2013年10月 のアーカイブ

251 MOOCについて(その3)

2013年10月26日 土曜日

日本と異なり、アメリカの一流大学は、ほとんどが私立である。しかも、その私立大学の授業料は日本の大学に比べて高く年額400万円くらいである。しかも、アメリカには日本のように大学の授業料を親に出して貰うと言う文化がない。従って、奨学金の恩恵を受けられない多くの学生は学生ローンの世話になる。つまり、4年間で合計1600万円の借金を負うことになる。日本では、大学を卒業する時点で学生はゼロスタートということになるが、アメリカの多くの学生は過酷なマイナススタートを強いられることになる。

その上、アメリカでは大学新卒一括採用という習慣がないので、ここ数年は、大学新卒の就職率は20%を切っている。だから、新卒の学生は、何年か、インターンやスタートアップでキャリアを磨きながら生涯の職を見出すことになる。この間、ローンの返済で苦しむ学生の中には自己破産するものも少なくない。アメリカ社会のこうした仕組みが貧困の世代間連鎖を生み続けるという構造的な問題となっている。

こうした社会的背景の中で、やる気さえあれば、誰でも、どんなに貧しくても高等教育を受けられというMOOCには社会的大義がある。大学の存在自体を脅かすかも知れない、それ以前に、まず大学の教職員の雇用問題を引き起こすかも知れないMOOCだが、「貧富の格差をなくすための教育の機会均等」という社会の大義、共通善について論じられると、もはや誰も反対することは出来ない。

しかし、多数の学生をサポートする、このMOOCの運営には、やはり多額の費用が必要となる。この費用を賄うビジネスモデルは本当に成立し得るのだろうか? あるいは、カーンアカデミーに大金を援助しているGoogleやMicrosoftは、一体、何を目指しているのだろうかという問題を考えてみたい。

例えば、東大が参画したCourseraでは、受講料が無料である代わりに学生は受講していうる学科の成績データーを提供する義務を負う。それでCourseraは、その成績簿を使って人材紹介業を行っている。即ち、企業が求める才能をもった人材を的確に提供していくのである。その手数料は、1件成立すると2万ドルとも言われており、昨年は、数千件の成立があるようで、確かに結構な収入にはなる。一方、学生にとっても、自分の才能を活かせる職を見つけてくれるので有り難い話でもある。

それでは、カーンアカデミーを支援しているGoogleやMicrosoftは、何を考えているのだろうか? あるいは、edXに30億円ずつ出資したMITとハーバード大学は一体何を考えているのだろうか? 飯吉先生のお話を参考にしながら、私なりに、推論も含めて、いろいろ考えてみることにする。

一般的に、通常の大学でのDropout率(中途退学率)は5-10%と言われている。これが、放送大学に代表される通信制大学だと30-40%にも高まっていく。さらに、MOOCのような公開オンライン講座では80-90%と飛躍的に高まると言われている。しかし、考えてみて欲しい。カーンアカデミーのように受講者が120万人も居れば、Dropout率が90%であったとしても、一年で12万人も卒業するわけである。これが凄い。つまり膨大な量の受講成績が入手できるわけである。飯吉先生は、この「ビッグデータ」にビジネスモデルの鍵があると示唆される。

まずは、良質なMOOCを構築する上で、いかに理解しやすい講座にするかが成功するポイントになるわけだが、ここで高いDropout率を示す受講成績データーは、どこで脱落したかを示す格好の材料である。どこを改善すれば、Dropout率が改善できるかという試行錯誤で、どんどん優れた教材へ進化していく可能性がある。さらに究極的なMOOCの姿はパーソナライズだと飯吉先生は言う。もし仮に、受講生一人ひとりに最適な教え方をコンピューターの力で実現出来た時に、初めて、機械(コンピューター)が人間の先生に対して優位性を発揮できるチャンスが見えてくる。このための実験材料として大量の受講生の成績データーは絶好の材料である。

最後の一つは、採点である。MOOCには受講生に対して単位を与えると言う重要な役目がある。このためには、どこまで理解出来たかを評価をしなくてはならないが、まさか、高等教育において、マーク式や選択問題だけで合否を決めるわけにはいかないだろう。つまり、記述回答を評価するとか、口頭試問を行って評価する必要があるわけだが、膨大な数の受講生の評価を限られた時間の中で生身の人間の教師だけで出来るわけがない。ここで活躍するのは、きっとIBMのワトソン君ばりの「人工知能マシン」がその役割を担うに違いない。そのマシンを、どうやって教育していくのか?その先生が、この「ビッグデータ」なのだ。

シリコンバレーにSingularity Universityという大学がある。そのSingularity:特異点が意味する所とは、2040年ころに訪れるであろうと言われている「コンピューターが人間を超える時期」という意味である。こうした途方もないことを考えているアメリカで、今、MOOCという仕組みが新たな高等教育の手段として台頭してくる中で、この先、何が起きて来るのか、我々は良く注視していかなければならないだろう。

250 MOOCについて(その2)

2013年10月24日 木曜日

今年1月、米国富士通研究所がパロアルトのコンピュータミュージアムで開催したフォーラムにて、スタンフォード大学のヘネシー学長をお招きし、講演をして頂いた。この講演で、ヘネシー学長は、「スタンフォード大学での授業は、全て質疑応答形式や演習が中心で、いわゆる一方的な講義はしません。講義はMOOCで聴いてもらうことにしています」とお話になった。従来の大学での授業形態は、大学で講義を聴いて、学生は自宅で予習、復習をするというのが一般的だった。今、スタンフォード大学を始めとするアメリカの一流大学では、学校の授業で先生から生徒への一方向性的な講義はしない。

つまり、講義は自宅でオンラインにて聴くものだとされている。これが所謂「反転授業」と呼ばれるものだ。学校と自宅と学習形態が逆転しているから反転と呼ぶらしい。本来は、大学では、一時間の講義に対して、予習1時間、復習1時間を想定しているらしいが、日本の学生は1時間の講義に出席するのがやっとで、予習、復習などとんでもないことだという。これでは世界の学力競争で勝てるわけがない。アメリカでの授業は、講義は既に聴いていて、ある程度の知識は身に付いて居ると言う前提で、質疑や演習が行われている。つまり、アメリカでは予習をしないで授業に出ること自体に意味がない。

私は、インドに拠点を持つ欧米のITベンダーの現地TOPから次のような話を聞いたことがある。「インドで最難関の大学はインド工科大学(IIT)で、共通テストで99.5%以上の正答率でないと合格できない。しかし、IITに不合格になった学生でも、アメリカに渡れば、東部のMITやプリンストン大学、あるいは西部のスタンフォード大学に最上位の成績で合格し、奨学金まで貰うことが出来る。そして、このインドで、我々が採用するのはIITの卒業生ではなくてアメリカの大学を出た学生だ。なぜならアメリカの大学を卒業した彼らはIITの卒業生より遥かに優秀な学力を身に着けているからだ」と話す。つまり、IITの教育はアメリカの大学に比べて劣っているので、せっかく入学した優秀な学生の資質を十分に活かせていないというわけである。

それほど優れた教育システムを持つアメリカの大学のなかで、これまで長い間TOPだったMITは、最近、大学ランキングで西部のカルフォルニア工科大学に全く勝てないでいる。それどころか、同じマサチューセッツ近郊で1学年の学生数が数十人という小規模な天才教育をする工科大学にも勝てないのだと言う。この大学は企業からの評価もすこぶる高く、最近は、MITに行かないで、そちらの大学を選択する学生も出始めている。そうしたMITの危機感を最も反映したのが、2度の大学中退をし、大学院に行ったこともなければ博士号も取得していない伊藤穰一さんをメディアラボ所長に選任したことだと言われている。これまでの大学が持つ伝統的な権威では、大学を再生することはできないとMITは考えたわけだ。

MOOCは公開授業として、世界中の誰でも閲覧できるだけでなく、演習問題に回答すれば、修了証も貰えるし、最近は単位まで取得できるようになった。こうなると、MOOCは、最早、反転授業のツールだけの領域を逸脱して、大学の存在までも否定しかねない。大学にとっては大変危険な存在となる。それでは、MITやハーバード大学は、どうして、こうした危険な賭けに出たのだろうか?実は、MITが本当に恐れていたのはカルフォルニア工科大学のような同業者ではなかったのである。

それはバングラディッシュ系アメリカ人であるサルマン・カーンが創設した無料オンライン公開講座の運営サイト、カーン・アカデミーが爆発的な伸びと高い評価を受けていることにある。常時120万人以上の学生が見るYouTubeの講義ビデオは年間3億回も再生されている。カーン・アカデミーの運転資金はMicrosoftとGoogleが拠出しているのだが、さてMicrosoftとGoogleは, この無料オンライン公開講座に対して、一体、何を目指しているのだろうか?それは後で、じっくり述べてみたい。

MITが恐れているのは、このサルマン・カーンは確かにMITの卒業生ではあるが、先述の伊藤譲一さんと同様に、Ph.D.を取得しているわけでもなければ、大学教員として十分な経験もない。そうした伝統的な大学の権威がなくても、優れた教授陣を集めて、誰にでも判り易い講義をすれば、それだけ多くの人々が集まる巨大な学び舎が出来ると言うことである。このことこそが、名門MITが恐れる高等教育の新興勢力であった。もはや現代は、プロフェッショナルと素人の境目が曖昧になってきた。プロゴルフの世界でも、いきなりアマチュアが優勝したりするし、歌手の世界にもスーザン・ボイルさんのような方もいる。

放送大学の山田先生も、京都大学の飯吉先生も同じように言われたのは、MOOCが普及し始めてから、最初の数年間は、ハーバード大学のサンデル教授のような人気絶大なる先生が世界のMOOC市場を席巻するだろうが、その後、その地位は、今まで、大学とは縁がなかった巷間の普通の人々に取って変わられる時代になるだろうと仰っていた。もちろん、閉鎖的な大学の中で、今まで、大して評価がされてこなかった先生が、突然、MOOCの大スターになる可能性も十分に持っている。

米国に20年も居た飯吉先生に言わせれば、MITも含めて、東大も京大も、破格なブランドを持っているが故に、学生に対して就職に有効で強烈なパスポートを発行できる権威があることを良いことに、学生の教育、人材の育成に関して大した努力をしてこなかったのではないか。もちろん学生は大いなる不満を持ってはいるが、先生の言う事を聞いて居れば、きちんと卒業証書を貰えるので、それでよしとしてきたに違いない。ところが、世界中が高学歴者の就職難という事態になってくると、企業は学生に対して即戦力となる才能を求めるようになってくる。熾烈な国際競争に打ち勝つためには、企業は、もはや卒業した大学のブランドで高い給料を支払う余裕などなくなった。

その点、MOOCでは、受講者がどのコースを選び、どれだけの成績を取ったかが、全てわかるので、企業は必要な人材を的確に選ぶことが出来る。もはや、必要な人材を卒業した大学のブランドで選ぶのではなくて、何に興味を持っていて、どういう才能とスキルがあるかを知った上で、最適な人材を選ぶことが出来る。学生の方も、企業が必要としているコースを選択して、それを、しっかり勉強すれば、就職に役立つので、単に好き嫌いとか、単位が取りやすいとかではなくて、自分を磨くために必要なコースを選んで、しっかり勉強することが出来る。

先進国、途上国、共通の悩みとして大きな課題となっている高学歴者の高い失業率という問題、即ち人材の需要と供給のミスマッチという課題を解決する糸口をMOOCは見つけるかも知れないのだ。

249 MOOCについて(その1)

2013年10月24日 木曜日

MOOCとは北米の一流大学がやり始めて、昨年からブレークしはじめた無料公開オンライン講座(Massive Open Online Course)のことである。日本でも、今年2月に東京大学が米国のベンチャーが運営するMOOCプラットフォームであるCoureseraへの参画を表明し、同じく今年の5月には京都大学がMITとハーバード大学が、それぞれ30億円ずつ出資したNPOが運営するMOOCプラットフォームedXに参加した。このMOOCの動きは、世界中の大学関係者を震撼させるほどの勢いを見せ始めており、日本でも、こうした動きに合わせて日本版MOOCを運営するために一般社団法人「日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)が、来月1日正式に発足する。富士通も、幹事会社の1社として参加させて頂き、このたび、私は、その理事を仰せつかった。

JMOOCに対しては、「なぜ日本版が要るのか?」とか、「日本にはMOOCは馴染まない」といった批判も多くあるようだが、私は、それは間違っていると思っている。北米で津波のように大きな影響を及ぼし始めたMOOCを、ただ遠くから静観していて良いはずはなく、いかなるものかを自身で作ってみて、運用してみて、敢えて世の中の批判を受けるだけの覚悟が必要だろうと思う。

企業の立場から見ても、このMOOCがビジネスモデルとして成立するのかどうかという議論をするよりも、新しい高等教育の一つの萌芽として積極的に関わって行くべきだと思っている。これからMOOCが、どのような変貌を遂げていくのかは誰にもわからない。だからこそ、参加すべきだと思っている。GoogleもTwitterもFacebookも、始まった時は、一体誰が、今日のような確固たるビジネスモデルが成立するという確信を持っていただろうか。

大学関係者の間では、MOOCは大学教員の職を脅かすものだとしての警戒感が強くあるという。現に、あのサンデル教授の授業をMOOCとして導入しようとしたサンノゼ州立大学は教職員から訴訟を起こされている。しかし、この方針を決めたサンノゼ州立大学の学長は、こうした訴訟の動きに対して全く慌てるところはなかったそうである。元々、MITはオープンエデュケーションの一環として授業で使用する全ての資料を公開してきた。これは、21世紀の高等教育の在り方を見直す必要があるという大学側の切実な危機感からでもあった。常に世界大学ランキングの5位以内に入ってきたMITやハーバード大学らが、深刻な危機感を持っているとすれば、他の大学においてはもはや存亡の危機を遥かに超えている。

私達は、あの東大紛争で7カ月間も授業がない期間を過ごしている。それでも、教授たちは、こんな輩を長く学内において置いておくことは、大学のためにならないと、学生たちに、どんどん単位を与えて、3月31日には、卒業式も行わず、事務室で、学生証と卒業証書を交換するという形で、やっかいな学生達を全員追い出すことに成功した。私たちは、たいして勉強もしないで教授たちに追い出される形で卒業させられたわけだが、それでも、学会、官界、実業界で要職に就いている者はかなり多い。これを見ても、大学教育とは一体なんなのだろうと思うことがないわけではない。

そして、卒業して25年が経ち、東大紛争では、ご迷惑をかけた先生方を伊豆の川奈にお招きをし、感謝の心を込めて、改めて盛大に謝恩会を開いたのであった。その時の先生方の、お話は、私は、今でも忘れることが出来ないでいる。「私達教員は、あの時(東大紛争)に君たちが何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。『東大を抜本的に改革しろ!』とか、『それが出来ないなら、東大なんて潰してしまえ!』とか、こいつら、皆、頭がオカシイのではないかと思っていた。しかし、今は、違う。君たちは正しかったのだ。あの時、東大を一度潰して、ゼロから作り直すべきだった。それをしていれば、このような惨状にはならなかった。東大は、今、瀕死の重傷である」と仰った。

今年、5月、EUの経済界、官界の方達と経済連携に関する会議をパリで行った。その中で分かったことは、現在のEUの方々の最大の関心事は雇用の問題ということだ。特に若年層の失業率の高さは社会の大きな不安定要因になるので、関心が高い。しかも、さらに困難な話は、大学を卒業した若者の失業率は大学に行かなかった若者のほぼ2倍であるという事実である。一般的に、最も効果のある若者への就業支援策は教育であると言われているが、高学歴者ほど就職が見つからないと言う現実は何とも過酷である。大学の教育が悪いのか、卒業生を受け入れる側の企業の経営姿勢が悪いのか、とにかく、このミスマッチは、若者の向学心を限りなく萎えさせる。

MOOCは、そうした危機感をどう救うことができるのか? 一体、今、米国やEU,アジアや日本の大学では、MOOCとどう対処しようとしているのか?あるいは、MOOC推進を行う上で、関係者の方々は、どのような危機感を持っておられるのか? 私は、それらを知りたいと思って、昨日、ホテルオークラ神戸で開催されたオープンエデュケーションフォーラムに参加した。講師は放送大学で永年オープン教育に従事されてきた放送大学の山田恒夫先生と、もう一方は、米国在住20年、2008年にはMITで、今日のMOOCを予言された著書「Opening Up Education」を出版された飯吉透先生である。また、飯吉先生は、先述のように、現在、京都大学において、米国edX連合に参画され、日本だけでなく、世界のMOOC教育の推進に貢献されておられる。

この両先生から、大変、参考になるお話を伺った。放送大学の山田先生は日本でJMOOCを推進するお立場から、飯吉先生は、米国大学連合edXと共にMOOCを推進するお立場からのお話であったが、お二人とも活動する場は違うとは言え、基本的なお考えは、ほぼ同じであった。特に、飯吉先生は、永年、MITにおられて、常に大学世界ランキングの最上位に居るMITが、なぜ、今、大学存続の危機感を持つに至ったのかは、大変興味深い話であった。この話を伺えば、東大、京大、早稲田、慶応を含む、MITより世界大学ランキングで遥かに下位にいる日本の大学が、MOOCに対して冷ややかな目で見ている余裕など全くないことがわかる。