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275 「フクシマ」を救う中西友子先生

2014年7月21日 月曜日

福島を「フクシマ」とカタカナで表現されることを福島県人は最も嫌う。日本を代表する農業県である福島県の農産物が、未だに放射能に汚染されているような誤解から風評被害を生む可能性があるからだ。実際には、厳しい検査を全数受けている福島県の農産物は近隣県のものより、むしろ安全である。それでも、福島県人も含めて、かなりの方々が福島県産の農産物を避けるのは、何万年も消滅することはないと言われる放射能汚染土壌の中で育った農産物に対して「未だ3年しか経っていないのに、どうして安全と言えるのか?」という純粋な疑問をもっているからであろう。

 そうした疑問に丁寧にわかりやすく答えているのが、中西友子先生が書かれた「土壌汚染」という著作である。東大農学部で放射線照射によって農産物の品種改良に長年携わってこられた中西先生は、同僚の先生方を募って、震災直後から、福島第一原発による深刻な放射能汚染地域に入り、土壌や農作物、家畜の汚染の影響を時系列で調査されてきた。この作業に参加された先生方は、農学部だけにとどまらず理学部、工学部、医学部と多くの専門分野の先生方が手弁当で調査されてきた。しかも、将来のことを考慮して、若い学生は一切同行させず、年配の先生方だけで自ら測定されたと伺っている。

 この「土壌汚染」という本を読んで、私は、本当に救われた思いがした。大震災以降、多くの被災地を定期的に訪れているが、三陸沿岸地帯の津波被災地と福島の放射能汚染地域の深刻さは質が全く違う。放射能は、目に見えないからこそ、一層大きな恐怖がつのる。そうした、恐怖に対して、この中西先生たちの調査結果は一筋の光を与えてくれる。結論から言えば、福島で安全な農産物や畜産物を生産することは、きちんとした知識を持てば全く問題ないと結論づけている。そして、そのことをわかりやすく解説してくれている。

 先月25日、この日は、たまたま、私が富士通を退任する日だったのだが、念願であった、中西友子先生の講演を聞きに行った。もともと分かりやすい中西先生の語り口を肉声で直接伺えたのは、私の放射線に関する見識を深めるためにも大きな収穫であった。私が、中西先生から教えて頂いた知見を、これから、この欄でご紹介したい。

 もともと、放射能汚染の元凶はセシウムである。長年、放射能の研究をされてきた中西先生を含めて、多くの放射線の専門家の先生たちが、今回の調査で、初めてセシウムの挙動を知ったというのだから、素人である私たちが知り得るはずもなかったわけだが、実は除染を推進してきた環境庁も、こうした事実を知る由もなかった。その意味で、これまで多くの無駄な除染作業をしてきたことにも繋がっている。

 とにかく、大事なことは「セシウムは付着した場所から移動しない」のだと言う。木の葉、木の幹、及び表土から殆ど移動しない。3年経った今でも、表土から2−3cm、それ以上深くまでは沈降しない。だから、雨水によってセシウムが地下深く浸透して地下水に影響を与えることもない。逆に言えば、何万年もセシウムは表土にずっと残り続けることになる。

 そして、さらに今回分かった、驚異的な事実は、殆どの植物が土壌から、一切のセシウムを吸収しないことであった。このことに気がついた中西先生の実験室では、さらに興味深いことがわかった。植物は放射能に汚染された土壌から一切セシウムを吸収しないのに、放射能に汚染された水だけで栽培するとセシウムをたっぷり吸収するという事実である。つまり、セシウムは土壌と強く結びつく性質を持っていて、この土壌からは植物の内部に全く入っていかないのだ。

 このことが、農地の土壌に対しては、完全な除染が進んではいないにも関わらず、そこで、新たに栽培された農作物は全く放射能が検出されない安全なものが生産出来るという理由である。中西先生によれば、地球は、誕生直後から強い放射線に覆われており、その中で、生物は進化を続けてきたので、もともと放射能に対して強い耐性を持っていると言うのである。

 中でも一番驚くのは、乳牛に関する放射能汚染調査で、原発事故直後に深刻な放射能汚染を受けた飼料を食べた乳牛から絞られた牛乳も深刻な放射能汚染を受けていたわけだが、その後、汚染されていない飼料を与えたところ、20日後には、原発事故以前の状態と同じ、全く汚染されていない牛乳が得られたという。つまり、植物は土壌から放射性物質を吸収しないし、動物は一度取り込んだ放射性物質を排出し、体内に残さないという優れた放射能耐性能力を持っていることが判明したのだという。中西先生は、ここで悲しそうな顔をして語られた。「だから放射能汚染地域に居た乳牛達を殺す必要はなかったのです。彼らは、汚染されていない飼料さえ与えれば、また、再び全く問題ない牛乳を生産することが出来たのです」。

 こうした現象を理解すれば、森林についても、特に大掛かりな除染をする必要はないということになる。今、生えている木は葉や幹の皮が汚染されているので、伐採した後で焼却する必要があるが、その後に植林した木材は土壌が汚染されていても、木の中にセシウムを吸収することがないので、成長したあとは、安全な木材として活用出来るということになる。

 ただ、例外が二つある。一つはキノコで、なぜかキノコだけは、一般的な植物と異なり、むしろ積極的にセシウムを吸収するのだという。従って、汚染地域で露地栽培のキノコはアウトである。最近、九州地域での露地栽培の椎茸が放射能汚染の基準値を超えていたことが話題になった。中西先生は、これには二つの原因があると言う。九州地域は、福島原発事故による放射能汚染の影響は殆ど受けていない。九州地域の土壌の放射能汚染は、戦後のソ連と中国の核実験によってもたらされたものである。キノコは、これを吸収したものと思われる。もう一つの原因は、福島原発事故後に定められた放射能汚染基準が厳しすぎるということである。私たちは、既に、何十年間も核実験によって汚染されたキノコを食べて育ってきたが、別段、なんの影響も受けていない。

 もう一つの例外はイノシシである。イノシシは土の中の虫やミミズを食べる際に土を一緒に口の中に入れる。先述のように、セシウムは土壌と密着して離れないので、イノシシの胃袋の中にはセシウムが沢山入ることになる。チェルノブイリ事故によって深刻な放射能汚染地域(ホットスポット)となった南ドイツのミュンヘンでは、「キノコとイノシシは食べるな。それ以外は、大丈夫。」という大変分かりやすい言い伝えがある。

 こうした研究を踏まえて、中西先生は、極めて安価で効果のある除染方法を提案する。除染対象の土地の脇に深さ50cmの側溝を掘って、厚さ2−3cmの表土を側溝に埋めてしまえば、それだけでかなり完璧な除染になるという。私たちが、こうした正しい知識を持てば、今回の福島原発事故による深刻な放射能汚染に対しても、決して絶望することはない。と中西先生は仰っている。