日本と異なり、アメリカの一流大学は、ほとんどが私立である。しかも、その私立大学の授業料は日本の大学に比べて高く年額400万円くらいである。しかも、アメリカには日本のように大学の授業料を親に出して貰うと言う文化がない。従って、奨学金の恩恵を受けられない多くの学生は学生ローンの世話になる。つまり、4年間で合計1600万円の借金を負うことになる。日本では、大学を卒業する時点で学生はゼロスタートということになるが、アメリカの多くの学生は過酷なマイナススタートを強いられることになる。
その上、アメリカでは大学新卒一括採用という習慣がないので、ここ数年は、大学新卒の就職率は20%を切っている。だから、新卒の学生は、何年か、インターンやスタートアップでキャリアを磨きながら生涯の職を見出すことになる。この間、ローンの返済で苦しむ学生の中には自己破産するものも少なくない。アメリカ社会のこうした仕組みが貧困の世代間連鎖を生み続けるという構造的な問題となっている。
こうした社会的背景の中で、やる気さえあれば、誰でも、どんなに貧しくても高等教育を受けられというMOOCには社会的大義がある。大学の存在自体を脅かすかも知れない、それ以前に、まず大学の教職員の雇用問題を引き起こすかも知れないMOOCだが、「貧富の格差をなくすための教育の機会均等」という社会の大義、共通善について論じられると、もはや誰も反対することは出来ない。
しかし、多数の学生をサポートする、このMOOCの運営には、やはり多額の費用が必要となる。この費用を賄うビジネスモデルは本当に成立し得るのだろうか? あるいは、カーンアカデミーに大金を援助しているGoogleやMicrosoftは、一体、何を目指しているのだろうかという問題を考えてみたい。
例えば、東大が参画したCourseraでは、受講料が無料である代わりに学生は受講していうる学科の成績データーを提供する義務を負う。それでCourseraは、その成績簿を使って人材紹介業を行っている。即ち、企業が求める才能をもった人材を的確に提供していくのである。その手数料は、1件成立すると2万ドルとも言われており、昨年は、数千件の成立があるようで、確かに結構な収入にはなる。一方、学生にとっても、自分の才能を活かせる職を見つけてくれるので有り難い話でもある。
それでは、カーンアカデミーを支援しているGoogleやMicrosoftは、何を考えているのだろうか? あるいは、edXに30億円ずつ出資したMITとハーバード大学は一体何を考えているのだろうか? 飯吉先生のお話を参考にしながら、私なりに、推論も含めて、いろいろ考えてみることにする。
一般的に、通常の大学でのDropout率(中途退学率)は5-10%と言われている。これが、放送大学に代表される通信制大学だと30-40%にも高まっていく。さらに、MOOCのような公開オンライン講座では80-90%と飛躍的に高まると言われている。しかし、考えてみて欲しい。カーンアカデミーのように受講者が120万人も居れば、Dropout率が90%であったとしても、一年で12万人も卒業するわけである。これが凄い。つまり膨大な量の受講成績が入手できるわけである。飯吉先生は、この「ビッグデータ」にビジネスモデルの鍵があると示唆される。
まずは、良質なMOOCを構築する上で、いかに理解しやすい講座にするかが成功するポイントになるわけだが、ここで高いDropout率を示す受講成績データーは、どこで脱落したかを示す格好の材料である。どこを改善すれば、Dropout率が改善できるかという試行錯誤で、どんどん優れた教材へ進化していく可能性がある。さらに究極的なMOOCの姿はパーソナライズだと飯吉先生は言う。もし仮に、受講生一人ひとりに最適な教え方をコンピューターの力で実現出来た時に、初めて、機械(コンピューター)が人間の先生に対して優位性を発揮できるチャンスが見えてくる。このための実験材料として大量の受講生の成績データーは絶好の材料である。
最後の一つは、採点である。MOOCには受講生に対して単位を与えると言う重要な役目がある。このためには、どこまで理解出来たかを評価をしなくてはならないが、まさか、高等教育において、マーク式や選択問題だけで合否を決めるわけにはいかないだろう。つまり、記述回答を評価するとか、口頭試問を行って評価する必要があるわけだが、膨大な数の受講生の評価を限られた時間の中で生身の人間の教師だけで出来るわけがない。ここで活躍するのは、きっとIBMのワトソン君ばりの「人工知能マシン」がその役割を担うに違いない。そのマシンを、どうやって教育していくのか?その先生が、この「ビッグデータ」なのだ。
シリコンバレーにSingularity Universityという大学がある。そのSingularity:特異点が意味する所とは、2040年ころに訪れるであろうと言われている「コンピューターが人間を超える時期」という意味である。こうした途方もないことを考えているアメリカで、今、MOOCという仕組みが新たな高等教育の手段として台頭してくる中で、この先、何が起きて来るのか、我々は良く注視していかなければならないだろう。