2018年8月 のアーカイブ

395 終戦の日に思うこと

2018年8月15日 水曜日

私は「終戦の日」という表現は大嫌いで、本当は「終戦の日」というより「敗戦の日」の方が適切だったと思っている。もし、この「敗戦」が無かったら、日本は未だに「北朝鮮」状態だったのではないか。この日本にとって最初の「敗戦」は多くの犠牲を伴ったわけだが、まさに、この「敗戦」によって日本は第二の開国を成就させ、今日の繁栄の基礎が築けることになったのだと思う。そして、皮肉なことに、私が、この世に生を受けたのも、この「敗戦」のお陰だった。

戦争中、私の両親は、ともに相模原の陸軍造兵廠に務めていた。父は、厚木の農家の次男で、横須賀の海軍基地に徴兵された後、退役して自宅から通える相模原の陸軍造兵廠に勤務していた。母は、東京中野の実家から相模原の上溝に疎開していた。1945年8月15日、天皇陛下の玉音放送があった直後、マッカーサーが厚木基地に降り立つまでの間、陸軍造兵廠では、戦車や装甲車、砲弾など、米軍に利用されないよう連日のように爆破作業を続けていたそうである。当時の相模原陸軍造兵廠は、現在の横浜線の3つの駅が、すっぽり入ってしまうほど広大な施設だったという。

父は、その陸軍造兵廠の経理部に勤務していたわけだが、その上司が、母の義兄だった。母は、義兄から「日本は戦争に負けた。俺たちは長野の田舎に帰って百姓をやる。これからの日本は、食べることが一番大変だ。俺の部下に農家の次男坊がいるから一緒になれ。そうすれば、まず、食うのに困ることはない。」と言われて、父と結婚することを決めたそうだ。実際、両親は伊勢原に貸家を借り、新生活を始めたが、私が生まれた後も、父は、まともな職には就けなかった。それでも、祖父は、厚木から伊勢原までリヤカーを引いて食べきれないほどのサツマイモやカボチャを運んできてくれたそうである。

陸軍が解散になって定職がなくなった父は、どうやって家族を養うお金を稼いでいたのだろう。私は、父に聞いたことがある。父は「いろいろな仕事をしたが、ある時は、平塚の海岸で塩を作っていた。仲間で海水を汲んで、大釜に入れて、海岸に打ち上げられた流木を燃やして煮詰めて塩を作っていた」と語った。敗戦後の日本人は生きるために何でもしたのだ。本当に、逞しい限りだ。その後、知人の紹介で平塚市役所に勤務するわけだが、父は、伊勢原の借家から平塚まで、毎日、自転車で通ったそうである。昔の人は、本当に足腰が強い。それでも、父は、あまりに通勤が大変なので、空襲で焼け野原になった平塚の海岸地域に自分の家を建てた。そして、信じられないことに、祖父は、相変わらず、厚木からリヤカーを引いて平塚まで、食料を運び続けたそうである。

2歳で伊勢原から平塚へ引っ越した私の家は、平塚工業高校(現平塚工科高校)のすぐ裏にあった。空襲で完全に破壊された平塚工業高校跡地は、私たちの格好の遊び場だった。なにしろ敷地内には、爆撃で壊された巨大なコンクリートの残骸が複雑に入り組んでいて、まさに天然の「ジャングルジム」、そのものだった。ご近所には、戦争から帰還した兵士が結婚した若い夫婦が大挙してやってきて、それぞれの力でバラックとしか言えない粗末な家を建てて、戦争の犠牲者を補うかのように沢山の子供を産んで育てていた。

どの家も、皆、貧しいので、子供達は着ているものもツギハギだらけだった。それでも、皆が貧しいので、私たちは自分たちが不幸だとは全く思わなかった。毎日、焼け跡の「ジャングルジム」で遊び呆けていた子供達は、一斉に近くの小学校に入学したが、新興住宅地で起きたベビーブームなので、校舎も先生も全然足りない。私の学年では、生徒55人のクラスが12組もあった。まさに粗製濫造の学校教育であった。こんなデタラメな環境の中で、私たちの小学校はこの学年だけでも12人が東大に進学した。クラス毎に一人、東大に進学したことになる。

私の家の近所も、掘っ建て小屋やバラックばかりの貧しい地域だったが、向こう3軒、両隣りの子供達は、東大、東工大、教育大(現筑波大)、横浜国大など、皆、一流大学に進学した。国立大学の学費も、国鉄東海道線の学割定期も、本当に安くてタダ同然だったからだ。「敗戦」後の日本は、貧しかったが、格差がなく、希望に溢れており、勢いもあった。だからこそ、日本は奇跡的な復興を遂げた。今の日本とは真逆である。今の日本は、生活は豊かだが、全くやる気がなく親のコネを利用して大学に不正入学を考えている子供がいる一方で、優秀で、やる気もあるのに貧しくて大学で勉強したいという願いが叶えられない子供達も多い。

日本が再び勢いを取り戻すには、やはり一度、国家が財政破綻し、厳しい貧しさから再び復興するしかないのだろうか?

394 What Happened (何が起きたのか?)

2018年8月14日 火曜日

これは、今、全米でベストセラーとなっているヒラリー・クリントン(以下 ヒラリーと略)が著した大統領選挙戦回想記の題名である。ヒラリー自身が、何を考え、どう行動したかという部分よりも、彼女の周囲で次々と起こった出来事の詳細な記述に、この本を読む価値がありそうだ。2016年にトランプとヒラリーが戦った米国大統領選は、多くの予想を裏切った結果となり、その後の1年間で、トランプ大統領による米国の大きな政策転換で、2018年の世界は政治的にも経済的にも大きな危機を迎えようとしている。

私は、このヒラリーの本を読んで、2016年の米国大統領選挙戦でトランプが勝ったのは、ロシアの介入があったとしても、単なる偶然の結果ではないと思うようになった。私と同じようにトランプ勝利を予想した経済評論家の田中直毅さんは「トランプは米国が抱えるタブーに踏み込み、多くの米国人の本音を代弁している」と分析された。もちろん、このタブーとは人種問題である。アメリカの白人達にとって、オバマ大統領の登場は悪夢で、さらに、次に女性が大統領になったら、この先、米国の大統領(=軍最高司令官)には、どんな人物がなるのか不安になったのだろう。

ヒラリーは、女性初の米国大統領として多数の女性票を獲得すると思われたが、実は、それもうまくいかなかった。例えば、黒人女性については94%もの圧倒的な支持を得て、ラテンアメリカ系の女性からも68%の支持を得ていたにも関わらず、女性票全体では54%の支持しか得られていない。これを逆算すれば、白人女性のヒラリーへの支持率は惨憺たるものだったことが分かる。白人は女性の立場であっても人種差別に反対するリベラルな女性候補であるヒラリーに投票することは避けた。というよりも、女性蔑視ではあるが、白人至上主義を唱えるトランプ候補に敢えて投票したのである。

トランプの大統領就任式に元大統領夫妻として招かれたヒラリーは出席しようか、どうかギリギリまで迷ったが、夫であるビル・クリントン元大統領に促されて渋々出席した。しかし、公民権運動で40回以上の逮捕歴のあるジョン・ルイス下院議員は、このトランプ大統領の就任式を抗議の意味でボイコットした。先日、私は、このジョン・ルイス下院議員の公民権運動に関する著作「MARCH」を読んだ。この本は岩波書店から発刊されている3部作の漫画本である。私は、最近は、漫画は読まないので「なんだ、間違って買ってしまった」と思ったが、ペラペラとめくって見ると実に深刻な内容で、一気に3冊分読んでしまった。そこには、日本人が知らない、つい最近までの、アメリカの過酷な黒人差別の歴史が書かれていた。もちろん、私も全く知らない内容ばかりだった。

リンカーン大統領が南北戦争に勝利し、アメリカは黒人奴隷を解放したのに、なぜ、ケネディ大統領は命を賭けてまで公民権法案を通そうとしたのかである。ルイス議員の著作「MARCH」によれば、1963年、ケネディ大統領が暗殺されたダラスでは、黒人の投票権を巡って連日大規模なデモ行進の最中だった。当時のダラスでは、黒人の選挙権登録には白人には課せられない難解な試験が存在し、黒人のたった2%しか選挙権が与えられていなかったからだ。ケネディ大統領は、この黒人達全員に投票権を与えようとしたので白人至上主義者達の陰謀によって暗殺されたというのである。

このケネディ大統領の後を引き継いだジョンソン大統領は、テキサス州出身で、元来は、この公民権法案に賛成ではなかったが、ケネディ大統領の遺志を実現させた。しかし、法案成立後の1968年には、マーチン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディ司法長官が相次いで暗殺され、アメリカの人種抗争の戦いは、公民権法案成立では終わってはいない。それどころか、トランプ大統領率いる共和党は、今や、黒人から投票権を剥奪しようと躍起になっている。アメリカでは、逮捕歴があると投票権が剥奪されるという法律があるので、黒人を頻繁に職務質問して挑発し逮捕に導くのだ。

人権尊重を標榜するアメリカの民主主義が、なぜ、ここまで後退してしまったのだろうか? アメリカを世界一の超大国に押し上げた底力こそが、アメリカの寛容な多様性だったはずなのに。リーマンショック後の2008年に登場したオバマ大統領は、未曾有の金融恐慌を凌ぎ、8年間の任期中にアメリカ経済を見事に復活させたが、産業構造の中身は、8年前と全く様変わりしたものになってしまった。アメリカが誇る、かつてビッグ3と呼ばれる自動車産業は見る影もなく、アメリカの「ものづくりの騎手」だったGEですら、もはやNYダウの銘柄から消えた。

代わりにアメリカの株式市場を牽引する稼ぎ頭となったApple,Amazon,Googleは、それぞれシリア移民、キューバ移民、ロシア移民が創業したもので、アメリカ建国以来、国の発展を支えてきたアングロサクソン系の白人エリート層によるものではない。加えて、グローバリズムと高度情報社会の進展によって、アメリカの所得格差は一層拡大し、白人中間層の没落は悲惨なものになった。本来なら、所得格差間の怨嗟は富裕層と貧困層の間で発生するものだが、富裕層は全人口の0.1%にも満たない限られた人々であり、大衆の目からは直接見えないので、怨嗟は人種間抗争という別な形で発現する。

トランプは、こうしたアメリカの歪な国内紛争を糧として、大統領に就任した。彼は、選挙戦中に公約した破茶滅茶な政策を次々と実行に移している。その政策の中心はアメリカファーストであり、ホワイトファーストである。この結果として、ついに好況を続けていたアメリカの景気指標もおかしくなってきた。2018年は、米中の強権政治、新興国の腐敗政治によって経済的には世界中が大変な年になりそうだ。こうした世界情勢の中で、日本だけが蚊帳の外というわけにはいかない。各企業には、足が地に着いた経営が迫られる。