11月25日、私はフランシスコ教皇がミサを行われる東京ドームにいた。かつて東京ドームにはプロ野球観戦で何度か来た事があるが、観客席だけでなくグラウンドにも椅子が配置されて、全て満席、総勢5万人の迫力はやはり凄い。これでも、申し込まれた信者のうち、3に一人は抽選に落ちたというから、落選した方だけで2万5千人もいるという事である。前日のミサで神父様から「当選されたのですか。運が良かったですね」と言われてもピンとこなかったが、「運が良かった」ことを改めて実感した。
お隣の席のご婦人は、仙台から来られていて、今日は東京在住の娘さんの家から来たのだと言う。東京ドームまでは、ご主人が付き添われてきたが、ご主人は洗礼を受けておられないので、ミサが終わるまでドームの近くで待機しているらしい。同じ仙台の教会の方々は、朝一番の新幹線で東京駅まで来て、そこから教会が手配したバスで東京ドームまで来るらしい。ミサが終わるのは夕方6時くらいだが、全員集まって東京ドームから東京駅までは3時間くらいかかるので、トイレが短い人は遠慮するよう言われたらしい。
東京夜9時発の新幹線と言えば最終便に近いだろうに、皆さん、大変な思いをして参加されている。それでも、まだ抽選に当たった方は幸せで、落ちた方は、イグナチオ教会で実況ビデオをパブリックビューイングで見て、明日、上智大学に来られる予定の教皇様を一眼見ようと、朝から正門前に並ぶ予定だと言う。確かに、ローマ教皇の来日はヨハネパウロ2世以来38年ぶりということもあるだろうが、今回来日されたフランシスコ教皇はヨハネパウロ2世と並ぶ、あるいはそれ以上に厚い人望があるからかも知れない。
2011年5月1日、私は、EUとのEPA交渉を目的とした日本・EUビジネスラウンドテーブルの会議に出席するためローマへ行った。当日は、ヨハネパウロ2世の列福式で世界中から100万人を超える信者がローマに集結していた。本来、こんな日にホテルなど予約出来ないのだが、EU政府の要請でローマ市長に特別に取って頂いた。同じホテルにはアフリカのカトリック教国の大統領が泊まるということで、物々しい警備だった。全世界から100万人以上一度に訪れるわけだから、当然宿泊施設は足りなくて、バチカン市内には路上宿泊者のための仮設トイレが多数設置されていた。
列福式とは聖人になる前に福者になる儀式である。福者になられれば、殆ど間違いなく聖人になる。しかし、教皇様と言えども全員が福者なるわけではない。さらに、一般的には、福者になるのは、亡くなってから数十年経った後なので、信者は、「今度、福者になられる方はどんな方だったんだろう?」ということになる。それが、ヨハネパウロ2世の場合は、2005年に亡くなられたので、なんと6年後に福者に推挙されたのだから凄い。それだけ、ヨハネパウロ2世の世界平和に対して貢献された功績は偉大だったということだろう。
この日本・EUビジネスラウンドテーブルには、富士通の同僚である林さんも一緒に参加していた。林さんは、当時、富士通とシーメンスのJVである富士通・シーメンスの会長をしておられたが、併せて在欧日本商工会議所の会頭もされていて、その立場で日本・EU合同会議に参加されていた。ローマには奥様と同伴で来られており、ご夫妻とも敬虔なカトリック信者だった。列福式の前日、私は林夫妻と一緒にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂を見学し、サン・ピエトロ寺院公認のお土産屋さんに行った。そのお店で、林さんの奥様は、事前に予約されていたヨハネパウロ2世の列福記念品を購入された。
当時の私は、まだ、信者ではなかったが、妻は、実の姉と共に学生時代に東京でカトリックの洗礼を受けていた。林さんの奥様によると、その記念品は予約していないと購入できない貴重なものらしい。それは、そうだろう。何しろ全世界から100万人以上も、このバチカンに来られるのだから。それでも、私は、店主に食らいついて「私も欲しいのだが買えないだろうか?」と交渉してみたら。なんと店主が「幾つ欲しいのか?」と聞いてきた。それでは、妻と妻の姉の分で2つ欲しいと言おうかと思ったが、そこで少し考えた。
実は、私と同じ、富士通の副会長と富士通総研の会長を歴任された、私の前任者である高島さんが前の年に亡くなっていることを思い出した。私は、高島さんには大変お世話になっていながら、お通夜もご葬儀も、上海万博の開会式に参加していて参列できなかった。だから、せめて、一周忌でも参加したいと思っていて、その時に、同じく信者さんである高島さんの奥様にお渡ししたいと思い、店主には「3つ下さい」とお願いして、めでたく列福記念品を3つ手にする事ができた。後日、初台教会で行われた高島さんの一周忌にて、その記念品を奥様にお渡しすることが出来た。その際に、奥様から、高島さんご一家はプライベートな旅行でバチカンを訪れた際に、偶然、知り合いの在バチカン公使に出会い、ヨハネパウロ2世に謁見できたことをお話しされ、大変良い記念になったと喜んで頂いた。
フランシスコ教皇のミサの話から、ずいぶんとヨハネパウロ2世の話になってしまったが、私が、どうしても東京ドームのミサに参加したかった思いは、フランシスコ教皇が、あの世界から敬意を集めたヨハネパウロ2世を超えるのではないかと言う大きな期待からである。南半球から初めて選出されたフランシスコ教皇は、歴代の教皇が居住していた宮殿には住まないで、一般の職員住宅に住んでいる。理由は「広い宮殿では、一人で寂しいから」らしい。教皇専用車も、従来の豪華なリムジンから、150万円くらいで買える大衆車に変えられたと言う。
今回、広島と長崎を訪れて核兵器に対して、かなり踏み込んだ発言をされたのにも、大きな理由があった。今から60年も前、フランシスコ教皇がアルゼンチンでイエズス会の司祭を目指して勉強中だった時に、当時、イエズス会の日本管区長だったペドロ・アルぺ神父が現れた。アルペ神父は、広島市内で修練院長を務めていた時代に自らも被曝された。修道会に入る前は医学生だったアルペ神父は、被爆者の第一次救護にあたり修練院を臨時の病院として改造し、200人の被爆者の手当てに当たった。そこで見て体験した原爆の悲惨さをフランシスコ教皇たち神学生に直接語ったのである。
アルペ神父が映像と共に語った原爆の悲惨さと、日本へキリスト教を伝道したフランシスコ・ザビエルの話に感動したフランシスコ教皇は、後に全世界のイエズス会の総長となったアルペ神父に日本への宣教を願い出た。しかし、既に肺の一部を切除しており、湿度が高い日本での勤務で、肺の病がさらに悪化するとのことで願いは却下された。それ以来、フランシスコ教皇の原爆を投下された日本への思いはますます強烈なものとなった。長崎で、広島で、そして東京でなされた教皇の核廃絶に対する厳しい発言は、教皇の体全体から発せられたものである。
「理想論を言うのは簡単だ」と言う人がいる。しかし、リーダーや為政者が理想を語らなくなったら世界はどうなるのだろうか。今週の週刊東洋経済で作家の佐藤優さんが大変興味深いことを言っている。安倍総理が、フランシスコ教皇の核廃絶声明を巧みに利用したと言うのである。核廃絶条約には賛成していない日本政府の総理ではあるが「日本は、核兵器を保有しないし、持ち込ませない」とフランシスコ教皇の前で安倍総理は言い切った。これは、日本に核武装をさせて在日米軍を撤退させたいトランプ大統領への十分な牽制になったと言うのである。佐藤優さんが言いたいことは、理想論を言わないと強かな外交すらも出来ないと言うことだろう。