らは、もはや、苦労して飲酒習慣を身につけようとは考えていない。つまり、上司の説教を聞きながら、好きでもない酒を一緒に飲むのは苦痛でしかない。もはや、「飲みニケーション」などという習慣は職場のパワハラだ。従って、アフター5で「ちょっと飲みに行くか?」という上司の誘いは全く嬉しくもない。つまり、上司の悪口を言ってウサを晴らす居酒屋という存在は、もはや存続不可能で、今の中高年が、リタイアしたら、この業態は生き残れない。
COVID-19禍は、今から全く想像も出来ない新しい時代を呼び起こすわけではない。既に、今、起こっていること。これまで起きてきたこと、つまり、格差の拡大、所得の低下、差別の拡大が一層激しくなることを助長すると考えた方が良い。しかしながら、これほど、世界中で経済的な苦境が起きているにも関わらず株価や不動産価格は信じられないほどの高騰を続けている。これこそが、現在の経済活動の矛盾を露呈しているものと言えるだろう。実体経済に合わないものは、いつか必ず破綻する。そして、その時は、もう間近に差し迫っている。