製造業で優位性を失った英国の基幹産業は金融業である。米国のウオール街ではなく、英国のシティに海外本社を設置した日本の金融企業のトップの方から、「アメリカの金融システムはルール(規則)ベースだが、英国はプリンシプル(原則)ベース。だからシティに本社を移した」と伺った。どうもルール(規則)ベースで雁字搦めの規則に縛られると金融業は成長が難しいということらしい。
それではプリンシプル(原則)ベースとは、一体何なのか? どうも、シティの基本原則は、素人の一般投資家を騙したり、迷惑をかけたりしてはならないということらしい。従って、それ以外は何でも許される。つまり、プロ同士は、騙しても良いということらしい。プロの投資家であれば、騙される方が悪いということのようだ。こうしたシティの柔軟な考え方は、欧州大陸随一の金融街であるフランクフルトでは多分真似できない。EUという巨大な市場をバックにつけたシティがウオール街を凌駕した繁栄を享受できたのも、通貨はポンドではあるけれども、英国がEUに所属していたことが大きな根拠となっていた。
私は、一昨年、シティで5本の指に入るファンドを有する浅井さんの事務所を訪問した。浅井さんが、取り扱っている主要金融商品は日本国債である。なのに、なぜロンドンでビジネスを展開しているかである。その秘密は人材にあった。浅井さんのオフィスで働いているトレーダーの8割はインド人である。浅井さんに言わせると、IQ180以上で毎日3時間の睡眠で働ける人を採用したら、そうなった、これは日本ではできないということらしい。英国の基幹産業である金融業で繁栄とともにトビッキリ豊かな収入を獲得できる人達は、そういう人々である。彼らにとってみれば、英国がEUに残留することを当然支持することになる。EU域内に居るからこそ、フランクフルトの分まで、自分たちの仕事になるからだ。EUから離脱したら、これまでのシティの仕事の多くが、フランクフルトに移ってしまうことになるかもしれない。
それでは、金融業以外の業種において、この度の英国のEU離脱は、どう影響するかである。少なくとも、私が知る限りにおいて、例えば、富士通が買収したICLについては、欧州大陸のビジネスは極めて少ない割合だった。この英国に本社を持つICLの海外ビジネスと言えば、南アフリカ、インド、シンガポール、香港、オーストラリア、カナダなど、旧英連邦が主たるビジネス領域であった。後ほど、また詳しく述べたいが、欧州大陸全体を統括する地域本社を英国のロンドンに置くという選択は、金融業以外では正しい選択とは言えない。トヨタも欧州の地域本社は、EU本部がある、ベルギーのブルッセルに置いている。
数年ほど前にインドのデリーに行った時、日本の援助で地下鉄工事が行われていたが、これはデリーでコモンウエルス(Commonwealth)スポーツ大会が行われるので、その準備だという。インドの人たちにとっては、コモンウエルススポーツ大会はオリンピックより重要な競技会であるという。そのコモンウエルスこそ旧英連邦の別名である。本来のコモンウエルスは「共通善」とか「善なる目標を共有する社会連合」という意味らしいが、英国は、「旧英連邦所属の共和国による、ゆるやかな国家連合」として固有の意味をもたせている。
ロンドンのヒースロー空港に降り立つと、その入国審査の混雑ぶりに驚かされる。これは、未だ英国がEUに加盟する前から、そうだった。旧英連邦の人々が大量に英国にやってくるのである。特に、インド系であるバングラデッシュからの移民は最も多かった。その意味で、英国がEU離脱を果たしたとしても、このコモンウエルスからの移民は途絶えないだろうから、移民問題だけが、EU離脱の大きな要因ではない。
富士通は、10年ほど前にSiemensのコンピューター事業部門を事実上買収し、5年ほど前に完全子会社化した。それを機に、欧州全体の地域本社をロンドンに置いていた管理体制を抜本的に見直して、欧州大陸全体の地域本社をミュンヘンに移し、ロンドンの地域本社では英国と北欧だけを管轄する体制に変更した。先ほど、英国の旧ICLが欧州大陸では殆どビジネスをしていないのと同様に、欧州大陸側の旧Siemensも英国では、殆どビジネスが出来ていなかったからである。
英国が旧英連邦を中心としたビジネスをしているのに対して、欧州大陸、特にドイツ企業のビジネスの相手は、東欧からトルコ、ロシア、中東、そして中国というように東側を向いて海外ビジネスを行っている。EUを構成する2大勢力である英国とドイツは、実は、相互には大きな関連もなく、そして競合もなく、また関心もないように見えるのだ。そして、それは経済関係だけでなく、政治的な関係でも互いに相容れないものを持っている。
アメリカが対イラク戦争を開始した時に、英国は真っ先に参戦を表明した。しかし、ドイツはアメリカへの協力を否んだばかりか対イラク戦争に反対したのである。この時に、私はミュンヘンでドイツ人の同僚に、その理由を尋ねた。その答えは「イラクはドイツの隣国だから、仲良くしなければならない」というものだった。この時に、とっさに地球儀が頭に浮かんだが、どうしてイラクがドイツの隣国なのだろうと思った。
よく考えてみると、ドイツには膨大な数のトルコ人がいる。イラクは、そのトルコの隣国なのだ。かつて、第二次世界大戦の時に、ヒットラーが進めた3B政策、ベルリン、ビザンチン(イスタンブール)、バグダッドを結ぶ枢軸政策の終点にイラクの首都バグダッドがある。そして、それは、英国の海外戦略である3C政策、カイロ、ケープタウン、カルカッタに真っ向から対立するものであった。英国が、EUに加盟しながら通貨をポンドからユーロに変更しなかった理由、ドイツが、未だにユーロだけでなくマルクも使えるように残している理由は、欧州における、このG2(英国、ドイツ)の覇権争いなのかもしれない。
英国のEU離脱は、まだ、今後に、どのような大きな問題を引き起こすか誰にもわからない。しかし、ドイツを中心とするEU側が、英国に残留するよう懇願するのではなく、英国に対して「出て行くなら早く出て行け」と最後通牒を申し渡したということは、ドイツは、既に、こうした事態を早くから織り込み済みだったのかも知れない。