アメリカでカーネギー財団とMITで合計20年間もオープン・エデュケーションの研究に携わり、現在 京都大学高等教育研究開発センター教授として活躍される飯吉 透先生は、今、まさにオープン・エデュケーションの最先端を行くMOOC(無料オンライン公開講座)の伝道師である。先日、京都大学を訪れ、MITとハーバード大学が共同で運営するMOOCであるedXに、日本の大学として初めて参加した京都大学のオンライン公開授業を推進されているリーダーである飯吉先生にインタビューをさせて頂いた。大変、貴重なお話を聞かせて頂いたので、日本の高等教育の動向に関心がある皆さまと共有したい。
伊東:先日、神戸で飯吉先生の講演をお聞きして大変感動をうけましたので、今日は、いろいろお話をお伺いに参りました。こちらへ伺う前に、先生と梅田望夫さんとの共著「ウエブで学ぶ」も読ませて頂きました。私自身も梅田さんとは同じ時期にシリコンバレーで過ごしたこともあり、梅田さんの主張は、いつも共感を持っています。
飯吉:それでは「ウエブで学ぶ」の本のマインドセットをよくご理解いただけると思います。あの本を梅田さんと書こうと思ったのも、その辺で、今の状況がどうやって日本の人々に伝えられるんだろう。梅田さんは、かつて日本人企業人1万人シリコンバレー移住計画を推進され、それがうまく行かなくて悔しい思いをされていました。一方、私は、アメリカから日本へ「オープン・エデュケーション」の動きを伝えたくて何度も挑戦しましたが、うまく伝えられなくて挫折してしまいました。そうした私の悔しい思いが梅田さんの思いと重なる部分があって、あの本を書くことにしました。そこで、梅田さんと約束したのは、この本の中では、お互いに一切ネガティブなことを書くのはよそうということでした。なぜ、日本が変われないかと言うような本は日本には溢れているので、反面教師的に敢えて日本批判をしないことで、読み終わって気分の良い中で、何で、こんなことが日本では出来ないのだろうと考えてもらうことにしました。
飯吉:しかし、読んで頂いた方の多くが、「ふーん、アメリカではこうなんだ、シリコンバレーでは、そういうことが起きているんだ」で終わってしまう。自分の世界との繋がりを感性的に見いだせない方も多いのではないかと危惧しています。それでも、今は社会貢献をどうしようとか、教育をオンライン化できないかとか考える学生さん達も沢山出てきている。学生さんは正直ですよ。しかし、大学の教員が、こういうものを使おうとしても、ある意味で大学教員は既得権益組なのですからね。ご存じのように、アメリカの大学ですらMOOCに対して労働争議のような裁判沙汰も起きています。オープン・エデュケーションも、それをメリットとして行かせる社会がないと進展しないでしょう。結局、教育の中の問題ではなくて、それを取り巻く企業、即ち雇用主、あるいは労働市場の流動性に関わってくる。即ち、オープン・エデュケーションの教育を受けたことが実直に評価されないとMOOCみたいなものは、収まりどころがない。例えば、日本の放送大学と同じ仕組みの通信制オンライン大学である英国国立のオープン・ユニバーシティは世界大学ランキングでベスト10に入るほど高く評価されている。一方、日本の放送大学は、そうした評価は受けていない。つまり、MOOCを取り巻く状況として、日本は大変厳しい。よく、JMOOCの今後はどうなりますか?という質問をされるのですが、日本の大学はLMS(e-ラーニング管理システム)では、先進国の中ではダントツの最下位、本当に恥ずかしいくらい低いのです。そうした環境の中で、いきなりMOOCが普及するなんて考えられません。順序として、まず、LMSの構築をきちんとやって、それからMOOCをどうするかでしょう。
伊東:先日、大阪で、富士通が主催して、関西地区の私立大学の方々に対してMOOCのコンファレンスをやりました。JMOOCの事務局長である明大の福原先生と私と富士通研究所でオープン・エデュケーションを研究している毛利さんが講演をしました。ところが、そこには私立大学だけでなく、関西の名だたる国公立大学の方がこぞって参加されることになったので、急遽、コンファレンスの名前から「私立」を外すことになるほど、大変盛況な会合となりました。コンファレンスが終わって、懇親会で大学の先生方と、お話をすると、出席された多くの先生方が企業から大学へ移られた方でした。その時、こうしたMOOCのような新しいことに関心がある方は、純粋にアカデミアで育った方ではなく、企業で働いた経験がある方なのかなとも思いました。
飯吉:実は、私もそうなんですよ。私は、元々、カーネギー財団で高等教育のことを研究していた立場なので自分がアカデミア出身とは思っていないのです。ですから大学教員と言うのは京大に入ってから2年目で、全くの新米なんです。しかし、財団で研究していたのは、大学教員を、どのように改善していくのかというテーマでしたので、多少知見を持っているので、それで今、教えられているのですが、日本のアカデミアの方々はビジネス感覚に欠けていると思います。アメリカの大学では、教授は最低限のビジネス感覚は持っています。しかし、これは大学だけに限らず、一般的に言って、アメリカに住んで居ると言う事だけでビジネス感覚が養われると言う面があると思います。つまり、アメリカは保障がない世界、常に自分の運命が危うい社会なので自然とビジネス感覚を身に着けざるを得ないのです。例えば、アメリカでは「オレオレ詐欺」みたいな犯罪は絶対に成立しない。アメリカ人は、日本では、どうしてそういう犯罪が起きるのかが理解できないと言う。アメリカ人は、自分たちで自分を守ろうとする習慣が小さいころから身に付いて居るからでしょう。アメリカでは銃も身を守るものの一つであるのですが、自分を守る意味で、もっと大事なモノ、それが教育だと考えられているのです。教育は、防弾チョッキの代わりではなくて、むしろ攻めの道具として見られています。アメリカに行ってタクシーに乗ると、運転手さんは大体、移民ですよね。アメリカに移住したら、だいたい、最初の仕事はタクシーの運転手から始めますよね。しかし、客待ちの時はタブレットPCを見て必死に英語を勉強しているのです。タクシーの運転手には、コミュニティーカレッジの夜間部のテキストをサイドボードに入れている人が結構いるんですよ。そういう人に教育の問題を話しかけると積極的に話に乗ってくるんです。皆、タクシー運転手の世界から抜け出そうとしている。アメリカのタクシーの運転手業界はメチャメチャ流動性が高いのです。
伊東:先生は2008年に、MITの先生方と共著で「Opening Up Education: ウエブで学ぶ?オープンエデュケーションと知の革命」という本を出されていますよね。今のMOOCの動きからすれば、相当早い時期に書かれているわけですが、こうしたテーマに取り組もうと思われたきっかけというか動機を伺いたいのですが。
飯吉:私がカーネギー財団でやってみないかと誘われたのは、教育と言うのは、その場限りのもので蓄積がない。どういうことかというと、非常に豊かに、うまく教えられる先生たちが引退されると、もはや、誰も、その授業を覚えていない。授業は書籍に残せないのです、研究と違って。当時はビデオなんて素人が簡単に扱えないし、授業はライブで終わったら消えてなくなってしまうわけです。それが、例えば医学のような分野だと教育と実践と研究がリンクしているので、教育が実践と研究に受け継がれていく。しかし、普通のライブ授業は語り部によって受け継がれていく伝承物語でしかないわけです。そこで、教育のナッレジベースを形あるものにしていく。また教え方の上手な先生方のノウハウとか暗黙知とかを、どうやったらナレッジベースとして残していけるか、そして単に残すだけでなくて、新米の先生が困った時に簡単に引き出せるような形にしたいというのが、当時、カーネギー財団の理事長でアメリカ教育学会の会長だった方の構想だったわけです。私は、カーネギー財団で、そのプロジェクトのディレクターを10年近くやりました。そこで私が考えたのはオープンナレッジということです。まずは、オープンナレッジの暗黙知をどうやって他の人にうまく伝えられるか、教えられるかという問題をテクノロジーで解決しようというのが、私の最初の仕事だったのです。それをやっている時に、ポツポツと雨後の竹の子のように出てきたのがMITのOCW(オープンコースウエア)だった。私は、これに凄く興奮した。なぜかと言えば、これは渡りに船だと、そう思ったわけです。私は、暗黙知と言う極めてハードな部分から考えていたのですが、もっと簡単なことから出来るとわかりました。つまり先生達が使っているスライドだとか、またようやく出始めていたデジタルビデオとか、そういうものを貯めていく。そうした形あるものからオープンにして共有していくというのが、MITでどんどん進んでいった。このことが私には衝撃だった。そして、こうしたオープンナレッジが沢山、世の中に出てくるようになるのですが、これを使いこなす部分と言うのが、簡単にはオープン化できないんですよ。しかし、それがないと、教材だけ出てきても使いこなせなくなる。それでも、こうしたオープンコンテンツを見て、教育は間違いなく変わっていくと確信したのです。つまり、教材がオープン化し、授業風景がビデオで提供され、オープンナレッジが共有されるようになってくると、高等教育のコモデティ化が進む。つまり、高等教育への敷居が低くなってくると思ったわけです。そうすると大学って、どうなるんだろうと思いました。そこで、MITのOCWを纏めたイグゼクティブディレクターに声をかけて、OCWに関わっている先生たちを集めて、今後オープン・エデュケーションはどうなるかを考えて貰うことにした。皆、カーネギー財団の研究費を貰っていたので、快く集まってくれました。そこで、オープン・エデュケーションの未来を見通すような本を作らないかと提案したのです。私が声をかけたのですが、そこはカーネギー財団の資金力とブランドのお蔭で40人くらいのMITの先生たちが書いてくれました。皆、1セントの原稿料も出さないのに2年もかかって書いてくれました。つまり教育の未来を見通そうということと、もう一つは間違いなく、この黎明期に教育をオープン化しようとしている人たちが、一体、何を考えているのかということを纏めたかったのです。この人たちが教育の未来に、それぞれ、どのような夢を描いているのだろうか? そして、その夢の総体というのが、どこになるのだろうというのは、私自身の興味でもありましたが、自分だけでは答えが出せないから、文殊の知恵で40人もの、この分野のTOPの人達を集めたわけです。だから、書き始める前に何度もサミットのような議論を重ねて行きました。本当に二度とやりたくない地獄の仕事でしたが、今では、私の宝です。ですから、この本を作りながら、これから何が起きそうかということが一部見えてきました。つまり、OCWを通して、PDFやビデオの教材は、どんどん揃ってくるのですが、こうした教材だけを見ていても必ずしも理解できるわけではない。また、どれだけ分かったかと言うテストもしてくれない。つまり、自分で勉強が達成したかどうかもわからない。今のMOOCのような修了書が出てくるわけではなかった。そこで、学ぶ側も教える側もオープンナレッジというものが必要になってくるのではと思っていたら、突然、MOOCが出てきたわけです。このMOOCはオープンナレッジのことは飛ばして、とにかくパッケージになって出てきた。私がオープンナレッジと呼んでいるのは、よい授業の本質を解剖して、その要素を明らかにするということだったのですが、MOOCは、そのことをすっ飛ばして、とにかくパッケージ化して大量に配信しようということでした。私としては、自分のやっていることから考えると微妙なところはあるんです。MOOCは、大量の受講者を相手にしているので、現状では選択問題テストしか出来ない。一方、本来質の良い授業というのは、教師一人に10人ぐらいの大学院生が車座になって議論を戦わせあうというものであるべきです。しかし、MOOCにはそれが出来ない。一方、MOOCには、コモデティとしてカップヌードル的な価値がある。カップヌードルには、災害時や途上国の飢饉を救うという日清食品の創業者の崇高な目的から出発したと聞いています。でも、カップヌードルは、やはりカップヌードルでしかない。良い大学の授業は、それこそ、料亭で出される料理という感じでしょうか、あるいはカウンターで握る高級寿司というものなのだろうと思っています。MITやハーバードは月謝が高いが、それなりの料理を出している。もし、高い月謝に見合う授業が出来なければ社会から非難されるはず。そして、その年間400万円のMITの授業がオープン化されてタダで見られるということには、もの凄く価値があると思います。
伊東:MITが世界に先駆けてOCWを始めたり、MOOCを始めたりしているのは、MITが大きな危機感を持っていることの裏返しではないかと思うのですが、どうして世界を代表するMITが、それほど深刻な危機感を持っているのですか?
飯吉:MITが、今、大きな危機感を持っているのは、ここ数年、全米大学ランキングで西部のカルフォルニア工科大学に全く敵わないのということだけでなく、最近、MITから出てきた有力な新興企業が全くないことです。そうAkamaiテクノロジーが最後でした。これって随分前のことですよね。MITのOCWは注目を浴びたが、それも、もう2001年の話です。前の学長が任期途中で辞めさせられたのも、OCW以外でMITが注目されることが全くなかったからだったと言われています。それで、肩身が狭いMITの卒業生が辞任へと圧力をかけたからだそうです。
伊東:去年、シリコンバレーへ行った時に、米国東海岸の大学が次々とシリコンバレーに拠点を築きはじめていることを知りました。今、アメリカのアカデミアの主役は東から西へ移っているのでしょうか?
飯吉:やはり、歴史あるイスタブリッシュメントの東海岸から、何でもアリの下剋上的な西海岸にトレンドが移っているようにも思えますね。その中でも、MITは他の東部の大学に比べてシリコンバレー的な新進気鋭の精神を持っていたはずなのですが。気候のせいですかね。私もカルフォルニアが長くて、その後、ボストンへ移ったのですが、やはりカルフォルニアの青い空が忘れられませんでした。ボストンの人は、ここが一番良いと言うのですが、私にはそうは思えませんでした。(笑い)一方、カルフォルニアの雄であるスタンフォード大学にも悩みがあるんですよ。優秀な教師が、皆、起業して成功し、大学に戻ってこない。つまり、大学が、「もぬけの殻」状態なんです。MITとは正反対ですが、これはこれでまた深刻な話なのです。(笑い)
伊東:今日は、お忙しい中、大変貴重なお話をありがとうございました。