2014年12月 のアーカイブ

290    私にとっての2014年とは

2014年12月25日 木曜日

私のとっての2014年は、本当にかけがえのない1年であった。まず最初に、昨年から1年間、鷺沼教会の松尾神父様から勉強をしてきて、ようやく許された洗礼の儀式のことをお話ししなければならない。私はカトリックの洗礼を受けていた妻と結婚する時に、妻が所属していた山形カトリック教会に3回通って、にわか教育を受けている。その妻が学生時代に洗礼を受けたのは東京渋谷の初台教会であった。私の前任者として、同じく富士通の副会長をされ、また同じく富士通総研の会長をされた高島さんが初台教会の信者さまで、亡くなられた後も、初台教会のクリプタに眠られておられるのも本当に不思議なご縁である。

1年間、毎週、松尾神父様の聖書の講義を受けて、ようやく復活祭に洗礼を許されたのにも関わらず、今年の復活祭、4月20日、私は1週間の米国出張を終えて、ニューヨークJFK空港で日本への帰国便を待っていた。そのため二週間後のGWの真っただ中の5月4日が私の洗礼の日と定められた。GWの後、松尾神父さまが、鷺沼教会の信者さまたちとスペインへ巡礼の旅に出てしまわれるからだった。私の代父は、栄光学園高校時代に洗礼を受け、東大の学生時代からの親友で、同じく富士通に勤務していた岩渕さん。

そして1年間、松尾神父さまに一緒に講義を受けていた二人の仲間も、GWにも関わらず、私の洗礼式に出席して頂いた。そうした、皆の祝福を受けて私は無事洗礼を受けることが出来た。洗礼名は、今年NHKの大河ドラマの主人公だった黒田官兵衛と同じSimeonにした。神父さまも、「記憶に残る良い名前だと思いますよ」と賛同して下さった。黒田官兵衛は自身の洗礼名Simeonだけでなく、「如水」という号までもユダヤ人の英雄であるヨシュアから取っているほどの生粋のキリスト教信者である。

無事、洗礼を受けた5月の下旬、富士通の本社人事から6月の株主総会の時期をもって退任する旨の内示を受けた。1970年に入社して、44年間の永きに渡って勤めさせて頂いたことには本当に感謝している。しかし、ここで不思議なことが起きた。退任の内示を受ける前の日に、人生で初のホールインワンをしてしまったのだ。しかも、富士通のパートナー様をお招きして開催した女子プロとのプロアマ戦である。何と、ショットガン32組、132人の大コンペでホールインワンをやってしまった。普段、グリーンにも滅多に乗らない私が何とホールインワンをやるなんて、全く考えられないことが起きた。人生は本当にわからないもので、油断は禁物である。

そして、今年は、これだけでは終わらなかった。いよいよ正式に退任する6月25日の当日に、NHKで最も高視聴率のニュース番組、ニュースウオッチナイン(NW9)に私が登場することになったのだ。NHKが企画した特集番組「社外取締役」にて、私と私が社外取締役を務めさせて頂いている日立造船が取り上げられた。たった7分ほどであったが、このゴールデンアワーのヒット番組での反響は絶大で、多くの方々より「見た!見た!」との連絡を頂いた。まさに、私にとって、この上ない一生の記念となった。

そういう大事件があったからか、どうかわからないが、富士通を退任してからの、この半年間は、妻に言わせると「現役のとき以上に忙しい」ことになった。従来以上に頻度が増えた講演依頼、社外団体の役員会、海外調査団への同行など、今のところ、体調に気をつかいながら何とか無事にこなしている。何ヶ月も前から企画した講演会に穴をあけてしまったら、主催者はどれほど困るだろうと考えると万が一にも欠席はできない。お陰様で、この半年間で月平均で4回、合計30回近い講演会を無事こなすことも何とか出来た。

講演会で、大勢の方々の前で、お話をするようになると、やはり好い加減なことは話せない。そのために、話す内容の何倍も勉強をする。そして、やはり、どこかで聞いてきた話は、迫力に欠け面白くない。実際に、この目で見てきた話はリアルで訴求力もある。だからこそ、迫力のある話をするために、実際の現場に行って見てみようと言うことになる。もともと、好奇心が強いほうなので、現場に見に行くことは大好きである。こうした取材のための出張で、またスケジールはさらに詰まって行く。

本社人事からは、「退任後、顧問という肩書きは1年間だけ残りますが、車もお部屋もなくなりますので、もはや出社には及びません」と言われたが、元々、現役時代から、外歩き専門で、殆ど出社していないので、退任してからも生活は現役時代と全く変わらない。むしろ、お客様と接している最前線の営業マンからは、これが最後の仕事とばかりに、現役時代以上に、どんどん仕事の依頼が来る。家内からは、もう少し仕事を減らしたらと言われるが「もうすぐ、声もかからなくなる。まだ、声がかかるうちが花、せめて、その間だけでも応えなくては」と言い訳をしている。

来年6月からは、いよいよ、本当に第二の人生が始まると思うと、なお一層ワクワクする。これまで、あちこち外に出歩いている分だけ、出会いの機会も多かった。特に、最近は、今まで以上に、多くの日本を代表するVIPとお会いしている。やはり、高い地位に登り詰められた方は、中途半端な人生を歩んではいない。そして、皆様、話が上手で、また面白い。だから多数の集団を束ねるリーダーで居られるのだろう。どうやら、今年2014年に引き続き、来年2015年も忘れられない1年になりそうだ。

289  久しぶりのロンドン (その5)

2014年12月25日 木曜日

今回、ロンドン視察では多くの方々との出会いがあったが、ロンドン大学(UCL:ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン 以降UCLと表す)の眼科学研究所の主任教授である大沼信一先生との出会いは、私にとってとても新鮮だった。大沼先生から大変面白い話を沢山聞かせて頂いたので、ここで、少しご紹介をしたい。

大沼先生は、UCLで最先端医療の研究をされているわけだが、なぜ、最先端医療研究に最適な診療科が眼科なのかを教えて下さった。目は皮膚を通さず外界に開かれており、外から簡単に観察出来る唯一の器官だからだとのこと。そういえば、先日理化学研究所で行われたIPS細胞による世界で最初の再生治療も適用臓器は目であった。大沼先生は、その理由は、目であれば、施された再生治療の経緯を、外からつぶさに観察出来るからだと言う。

そして、もう一つ、目が最先端医療で注目されるのは、眼球に注入された薬は、一切眼球の外に出て行かないからだと言う。それは、目が、外に開かれているため、外から眼球内に侵入した毒物を、目の奥にある、人間にとって最も重要な脳に運ばないように徹底したフィルタリング機構を持っているからだという。このため、本来は、心臓や肝臓など他の臓器に重大な副作用をもたらす薬も目の治療には安心して使えるのだそうだ。「目って、凄い!」と私はとても感心した。

次に、大沼先生は、ご自身が勤務されているUCLのことについて語りだした。UCLは幕末の1863年、伊藤博文や井上馨など、いわゆる長州五傑と言われる人々が留学して以降、日本の歴史を変えた多くの著名人が留学をしてきた。夏目漱石もそうだし、近年では小泉純一郎元首相も留学されている。まず、なぜUCLなのか?という謎から大沼先生は説明をする。

英国の名だたる大学と言えば、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学だが、伊藤博文が英国に留学したときには、両大学とも、男性で英国国教徒、しかも貴族でないと入学出来なかったのだ。一方、UCLは、女性はもちろんのこと、人種、国籍に拘らず、世界中から優秀な学生を集めていた。このダイバーシティの差が、UCLを英国だけでなく世界の名門として認知させることになるが、これに我慢がならないオックスフォード大学、ケンブリッジ大学は何度もUCLを潰そうと画策したが、あの進化論のダーウインを輩出するなど理系教育にすこぶる秀でていたため、結局UCLが潰されることはなかった。つまり、幕末時代の長州五傑は英国で外国人の門戸を開放しているUCLしか入ることが出来なかったのだが、日本を先進国に引き上げるイノベーションを身につけるに、UCLへの入学は大成功だった。

大沼先生は、昨年2013年が長州五傑渡英150周年にあたることから、長州出身の安倍総理も巻き込んで大々的な150周年イベントをロンドンで開催され、大成功を収められた。それにしても、今から150年も前の鎖国をしていた日本から、どのようにして、長州の下級武士の出身であった伊藤博文や井上馨たちがロンドンまで来て、単に暮らすだけでも大変なのに、大学にまで通うような基盤が、どうしてロンドンにあったのかが大きな謎である。

大沼先生がいろいろ調べた結果、150年前のロンドンには、既に、日本人町があったのだそうだ。彼らの職業は刺青師だった。当時、西欧では、特に上流階級で刺青が大流行で、日本から多数の刺青師が、禁令を犯してまで、海を渡ってロンドンまで出稼ぎに来ていたのだという。長州五傑は、この刺青師たちの先導によってロンドンにまで渡り、彼らが住む日本人街に住んで、UCLへ通ったとのことである。

それにしても刺青師がロンドンに多数住んでいたとは驚きである。さらに、大沼先生は、もっと衝撃的なことを教えて下さった。1891年(明治24年)滋賀県の大津でロシア皇太子ニコライ公(後のロシア皇帝ニコライ2世)が日本人警察官に襲撃される事件、いわゆる大津事件があった。そもそも、ロシアの皇帝になられるという由緒正しい高貴な方が、この極東の日本にまで、どうして、わざわざやって来たのか?という疑問が当然沸かざるを得ない。大沼先生は次のように解説する。ニコライ皇太子は、日本に来て、当時西欧の皇族、貴族の間で大流行していた刺青を本場日本で、最高の刺青師に彫って欲しかったのだと。

さて、話は変わるが、来年2015年は、今度は薩摩から19人の留学生が、1865年(慶応3年)日本を密出国し、UCLに留学してから150周年である。その薩摩衆19人とは、森有礼など、これまた明治の日本の発展に大きく寄与された方々ばかりである。大沼先生は、鹿児島県出身の政財界人と、どのようなイベントを起こすか、今懸命に案を練っておられる。そして、大沼先生は、日本を大きく変えた賢人達が、ご禁制を犯してまで、はるか遠い、このロンドンにまで勉学に来た、そのチャレンジャー精神を、今の日本の若者達にも、ぜひ持ってもらいたいと、日本の高校生のロンドン留学を企画されている。

ああ、大沼先生のお話は、本当にスケールの大きな面白い話だった。

288  久しぶりのロンドン(その4)

2014年12月14日 日曜日

私たちは、英国教育省を訪問し、英国の初等中等教育への取り組みついて話を聞くことにした。その私たちのリクエストに答えるために説明をしてくれた担当者の部署名はInternational Education Divisionであった。このことは、英国の初等中等教育の先進性を表しているとともに、英国の初等中等教育が抱く深刻な苦悩を表しているとも言える。

教育省のプレゼンテーションを説明する前に、その中には含まれない、英国社会の悩みを知っておかなければならない。英国は世界で米国と並ぶ極端な格差社会であり、格差の固定化という意味ではアメリカを凌駕して、多分世界一であろう。中でも、教育制度は格差の世代間固定化と大きく関係しているので、格差を語る時に極めて重要な要素となる。

米国も英国も、社会を支配する特権階級の教育は私立学校に依存しており、多くの公立学校は、いわゆるエリートの育成には関与していない。一般的に欧州各国が悩む移民の増大は格差拡大に一層拍車をかけている。英国も例外ではなく、貧困層が多く住む地域の公立学校は、既に、イスラムの子供達が多数派となっている。この状況は、ヒスパニック系の移民が多数派となったアメリカの公立学校とは全く違う様相を示している。

イスラム系の人々は、カトリック信者であるヒスパニック系住民とは全く違う行動をとる。つまり、学校全体をイスラムの教義で支配してしまうのだ。そうした多様性を認めないイスラム系住民の学校支配によって、非イスラム系の住民は排除され、その公立学校は完全にイスラムの学校になってしまう。このことは英国教育省にとっても、極めて重要な課題であるはずである。こうした英国社会の苦悩を前提にして、英国教育省の初等中等教育の政策に対する説明を聞かないと私たちは判断を誤ることになる。

その英国教育省の新たな方針は、驚くべきことに、さらなる公立学校の自治拡大であった。中央政府は、もはや、学校の教育方針に関与しないというのである。これは、素晴らしい方針のように聞こえるが、現在の英国の公立学校の実態を考慮すると「政府はイスラム化した公立学校には、もはや関与しない」として突き放した風にも見える。しかし、一方で、「学校運営は自立的に行われるべきだが、その透明性を高くして、あらゆるデータをオープンにすべきで、政府の公立学校に対する評価や支援も全てエビデンスベースで行う。」とも言っている。これは、「学校運営をイスラムの教義でやるのは結構だが、結果が出なければ、あなたの学校には優秀な生徒は誰も行かなくなるぞ」と脅しているようにも見える。

もちろん、英国教育省は、こうした学校自治の問題だけを言っているわけではなく、素晴らしいことも言っている。一クラスの規模は30名以下でなければならないとか、貧困層の生徒を救済するためのあるべき給食制度の姿についても言及している。さらに、学校の国際化についても言及しており、現在、英国の公立学校の生徒の16%が英語以外の言語を話すが、3年前には13%だったから、今後、その割合は、さらに高まるだろうと述べている。ここで、私たちに説明してくれた担当者の部署がInternational Education Divisionであったことが、ようやく理解出来る。もはや、英国の初等中等教育は、Internationalに考えざるを得ないところまでに来ているのだ。

一方で、貴族や富裕層といった英国の特権階級は子供が生まれると同時に、通うべき私立学校の入学許可を得るのだと言う。これまで、何百年にもわたり続いてきた英国の教育制度は特権階級の固定化に永らく貢献してきたが、それは、おそらく、これからも変わらないだろう。しかし、国民の中での格差拡大は、国の安定を危うくし、経済成長に対しても、よいことは一つもない。そう考えてみると、英国教育省の初等中等教育における理系教育重点政策が、少しずつ理解出来てくる。

一般的に、文系教育は格差の固定を継続し続け、理系教育は階級を乗り越える可能性を与えると言われている。未だに、職業の固定化を義務づけているインドの身分制度の中で、実力で生まれた階級を乗り越えるにあたり、もっとも有利な職業がITエンジニアだった。それで、インドは世界一のIT大国にもなった。英国は、そのインドに習って、社会のダイバーシティを拡大できるか、その真価が問われている。一方、日本の初等中等教育制度は、一体、何を目指しているのだろうか? 私たちは、それを良く考えてみたい。