父が亡くなったのは、今から17年前。死去に伴う、相続を含めた様々な手続きは全て母に任せっきりだった。まだ、77歳と若く動作もキビキビしていた母は、あちこちで間違いを指摘され、かなり手間取ったようだが、1人で無事に全ての処理をやり終えたようだ。そこで楽をさせてもらった分、今度は、私が苦しむことになった。
一昨年、突然、自宅で倒れた母を発見したのは毎日訪れてくださる弁当屋さんだった。弁当屋さんから連絡を受けた私は、東名高速を飛ばして、すぐさま駆けつけたが、母は、既に息も絶え絶えの状況だった。救急車を呼んで病院の夜間救急に運んでもらったが、病院に駆けつけてくれた医師の弟は、「こりゃ、もうダメだな」と呟いた。しかし、あの世界大戦を生き抜いてきた母は、見事に蘇生した。
1ヶ月の入院後、そのまま自宅へ戻して再び独居生活をさせるわけにはいかないと、急遽、介護施設を探して入居させたのだが、思いがけず、母は、その施設をとても気に入ってくれた。若い時から群れることが大嫌いだった母を16年間も独居生活させたのは、孤高な母には共同生活が無理だと思ったからだ。しかし、こんなに調子よく、介護士の方や、共に暮らす老人の方々とうまくやっていけるのなら、もっと早く入居させてやれば良かったと、それは、未だに後悔をしている。
循環器内科の医師からは、母が患っている大動脈狭窄症の状況では、余命2年と言われたが、その通りとなった。しかし、その2年間、毎月2回、母を介護タクシーに乗せて通院させたことは、大変だったが、今まで放ったらかしていたことへのせめてもの罪滅ぼしになったかも知れない。母は、94歳になって、さすがに、最近起きたことは直ぐに忘れるものの、昔のことはしっかり覚えており、また滑舌もはっきりしていて、込み入った会話も正常に成立していたので、とても認知症の老人とは思えなかった。やはり認知症という症状は一括りに定義できるものではないと思う。
どこの老人もそうなのだろうが、昨年、母は転倒して大腿骨骨折をして施設から病院に運ばれた。担当医師から「手術しますか?」と問われて、整形外科医の弟に相談したら、「自分が手術したいと言っても、麻酔医は、この年齢なら断るね!」と貴重な助言をくれたので、私は、素直に従った。それで、母は、生涯、自分の足では歩けない体になったが、結果的には良かったと思う。いつも車椅子の生活なので、再び転倒することによる二次災害には陥らなかったからだ。蘇生手術の有効性は、年齢にもよる。
母が残した預金資産は大したものではないが、自宅の評価額が思いの外高く、結局、課税対象になったので税理士に相続税処理を委託することにした。いつも、新聞に掲載される土地の評価額から推定すると、田園都市線沿線の我が家から見たら湘南平塚の実家など、とるに足らないと思っていたら、とんでもない間違いだった。前から、母が支払っている固定資産税が、私と大きく変わらないので変だなと思っていたら、案の定、その心配が現実のものとなった。
これは、全くおかしいと思う。どう考えても、この固定資産評価額で売れるわけがない。それは、その金額で売れたら嬉しいが、絶対にそんなことはあり得ない。もともと、固定資産税は地方税である。地方自治体は、不足する税収を確保するために、あり得ないほどの高い評価額を設定しているのではないか?と疑うのは私だけだろうか?これは全く不条理である。それでも、兄弟3人、誰も要らないという実家は売却するしかない。
評価額を遥かに下回る金額でしか売れないのに、相続税は高い評価額で課税される。その上、ダンピングして売却した金額に不動産売却益の税金が、さらに、また課せられるのだ。だから、日本中に、誰も相続しない「所有不明不動産」が増え続けるわけだ。しかし、私たちは、善良な日本市民であり続けるために、不条理でも、きちんと相続し、評価額を遥かに下回る額でも売却を目指す。本当に、正直者が馬鹿をみる社会である。
相続には、戸籍謄本が必要だが、故人が16歳以降の全ての改正原戸籍を求められる。男性の場合は、それほど面倒ではないが、女性は結婚によって戸籍が変わるので、その分、さらに厄介である。16歳は結婚を許される年齢だから、それ以降の戸籍を求められるのは、「相続人は本当にあなた方だけですか?」という意味である。例えば、私の母は、私たち兄弟3人を産む前に、誰かと結婚していて、相続人は、他にも居ませんか?と言うことが問われている。これが、結構厄介である。
今回、それらも全て取り寄せた。私の息子などは、その資料を見て毎日楽しんでいる。改正原戸籍はNHKが放映している「ファミリーヒストリー」、そのものだからだ。知らざれる、自分たちの祖先の歴史が江戸時代から全てわかる。詳しく読み取ると、昔の人が、いかに大変だったか。幼児の死亡率が、いかに高かったか。子供が産まれないと、すぐに離縁させられたことも。今ではありえない、家を継ぐための長子の改名手続き。今より遥かに頻度の高い養子縁組の繰り返しなど、興味をそそられる色々な物語が見えてくる。
こうした手続きは大変だが、その度ごとに、亡くなった故人の思い出に浸るときでもある。ようやく、母が保有していた墓の承継手続きも完了し、戒名の彫刻も依頼した。来月は、無事、納骨式を迎えることが出来そうだ。貧乏生活の中で、自己犠牲をしてまで、兄弟3人、ここまで育ててくれた母に心から感謝をしたい。