これからお話しする水野 稚(ゆか)さんと、私が初めてお会いしたのは、昨年11月、東京港区白金台にあるプロダクションの控え室だった。私と一緒にネットTVに出演するMC役の杉山千明さんは、ちょうど着替え中で、私が一人でいる控え室に、私たちの次に出演するMCの稚(ゆか)さんが入ってこられた。見れば、笑顔がとても素敵な美しい人である。しかし、その優しい笑顔とは裏腹に、初対面の私に機関銃のような早口で話しかけてきた。
どうやら、稚(ゆか)さんは、英国オックスフォード大学で学んだクイーンズイングリッシュを駆使して英語の先生をしているらしい。米国駐在で、私が学んだ実用的なアメリカンイングリッシュでは、とても太刀打ちできそうもない。そして、先日、TVにも出演し、英語教育論で名高い論客と舌戦を繰り広げたことも話してくれた。「私、ディベートでは、誰にも負けませんことよ」と言う。もとより、私は、こうした滑舌のしっかりした女性とディベートをして勝てる自信など毛頭ないので、ひたすら、ただ、稚(ゆか)さんの話を聞くばかりだった。
私が、あっけにとられていると、「お紅茶でもいかがですか?」と、愛らしい笑顔で誘われたので、素直に頷くと、控え室の戸棚から紅茶と茶器を取り出して、英国仕込みの本格的な振る舞いで、静かに、そして丁寧に紅茶を入れて下さった。ほんの、一瞬のうちに起きた、この二つの出来事、なんという大きなギャップだろうか。
次にお会いしたのは、今年の正月、プロダクションの新年会だった。稚(ゆか)さんは、おしとやかな和装のいでたち、昨年、あの控え室で会った稚(ゆか)さんとは全くの別人だった。新年会での稚(ゆか)さんは、同じく和装のご婦人たちに囲まれていて、近寄る術もなかったが、稚(ゆか)さんの方から私を見つけてくれて、話しかけてくれたので、とりあえずFacebookの友達になることだけ約束して別れた。
その後、稚(ゆか)さんのFacebookの投稿を見て驚いた。毎日のように、お家ご飯の写真を投稿されているのだが、それがとても素晴らしいのだ。料理というのは、味もさることながら、見た目の美しさは大きな要素である。稚(ゆか)さんの料理は、例えば和食であれば、まさに高級料亭で出される様式、そのものである。お盆、お箸、お椀、お皿と、料理の彩りや配置まで完璧である。
実は、稚(ゆか)さんは、意図を持って、昨年から和食をテーマに自分の料理をFacebookに投稿していた。稚(ゆか)さんのFacebookは多くの海外の友人も見るので、この場を利用して和食のアピールをしているのだ。時折、献立をバイリンガル併記しているのも、主宰する英語学校の生徒さんをはじめとした読者が和食を英訳するヒントにもなるからとの理由である。また、日本の陶器や漆器の素晴らしさを日本人である自分たちも認識し、日常的に使いましょうという提案をしたくて掲載することもある。あるいは、知人の漆器作家を応援するために、どの漆器を使っているかを解説しているときもあり、この手をかけた、お料理の投稿も、実は稚(ゆか)さんの深い思いがあった。
あの只者ではない迫力と、和装での品の良い所作、そして、この料理の繊細さが同居した稚(ゆか)さんは、一体、どんな物語を持っているのだろうか? 一度、インタビューしてみる価値がありそうだと思い、思い切って申し込んだら、快く引き受けて下さった。
稚(ゆか)さんのお父上は、かつて商社マンとして世界中を飛び歩いていた。英語の世界に興味を持ったのも、お父上の影響は少なからずあったに違いない。お父上が名付けた名前の稚(ゆか)は、偏が「若木」で、旁が「小鳥」で、いつまでも成長、向上するとの意があるらしい。まさに、これからお話しする稚(ゆか)さんの人生、そのものであり、その意味で、稚(ゆか)さんは、お父上の思い通り生きてきたとも言える。
しかし、稚(ゆか)さんとお父上との関係は、当初は深刻な確執から始まった。お父上は、特に勉強が好きでないのならば、高等教育は必要ないとの主張を曲げなかったのだ。しかし、なんとか進学の許可を得て、長女の稚(ゆか)さんは、英文学ではなく、当時はまだ珍しかった英語コミュニケーションを学べる大妻女子短大へ進学した。卒業後は、社会人となったが、お給料を貯めて作った学資で、日本語教師養成学校へ進んだ。
稚(ゆか)さんは、社会人を辞めて「日本語教師」となることを決意する。つまり、外国人に英語で日本語を教える教師から、稚(ゆか)さんの教師人生は始まった。帰国子女や留学経験者には英語力では叶わないだろうし、母語の日本語なら好きな英語で教えられるかもしれないという動機だった。英語からの一種の「逃避」でもあった。
しかし、何事も一生懸命やっていると運が向いてくるものである。青山に本社がある、ホンダで部課長クラスの方々に英語を教えてくれないかという話が持ち込まれる。英語と日本語の音声の違いを踏まえながら、カタカナを活かして、英語のリスニングと発音を習得するという独自の教授法は、高い評価を受け、NECや日立製作所などのエンジニアの英語研修も担当することになる。ここでも、稚(ゆか)さん独特の教え方が評価される。
しかし、稚(ゆか)さんは、英語力が人事考課項目として、必要以上に取り上げられる社会的風潮に違和感を感じていた。そして、「日本の頭脳であるエンジニアのみなさんに、英語で自信を失ったり惨めな思いをさせたくない。出来るだけ本来の研究に没頭させてあげたい。」との思いを抱くようになる。それが、「TOEICの点数を会社から求められているなら、さっさと取ってしまいましょう。スコアアップは必勝法を教えますので、良い点が取れたら、無罪放免で研究に邁進してください!」という指導方針を生み出したわけである。
稚(ゆか)さん独自の学習法を用いると、TOEICスコアが3ヶ月のコースで100-200点上がる場合が多数あったことなどから、受講生のアンケートによる講師評価ランキングでは圧倒的な1位を長らく獲得していた。評判が評判を呼び、その後、兼松やEPSON, 東芝などからも依頼が舞い込んでくるようになった。まさに、稚(ゆか)さんは、カリスマ英語教師となったのである。
それでもなお、稚(ゆか)さんは、自分のレッスン受講生がビジネスパーソンやエンジニア、研究者として一流なのに、英語の出来不出来、しかもTOEICの点数が人生を左右しかねないという状況に納得がいかなかった。しかし、一介の英語講師がこうした状況を打開することは到底無理だと考えた結果、恩師の助言もあって、青山学院大学の国際政治経済研究科修士課程への進学を決意したのである。言語学や英文学ではなく国政経を選んだのは、日本企業における英語教育を研究対象にしたかったためだという。英語教育を国際政治や経済の動きと切り離ずに考える必要があるという動機であった。
青学で国際コミュニケーション学修士号を習得した後、さらなる研究のために東大博士課程に進学した稚(ゆか)さんだったが、入学早々の面談で「将来の自分の可能性をひろげるためにも留学した方が良い」と英国留学を勧められた。稚(ゆか)さんは、「東大博士課程までようやく到達したのに、さらにまだ行かないといけないところがあるの?!」と躊躇したが、尊敬する指導教官の辛抱強い説得に、やるしかないと決断する。留学を決意してから間もなく、数人のオックスフォード卒業生に立て続けに出会ったことから、これは天からのメッセージだと考えて同校への進学を決意する。
東大だけの経歴では不足することもあろうが、オックスフォードの経歴があれば、一層の箔がつくことは間違いないだろうという現実主義的な思いもあり、早速、オックスフォード大学から入学願書を取り寄せて応募するのだが、もう今年は定員に達したので締め切ったとの返事が来た。つまり、海外の大学院は、締め切ってからテストをするのではなくて、募集を始めたら、どんどんテストをして、合格者には入学許可を出して締め切りが来る前に実質的には募集を終えてしまうのである。
稚(ゆか)さんは、こうした基礎知識の欠如で、まる1年間を棒に振ってしまうことになった。しかし、神様は意味のないことはなされない。この直後に、お父上がくも膜下で倒れられた。稚(ゆか)さんは、神様から与えられた、この1年間を使って、お父上の看病とリハビリに目処をつけた上で、見事、念願のオックスフォード大学大学院に入学する。
ところで、オックスフォード大学は、入学するまでは厳格で容赦ないが、一旦、入学すると先生も職員も同級生も、困った時には、親身になって相談に乗ってくれたのだという。ここまで語った稚(ゆか)さんは、いきなり涙目になった。実は、オックスフォード大学大学院に入学してから、お父上が、今度は脳梗塞発作を起こして倒れたのである。
当初は、留学に反対していたお父上も、稚(ゆか)さんが、ここまでやると、むしろ支援者となり、自分のせいで稚(ゆか)さんの足を引っ張りたくないので、知らせるなと言われたそうである。それでも、もう予後が悪いと悟った母上は、英国の稚(ゆか)さんにお父上の危機を知らせた。日本の大学でも同じだが、親が倒れたので休学したいと言っても、そう簡単には認められない。それは英国でも同じである。
しかし、大学の教授や、所属していた学寮、学寮の医師らが団結して、稚(ゆか)さんが父の病気による心身の疲れを治療するためとの方便を使って、論文提出期限の延長を認めてくれたのだった。そして、父親の看病を終えた稚(ゆか)さんは、猛烈な勉強で遅れを挽回して、修士論文でDistinctionという最高の成績を取得した。もちろん、この陰で同級生の多大な協力があったことも大きい。そして、この同級生は、今や、オックスフォード大学で世界中の学生の英語教育を担う責任者となり、稚(ゆか)さんが開校した英語学校への強力な支援をしてくれている。
当初、箔をつけるために入学したオックスフォード大学だったが、先生や同級生、先輩や後輩を含む同窓会メンバーなど、多くの人脈を得ることができて、今の稚(ゆか)さんの活動に多大な協力を与えてくれている。当面の稚(ゆか)さんの目標は、自身が主宰する英語学校を、これまでになかった文化や教養や論理的思考も学べる場に育て、志ある日本人を育成することである。そして、これが実現した後は、基金を作り、自分のように社会人を経てオックスフォードへ留学したい女性を支援していきたという。それは、これまで自分を支えてくれた人たちへの恩返しだと稚(ゆか)さんは言う。稚(ゆか)さんは、その名前に恥じない、光り輝く女性たちの一人である。
稚(ゆか)さんが書かれた、以下の本は、まさに痛快な実用本位の英語習得本です。私も、のめり込むように一気に読み終えました。米国で3年間個人教授から英語を習得した経験から言っても、どれも頷くことばかりです。ぜひ、ご一読いただければ幸いです。「これだけで聞き取れる!英語リスニング、たった3つの秘密の法則」水野 稚 著 Gakken出版