本日の日経新聞に依れば、原田泳幸さんが日本マクドナルド経営の第一線から去られるとのことである。私が、原田さんと初めてお会いしたのは、2002年米国勤務から日本に帰って来て富士通のパソコン事業の責任者に就いた時だった。日本のパソコン業界団体である電子技術産業協会(JEITA)パーソナル情報部会の部会長に就任した私の最大の仕事は、日本のパソコンのリサイクル事業を開始することにあった。当時、アップルジャパンの社長であった、原田泳幸さんにとっては、Windows95の出現以来飛躍的にシェアを伸ばしてきたマイクロソフトパソコンに対抗するのに必死で、とてもリサイクル事業どころではなかったに違いない。
同じ、Windowsパソコンを引っ提げて日本で事業を行う外資系パソコンメーカーですら、付き合いだから仕方がないという感じで、しぶしぶ会議に参加している中で、日本でのアップルパソコンの事業責任者であった、原田泳幸さんは、終始、真摯にリサイクル事業の議論に一緒に取り組んで頂いた。当時の日本は、世界の中では特出するほどMacファンが多く、世界はWindows一辺倒という中で、アップルジャパンは健闘していた方だと思う。それでも、誰が見ても、もはやマッキントッシュはWindowsの勢いには勝てそうもない中で、一人で気を吐いているという感じを見て、私は密かに原田泳幸さんを尊敬していたのだった。
1998年から2000年まで、アップルの本社があるカルフォルニア州クパチーノ市に住んでいた私にとってアップル本社のキャンパスの一角は休日の散歩コースになっていた。Windows95が世の中に出る前に、世界で初めてCD-ROMを内蔵したマルチメディアパソコンFM-TOWNSの開発部長だった時代に、アップルが開発した動画再生ソフトであるQuickTimeのライセンス交渉のために何度もこのアップル本社を訪れている。その後、私達が常に目標としてきたマッキントッシュの優位性がWindows95の出現でもろくも崩れ去り、あの天才スティーブジョブスまでがアップルを追われることになろうとは誰にも想像できなかった。
1998年、私が米国に着任した年に、スティーブ・ジョブスは既にクパチーノ市のアップル本社に戻って来ている。アップルの株式を全て売却済みだったジョブスは年俸1ドルでアップルのCEOを引き受けた。つまり壮絶な覚悟で引き受けたわけだが、アップルの本社キャンパスは、既に往時の勢いはなく、ひっそりと静まり返っていた。今のスマートフォンの前身とも言える携帯端末「ニュートン」を引っ提げてWindowsパソコン市場をひっくり返すというアップルの壮大な戦略は時期尚早だったせいか、世の中には受け入れられなかった。アップルはアップルらしく、正面からビジネス市場に切り込むのではなく、SONYのウオークマンが独占していたエンターテイメント市場から切り崩していくというジョブスの戦略が功を奏するとは一体誰が想像できただろうか?
そのアップルがiPodで再び大浮上するきっかけを掴むときには、既に原田泳幸さんは日本マクドナルドの社長へと転出されていた。いくら同じコンシューマ市場とはいえ、IT業界から外食業界へ転出して成功するなど、これまた誰も想像しなかったであろう。原田泳幸さんを密かに尊敬していた私でさえ、「本当にうまくいくのだろうか?」と半信半疑であったが、原田さんは見事に大改革を成し遂げられ日本マクドナルドを再び大躍進された。やはり原田さんは希代の名経営者である。その原田泳幸さんが、このたび日本マクドナルドの経営から身を引かれることになったと、今日の日経新聞は報じている。
私にとっては、今でもアップルジャパンの原田泳幸さんであるが、世間的には日本マクドナルドの原田泳幸さんである。直近の日本マクドナルドにおける、原田さんの経営戦略について批判をする記事を見かけると、「それはちょっと違うな」と私は感じてしまう。頻繁にアメリカに行かれる方は、よく御存じだと思うが、アメリカで街に出てマクドナルドを見つけるのは、そう簡単ではない。むしろメキシカンのファストフード(タコベル)や、ちょっと言い過ぎかも知れないが、カルフォルニアではリンガーハットや吉野家を見つける方がむしろ簡単である。何を言いたいかと言えば、今や、マクドナルドは新興国世界のファーストフードであって肥満が増加している先進国では嗜好が違う方向を向いている。
そう、いくら名経営者であっても、市場が違う方向を向いているのを是正するのは、そう簡単ではない。昨年、久しぶりにシリコンバレーに行き、数十社のスタートアップを訪問して面談を行ったが、彼らが会議室に持ち込んできたパソコンは全てアップル製であった。「それはスタートアップ企業だからでしょ」という意見もあるかもしれないが、私が米国駐在していた15年前には、どこのシリコンバレー企業に行っても、会議に持ち込んでくるパソコンは全てWindows PCであった。やはり隔世の感である。マイクロソフトのCEOが辞任し、SONYがVAIOパソコン事業を手放したというのも理解できる。いくら名経営者でも市場に逆らうことはできないのだ。
しかし、皮肉なことに、日本のパソコン市場では、IBMはとっくの昔に撤退し、NECもSONYもパソコン市場から撤退となった結果、富士通はWindows-XPサポート切れの本年度、企業向け市場から作りきれないほどのパソコンの注文を頂くことになった。企業向け市場は、簡単に世の中のトレンドで移行できるものではない。従来パソコンで行っていた業務はスマートフォンに移行しつつあると言っても、文章やデータ入力の効率性はパソコンに圧倒的な分があることは間違いない。それでも、今回のXP特需はパソコン市場の先食いであることには間違いなく、富士通にとっても、今後、どうしていくかという課題は相変わらず残る。
任天堂の苦境も大きな話題になっているが、これとても、岩田社長の経営戦略の優劣を論じるのは筋が違うように見える。スマートフォンを片手に命がけで横断歩道を渡る人達は、家に帰宅してからでさえ、お風呂に入る時ですら片時もスマートフォンを手放さないに違いない。この人たちが、一体、何時ゲームをやる時間があるのだろう。一日は24時間。この時間の中に、多くの消費者はゲームに割く時間をもはや持つことが出来ない。従って、パソコンとTVを捨てて、今後はゲーム市場に活路を見出すと言うSONYの戦略も、やはり、そう簡単に、うまく行くとは思えない。
さて、マクドナルドで原田泳幸さんを苦しめた、日本の健康食ブームは、また新たな方向へと向いつつある。先日、私が尊敬する小宮山元東大総長のお話を聞いていて思ったことがある。それは日本の医療費のことである。人工透析は一人あたり年間600万円の医療費が必要で、日本全体では30万人の透析患者がいるので、年間医療費は約2兆円になるという話である。この人工透析の殆どは糖尿病が悪化してなるものなので、糖尿病にならないための配慮が必要だとのことであった。糖尿病は、あらゆる成人病の中で最悪と言えるが、一方、個人の努力で防げる病気でもある。
こんなことは、既に若い人たちは百も承知で、今、一番流行っているダイエットは、糖質制限ダイエットである。米、パン、そば、うどん、パスタというあらゆる炭水化物の摂取量を制限して、肉や野菜の摂取量を増やすということだと、皆、きちんと理解している。和食が健康食と言うのは、どうも怪しいので、私も最近はホテルの朝食、機内食は全て洋食に切り替えている。うどんを常食とする徳島県、香川県が日本で一番糖尿病になる率が高いと言うのも、糖質制限食事療法の正当性を後押ししているのかも知れない。
さて、私が言いたいことは、市場が、こうした動きを見せている中で、相も変わらず、日本人は主食として米を食うという前提で食料政策を行っていて良いのかと言う課題である。そんななかで先日、TVを見ていたら、嬉しくなるニュースがあった。休耕田でコメを作り、豚や牛に飼料としてコメを与えたら、美味しいお肉ができたという話である。市場の動きには誰も逆らえない。どんな名経営者でも、市場の動向を無視して経営戦略を立てても、成功することはない。頑張り精神も大事だが、市場の動きを冷静に見て押す時と引く時を見極めることが重要である。