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314  人生第二幕の始まり

2015年6月24日 水曜日

昨日、6月23日、45年間、勤めた富士通グループを完全退職した。それも、昨年、富士通及び富士通総研の顧問職に就いた時から、既に折り込み済みであった。その代わりというわけでもないが、一昨年から勤め始めた日立造船株式会社の社外取締役に加えて、牛丼のすき家で知られる株式会社ゼンショーホールディングス(以下ゼンショーと略)、及び、勘定奉行で有名な株式会社オービックビジネスコンサルタント(以下OBCと略)の社外取締役を勤めさせて頂くことになった。これも、幸運の女神が未だ私を見捨てていない証拠だと大変喜んでいる。

この3社の共通点は、現在のTOPが創業者だということである。そう言うと、日立造船は創業130年の老舗企業なのに、なぜ、現在のTOPである古川会長兼CEOが創業者なのかと追求されるだろう。しかし、日立造船はかつて世界第二の造船会社であり、最盛期は売上の80%を造船業が占めていたことを考えると、その造船業を止めてしまうことを決断された古川会長は、やはり第二の創業者と言っても決して過言ではない。日立造船は、今や新興国における環境事業の花形となった、ゴミ焼却発電プラントでは世界一のシェアを有する企業である。

創業者のTOPには、やはりカリスマ性がある。日立造船のゴミ焼却発電プラントも、ゼンショーのすき家も、OBCの勘定奉行も、最初から順調に事業を急拡大してきたわけではない。最初は、何年か耐える時期があった。それこそ、周囲からは、いろいろな批判や助言が入ってきたであろう。しかし、日立造船の古川さん、ゼンショーの小川さん、OBCの和田さんの、お三方とも、周囲の雑音には惑わされず、自らの信念を曲げることはなかった。その何年か耐えた後に、しっかりと急拡大するチャンスを掴んだのだ。そこが、カリスマ経営者たる所以なのだろう。

ゼンショーは、昨年、すき家の労働環境問題でマスコミから徹底的に叩かれた。元来、強い社会正義感を持っている小川さんにしてみれば、この攻撃は耐え難い屈辱であっただろう。だからこそ、小川さんは、この問題の本質を見極める第三者委員会の委員長に日本で一番厳しいと言われる久保利英明弁護士にお願いをしている。予想通り、久保利弁護士は、成長のために過剰労働を容認するゼンショーの企業文化そのものに対する徹底的な改善を求めた。

この久保利弁護士の指摘を受けて発足した職場環境改善促進委員会の委員長には白井克彦早稲田大学前総長が就任し、これまた大変厳しい答申が出されたわけだが、これも小川さんにしてみれば、とっくに織り込み済みだったのかも知れない。こうした答申を受けて、今、すき家を始めとしたゼンショーグループ全体が大きく変わろうとしている。

何しろ、やるなら徹底的にやらないと気が済まない小川さんのことだ。「すき家で働いていることを親や子供に誇れる。そういう会社にしよう」と小川さんは全社員に呼びかけている。ゼンショーは、今回の株主総会で定款変更を行い、保育事業を付け加えた。この保育事業は外向けというより、子供の養育に心配なくクルーに働いてもらおうという意図である。日本中を覆う深刻な人手不足に対処するには、小さな子供を抱えたママさんの助けが絶対に必要だからだ。

2014年度のゼンショーの決算は、こうした労働環境改善の措置としてワンオペの深夜営業を中止した結果、創業以来の初の赤字転落、無配となったが、株主総会でそれを責める株主は一人もいなかった。やはり、企業は人が財産であり、多くの株主が、今回の赤字転落を、ゼンショーの、次の成長に向けての「意思のある、お踊場」と捉えたものと考えられる。

会社を急成長させるための、迅速な意志決定についてもカリスマ経営者は、その力を遺憾なく発揮するが、会社が進むべき方向性を急転換させることにも、カリスマ性は力を発揮できる。今回、絶対的なワンマンで、カリスマ経営者であった、小川さんが、久保利英明弁護士や白井克彦先生の忠告を素直に受け入れたのは、根っからのカリスマ経営者としての自信に根付いたものだったのかも知れない。

昨年、私は、すき家問題でマスコミから徹底的に攻撃されているゼンショーから社外取締役就任のお話を頂き、正直、少し迷いがないわけではなかった。しかし、小川さんに直接お会いして、以下のお話を伺う中で、私の迷いは完全に吹っ切れた。

2011年3月11日に東日本に起きた未曾有の大災害。その3日後の、3月14日に、小川さんは寝袋を持参してトラックに乗り込み何万食ものすき家の牛丼を持って三陸海岸の各被災地の炊き出しに、10日間も渡り歩いたのだ。小川さん曰く、「あんな寒い時に冷えたオニギリとパンだけでは体が温まらないでしょう。暖かい牛丼と熱い味噌汁とお新香の3点セットを口にしたら、被災者はきっと救われますよ。」 小川さんは、さらに次のように付け加えた「嬉しかったのはね。自衛隊から『どうやったら、そんなことが出来るんだ。教えてくれ!』って言われたことですよ。」

この日記の中で、何度も書いていることだが、私は、3月11日に起きた東日本大震災には、これからも、一生関わっていこうと思っている。大体、この日記を公開しようと思ったきっかけも東日本大震災だった。だから、この小川さんの、この話には、正直、これは参った!この人には勝てない!と思った。小川さんが常々、ゼンショーの社是として唱えている「世界から飢えと貧困をなくす」という文言は、単なる見せかけの呪文ではない。私も、これから始まる人生第二幕の中で、その社是の実現に向けて、微力ながら、お手伝いができればと思っている。