昨日、大阪で関西地区のユーザー会が主宰するマネジメントセミナーで講演をさせて頂いた。同じセミナーで講演された徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」で有名な株式会社いろどり代表取締役 横石知二さんの、お話はさすが聞きしに勝るものであった。あまりに素晴らしい内容なので、私が感動した部分を、ここに抄録として、ご紹介させて頂こうと思う。命を張った、ご自身のご経験に基づくお話は聴講者全員の心に響くものであった。以下、横石さんのお話の一部である。
今、徳島県の小さな町、上勝町が世界から注目されています。昨年は、37か国から上勝町を見学に来ました。何故かと言えば、日本の高齢化問題、過疎化問題、そして地域格差と、、こういった問題が、いずれ自分の国にも来ると言うことに関して世界各国の意識が高くなってきました。日本が、この分野で超先進国であるなか、どうやって解決していくのかということを世界が注目しています。先週も、トルコ政府関係者や知事が私たちの町を視察に来て勉強されております。
地域の資源を活かすというタイトルで今日はお話をしますが、商売が大好きで、地域の人が輝いて生活する基盤を作っていくという話です。さて、私自身は、何が一番得意かと言うと相手が一番喜ぶことを追求するということです。とにかく、仕事は楽しい、面白い、まあ奇想天外な発想をすることが大好きです。逆に言えば、与えられたことをきちんとやるというのが駄目だということです。ある東京の有名なコンサルタント会社のTOPの話を聞いていると「コストを切れ! 世界中の取引先を見直せ! 社員の給料はもっと下げろ!100円の売値を70円にして1.5倍の物量を売れば生き残れる!」と言う。凄いことを言うなと思って聞いていましたが、これは全く私の生き方と違う考え方です。
そういう限界を追求する仕事の中では、良い知恵も浮かばないし、面白い発想も出ないと言うか、仕事は楽しいというのが一番力を発揮すると思っています。だから、喜んでもらえる面白いということをトコトンまで追求していく。どうやったら面白いか、何が楽しいかを追い求めることによって、皆さんの想像を絶するように、お婆ちゃんがタブレット端末を使って商売をするようになる。普通、常識では出来ないと言うことを可能にすることまで持っていくことが出来る。それが幸せに繋がることになる。だから一人一人に役割を持ってもらう。あんた、おらなあ、あかんよ。あんたがおるから、できるんだよ。という役割をしっかり持ってもらって活躍してもらうことが重要だと思っています。
さて、最近、若い人たちの間で、特に震災以降、社会貢献、地域貢献という意識が非常に高まってきました。つまり、社会の中で役に立ちたい、認められるようになりたいという願望が非常に強くなってきました。昔、私は、こんなことなど考えもしなかったのですが、時代が変わって来たなと感じています。私の会社では1年間に世界各国から約300名のインターン生を受け入れています。その中で1割くらいが残ってくれるのですが、皆、「役に立ちたい、認められたい」と言ってくるのですが、この世代はある意味で自己満足で完結しているところがあります。本当は、仕事を通じて地域の中で社会の中で貢献できることがあるんですよというのですが、それが彼らの中ではうまくいっていないのが現実です。
でも不思議だなと思うことがあります。私の上の二人の息子がイベントの企画リーダーの役割をしています。彼らは、直ぐに一万人くらいの人を集めてきてイベントをやります。その中心的なメンバーを見ていると仕事をしている風景とイベントをやっている姿を見比べると、同一人物とは私には全く考えられないのです。全然違います。なぜ、仕事の時には、頼りないし、大した仕事も出来ないのに、イベントをやらしたら、こんなに凄いのかと、同じ人ではないのではと思うほど変わります。どうしてかと言えば、自分がやったことが、周りの人達から「あんた凄いよね!こんなことしくれてありがとう!」と自分自身で感じると、人の力って凄いものだなあと、こんなパワーがどこから沸いてくるのかと思います。私は、お婆ちゃんたちや、若者が活躍する舞台を作っていますが、自分がやったことを周りが認めてくれる仕組みを作っていくと、人のパワーとうのは無限大にまで拡大することができます。
とにかく私たちは、負の連鎖から抜け出していかなければなりません。昔の上勝町では、とにかく出来ない理由を探して逃げる。もうとにかく、出来ない理由を見つけるのが大好きだった。他人のせいにする、世の中のせいにする、上司のせいにするというマイナス思考の典型的なパターンでした。良い流れを呼込んでいくと言うプラス思考を自分のなかに取り込んでいかなければだめだと思います。自分が発した言葉はやまびこのように必ず自分に帰ってくる。だから、自分が思ったことを人に伝えていくということが大切だと言い続けています。
例えば、震災があります。普通、私がやっている葉っぱの商売からみると、もうだめになると言われました。築地市場を中心に東京管内は料亭が駄目、温泉地が駄目、旅行業がだめということで売り上げが激減すると思われていました。でも、そんなことはなかった。売り上げは伸びました。なぜ、伸びたかと言うとマイナス思考ではなくてプラス思考で震災が起きたら何が起きるのかいつも考えた。何が起きるかというと、まず節電が来た。ということは冷涼感溢れる料理を絶対に出してくるなと考えました。そうなると涼しさを演出するレンコンの葉っぱや蓮いもの葉っぱが沢山売れるぞと考えました。案の定、いつもの2.5倍の売上になりました。家族の絆か、そうか、おせちが来るなと考えました。変化が起きた時に必ず何かが自分の事業に関わってくる。この変化を読んで自分の事業に繋げていく。皆が駄目だよと100回言っても、1000回言っても、何の解決策にはならないのです。
売上が伸びたら、それを震災の復興にあてていこう。こういうポジティブなものの見方がなぜか出来ない。世の中で起きていることに対して、そうだよね!と皆が当たり前のように考えることが変化に対してすごく弱い形になっている。特に、田舎は変化の流れに対して弱いものだと思っています。だから、この条件が不利、マイナスの見かたなんです。田舎って、皆、条件不利地域とか過疎地域とか限界集落という言葉を言うんですけれども、私は、上勝町に行ってから、こういう言葉を一切使わなかった。なぜ、そういう視点でみるのか。じゃあ、田舎は交通機関が不便だと言う。確かに、そういうことはある。でも、じゃあ、そうでない部分もあるよねと。色つき香りの良いものが沢山ある。高齢者は知恵もあるし経験もあり、人間力がある。こうしてみると田舎も何かに長けたものがあるではないか。こうしたプラス思考でものごとを考えていかなければならない。同じ土俵の中で、マイナス部分が多いのであれば違う土俵で試合をすればよいと思います。
お婆ちゃんに、いつも言うんです。「僕は東京大学に講義に行くんだよ」と、するとお婆ちゃんが「横石さん凄いな、東大で教えるんか?」と感心する。それで、私はお婆ちゃんに言うんです。「僕はテストをやったら、東大生と1000回勝負しても一回も勝てない。そんな僕でも東大生に教えることがあるんだよ。皆、自分の得意技で勝負したら良いんだよ」つまり、自分たちや自分の地域をしっかり見渡せば、自分が勝てる部分が必ず見つかるのです。そういうものの見方が出来ないから、いつまでもたっても負け犬の意識の中からは何も出てこないのだと私は言い続けて来ました。
私は社会に出て、もう34年になります。私は徳島市で生まれまして、父親は徳島県庁に勤める公務員でした。私は中学校3年生の時に言われました。農家を指導する農業改良普及員という仕事にお前は就くのだと言われました。しかし、私は父親を見ていて自分が公務員と言う仕事には向いていないとつくづく思っていました。そんな時に、もう既に亡くなった上勝町の町長と組合長が横石という人間を上勝町に引っ張って来たいと言われました。県庁を受けようとしていた私は、父親に、「自分は公務員には向いていない」と言ったら、父親も、「それでは2-3年山へ行って勉強してくるか」言ってくれて上勝町に赴任することになりました。
ところが地域の人達は大反対。「よそ者なんて入れるな、地元のもんを雇え!」と反対運動が起きました。でも、亡くなった町長と組合長は「よそ者を入れなければだめだ。いつも同じメンバーが仕切っているから、この町は変化が出来ないのだ」と言い、強行採用ということで私は上勝町に行くことになりました。しかし、行ってみてビックリ。何をビックリしたか。とにかく酒飲みが多い。朝から酒を飲んで「おい。補助金はないんか?補助金を持ってこい!」と会議したら補助金の話ばっかり。女の人は軒先の下で嫁の悪口と近所の悪口ばっかり言っている。
「私は、タクワンの尻尾を齧ってでも、子供は東京の大学へ行かせる。東京の一流大学を出して良い会社に就職させるんじゃ。子供はこんなところに置いときたくない」というお母さんが、学校から帰ってきた中学3年生の子に私の目の前でなんと言ったと思いますか? 私が、お爺ちゃん、お婆ちゃんと農業の話をしている中、子供さんが帰ってきたら、お母さんが不機嫌そうな顔をして「あんたこんな時間まで何処へ行っとんたんじゃ?何しとったんじゃ?あんた勉強せなんだら、この上勝町に残るようになるんだよ。しっかり勉強し。お父さんのようになったらあかんのだよ。」
まあ、そんなことでは、とってもあかんなと思いました。でも、でも、その原因はどこにあるのかと調べたらすぐにわかりました。やっぱりね、皆さん。田舎は、儲からない。生活が厳しい。生活するのがやっと。働いても、働いても、農業やっても林業やっても建設業やったって、本当に僅かなお金にしかならない。だから、子供は東京へという感覚が染みついています。この経済を活性化する、所得を上げていくということをやらなかったら、この地域は駄目だなと私は思いました。
「役害」と言って、負け組の意識の中で、役を持った人たちだけが仕切る風習、これが駄目だと思いました。どの会議に行っても同じメンバーばっかり、いつも同じメンバーが集まって協議している。女の人の出番もない。集まる時間もルーズ。こんな慣習、習慣が結局、地域を駄目にしている。そのように思えました。だから、こうした慣習を変えることだと。そう思って、皆を集めて、「これまでのやり方を変えることですよ。こんなやり方をしていて将来どうなるんですか? 地域は、こんなやり方をしていたら駄目になりますよ。」と言いました。そうしたら、皆、怒りましたね。机を叩くだけでなく、足で蹴り倒した。「お前、誰に向かって物を言うとるんや!他所から来た若い者がわしらに説教するとは何事だ!お前に何が出来るんだ!お前なんか出ていけ!」と最後は叩き出されることになりました。
まあ、自分の言っていることは間違っているのかなあ? しかし、今までの習慣のようなものが地域を駄目にしているんだろうなという点だけは間違っていないと思った。家に帰って父親に話したら、「お前、もう、そんなところ辞めて、県庁へ戻って来い!」と言う。私が「嫌じゃ」というと、父親は「お前県庁の仕事がどれだけ良い仕事か分かっているのか? 退職金がいくらあると思っているのか?仕事はボチボチしとったらよい。今回のように一生懸命、朝から晩まで働かんで良い。」まあ、びっくりしました。その親父も、大震災直後の3月15日に息を引き取りました。丁度、震災の前の日の3月10日に泊まり込みの看病をしていた時でした。ふと目を開けて、私の顔を見て「お前、あの時のこと覚えとるか?お前が、上勝町から追い出された時に、ワシの言うことを素直に聞いて県庁に行かんで良かったな。自分の思うことをやって、地域の人も元気になって良かったな。あの時は、すまなんだな。」と謝ってくれました。私は、親父に初めて認められたんだなと思って泣きました。
この慣習から何とか抜け出していかないといけないと言うことだったんですけれども。何しろ、地理がわからん。人がわからん。あいつの言うことを聞いてはならないと言う御触れの中で、いくら理論を言ってもだめだと思いました。特に、山の中では理論は何の役にも立たない。自分の出来ることを一つでもやって、一円でも良いから、それを積み上げていくという実績を積まないことには、信用してもらえると言うことはないだろう。それで、いろいろ考えた末に行商人をやろうと決めました。バナナの空き箱を町民に配って、これに一つでも作物を入れてくれたら、私が売って来ますと提案しました。2年間、市場の駐車場で寝泊りしながら朝4時に起きて8時には出勤ということで物売り商売の現場から始めました。それから16年間、売り上げは億単位でずうっと伸ばしてきました。この最初の現場からのスタートというのが良かったと思っています。
そして、この「葉っぱ」の仕事を考え出しました。28歳でした。大阪のあるお店で食事をしていた時に、お店の客に若い女の子で綺麗な子がおって、可愛いなと思ってみていたら、料理の飾りに出された赤い紅葉の葉っぱを見て「これ可愛いな、持って帰ろうよ! 押し花にしようよ!」と言う。「へー」と思いました。こんな葉っぱ、山に行ったら一杯あるのに。面白い商売だなと。これは商売になるな、もしかすると凄い商売になるかも知れないと思いました。葉っぱは山には沢山あるし、軽くて女性には向いているし、こつこつやれば良い商売になると思い、急いで上勝町に帰って皆を集めました。
皆の前で、「明日から葉っぱを売って稼ぎましょう」と言ったら、集まって来たお爺ちゃん、お婆ちゃんが「横石さんな、あんた昔から葉っぱをお金に換えるのは、キツネか狸の仕業と決まっているんだ。仕事は、もっとまじめに考えてくれないと困る」。もう真っ赤な顔をして叱られました。「あんた、頭がおかしいのと違うか? 日本中、北海道から九州まで葉っぱがどれだけあると思ってるのか?ボケたこと言うやっちゃな。」
他には、「横石さんな、私は、幾らお金に困ってもゴミを拾って生活したくはないのや」。それで私は、「どうして葉っぱがゴミなんですか?」と聞くと、「草を売るのは貧しい人がするこっちゃ、お金がないからって、物乞いするようなことはしたくない」。さらに「横石さんな、市場で通用するブランドを作って、産地として確立させて、物を流通させてお金を頂くのが農業だ。あんたのように、その辺に落ちているものを集めたら、隣の人に何と言われるか?あの家は、あんなものを売って生活していると言われたら、乞食と一緒じゃないか。あんたも変わっていると思ったが、自分が何を言うとるかわかっとんのか?」と叱り倒されました。
でも、私はこの時に悟りました。地域に眠る宝物をお金に換えられない最大の障害は「自信と誇り」だなと思いました。自分のやっていることが面白い、自分の仕事が楽しいと思えなかったら、足元を見ると言うことが出来ないのだなと思いました。特に、誇りのようなものがなかったら結局はうまいこといかんなと思った。だからこそ、このビジネスを成功させたい。そして、成功したら、この町の何かが変わるのではと思った。しかし、一人の賛成もない。もうお触れまで出てしまった、誰も言うことを聞いてくれない。こうなったら、個別攻撃しかないと150軒ほどの家に、毎晩泊まり歩いて、「葉っぱビジネスは面白い、やってみようよ!」と口説いて回りました。
そして、4軒。たった4軒が、「あんたがそんなに言うんだったらやってみようか」と言ってくれた。そして、事業を始めることができました。「ようし、やるぞ」と思って、商品を作り上げて売り歩きました。それが、全く売れないんです。全然売れません。どうして売れないのかわかりません。たまに売れても一箱5円から10円です。包装から含めて原価は45円。無理して売れば売るほど大赤字です。それで有名な料理人に見てもらいました。そしたら、「こんなの売れるわけがない。大体、お前は料亭に行ったことがあるのか?そんなのは素人が出来る商売じゃあない。直ぐにやめろ!」言われました。
それでは料亭に行ってみようと思い実際に行ってみました。そして玄関から入ると、「お前何しにきたんだ」と目茶目茶怒られました。「玄関ではなく裏手へ回れ」と言うので、裏の調理場から入ったら、「お前のような人間は相手にしたくない」とケンモホロロでした。そしてある人に相談したら、「横石さんな、一度、お客さんで行ってみたらどうですか?」と言うので、当時、給料が10万円もないのに3万円を出して行ってみました。早速、料理に出た葉っぱのことを聞いてみたら、「この葉っぱは、庭からとるんですよ。そして、皆敷というのをご存知ですか?この葉っぱ一枚一枚にいわれがあるんです。それで季節感を出し、料理を引き立てるために私たちは精魂込めて添えているんですよ」と教えて下さった。それを聞いて「やったあ。これで行ける、この現場がわかったら絶対に、このビジネスは成功する」と思いました。
直ぐに帰って、町長に葉っぱビジネスを成功するために料亭を研究したい。ぜひ調査費用を出して下さいとお願いした。そうしたら「そんなお金が何処にある」と全く受け入れてもらえませんでした。しかし、商売を成功させる秘訣は現場にある、現場がわかったら絶対に成功すると思って、料亭を回って教えてくださいと頼みこんだが全くだめでした。当時の料理人の世界は、かなり怖い世界でもありました。料理の鉄人の番組以降、料理人がテレビに出るようになって、ようやく料理人の世界が表社会で通用するようになりました。そんなことも知らずに強引な情報収集を行って右足の太ももに包丁を刺されました。家に帰っても出血が止まらず、妻が救急車を呼んでくれて病院へ連れて行ってもらって幸い大事には至りませんでした。
この事件をきっかけに、妻は、「もう家には1円の金も入れなくてよい、お父さんがやりたいことをすればよい。給料、全部使って最後まで思うことをやりなさい。家の事は私が何とかするから」と言ってくれた。私は、涙をボロボロ流しながら、妻に感謝しました。そして、北海道から九州まで何千軒という料亭を客として回って歩きました。今も、私は365日、日本全国の現場を歩いています。そして、葉っぱの使われ方、いわれや季節感を徹底的に学んでいます。これを皆に伝えていくと、どんどん右肩上がりに業績は上がりました。ただ、問題はありました。余りにも全国の料亭で飽食三昧をしたので、痛風にはなるは心筋梗塞にもなりました。今、私の心臓の周囲にはステントが5本も入っています。その手術をしたお医者さんが、「貴方を必要としている人が居るんですね」と言う。初対面のお医者さんが、どうしてそんなことを言うのかと思ったら、「貴方の血管は全部詰まっていたが、どの血管も血流を少しだけ流すに必要な分だけ空いていた。こうした奇跡は貴方を必要としている人が居る証拠だろう」と言って下さった。やはり、人のために働けば必ずそれだけの報いがあると悟りました。
今、上勝町では200軒の農家が葉っぱビジネスをやっています。全員、75歳以上です。人の力を引き出す。特に高齢者は、物凄い力があります。知識があり、経験があり、人間力があります。今の日本では高齢者は3割しか活かされていません。若者はもっと酷くて1割しか活かされていない。つまり若い人の力が引き出せる社会構造になっていないのです。
私が、どうして成功したかのかと言えば、誰も考えない仕組みを次々に開発してきたからです。何かものを見て、これがこういう風でない使い方、利用のされ方はないものか?と常に考えて来ました。一つの視線だけで物を見ない。いろいろな角度からこういう風にしてみたら、あんなことが出来ると考える習慣を持つことです。例えば、町の防災無線。これは普段、災害の無いときには使われていません。これに目を付けて役場に防災無線を商売に使わさせてくれとお願いしました。各農家に無線FAXで一斉に同報通信したのです。これが、一番最初にうまくいったICTの利用方法でした。
次にコンピュータです。なぜ、これを農家へ導入しようと考えたかと言えば、ヒントはスーパで物売りをしていたときです。私は店長の期待の3倍以上を売り上げました。買い物客への売り込み方法が的を射ていたからです。つまり、お客様が何を欲しいかが勘で分かっていました。その時に、POSが持っているデータと現場を結びつけたときに、そうした勘がもっとうまく引き出せそうだと思ったのです。つまり、直観力に頼るだけでなく、データを上手く使えば、もっと売れると思ったからなのです。そして、コンビニエンスストアが登場する。この仕組みこそ、田舎が必要としているものだと思いました。必要な時に、必要なものが必要な量だけ手に入る。商売は、まさに、これです。
情報システムこそ、田舎に必要なんのだと。山は、全部商品棚だと思えばよい。そして、私は、皆、コンピュータを使おうと16年前にお婆ちゃん達に呼びかけたのです。16年前と言えば、役場がようやく伝票からコンピュータに移行しようとしているときに、70歳から80歳のお婆ちゃん達にコンピュータを使わせようとするなんて、横石さんは、いよいよ頭がおかしくなったと言われました。国もだめ、県もだめ、町もだめ、組合もだめ、一人の賛成もなかった。町の議員さんたちは、婆ちゃんがコンピュータを使えるわけがない、自分が出来ないものを親が出来るはずがないと思っていました。皆、絶対に無理だと言ったが、私は絶対に出来ると言う自信があった。私は、出来ないと言う出口を持っていない。出来ないと言う出口を持っている人は、必ず、何らかの理由を見つけて、その出口から出ていくのだ。出口から逃げる人と、どうしたら出来るかを考える人の差が大きな違いになってくると思います。
私は、学校時代から商売が大好きだったが、商売のアイデアを披露して皆が賛成してくれたら、これはもう駄目だなと思っていました。大多数の人が賛成するビジネスは価格競争になると思った方が良いのです。それは難しい、とても商売にはならないと言われたら、私は喜んだ。これが出来たら、きっと儲かる良い商売になると思っていたからです。やはり、儲かる良い商売とはオンリーワンというか隙間というジャンルではないでしょうか。
私は、お婆ちゃんたちに最初にコンピュータを使わせるのにマウスでもキーボードでもなく大型のトラックボールを使いました。これは大成功でした。私は、常々、人間力とは出番と評価と自信だと思っています。この3つが備わってくれば人間は何でも出来る。マイクロソフトのバルマーCEOが上勝町まで来られて、どうして、この町は、こんな高齢者がコンピュータを使えるのですかと質問してきました。私は、答えました。「キーボードを目の前にしたお年寄りが、これ押してみたい、見てみたい、やってみたい。そう思っただけでコンピュータを使えるようになるんですよ」と言いました。
人間と言うのは、人それぞれの中に、ツボを持っている。価値観を持っている。それを、どう見抜いて活かせるか?これによって人は、物凄いパワーを生み出します。例えば、田舎で一番嫌なこと。なぜ、田舎はパソコン授業を都会のようにやらないのか?人前で自分が出来ないことを知られたり、馬鹿にされることが嫌なんです。「あんた、こんなの出来ないの!あんた、駄目だよね!」というようなことを人の目の前で言われたくないのです。
つまり、人前で晒し者になるのが嫌なんです。だから、自分から新しい事には挑戦しない。ところが、人知れず、うまく出来だすと乗ってくる。これが、ある意味でツボでもあるんです。何を気にしているとか、誰と誰がライバルだとか、褒めてもらいことが何かとか、習慣とか、価値観とか、こういったことを掴んで、うまく舞台を作ってあげると驚くほどの力を発揮します。例えば、上勝町のお婆ちゃん達がどうして、これだけ元気なのか?と言う秘密は、負けず嫌いからなのです。隣に負けるのは絶対に許せない。皆で、頑張ろうと言ったって誰も頑張りはしません。街づくりも同じ。後援会も同じです。ところが、個人競走になると驚くほどの力を発揮するのです。
見てください。上勝町では、各農家は、こうして自分の成績とランキングを見ることができます。田舎の人はランキングが大好きです。こういう情報を毎日情報として画面に出せば、お婆ちゃん達は毎日、かかざすコンピュータを見ます。どうしても見てみたいからです。自分の昨日の売上は幾らだったのか?そして、一つでも順位が上がれば、喜んで近所を走り回ります。また、明日も頑張ります。見てください。このお婆ちゃんの昨日の一日の売上は6万3千円です。たった一日でですよ。年収にしたら、1,300万円くらいです。78歳のお婆ちゃんが、たった一人で、これだけ稼ぐのです。皆、競争しているからです。家で、腰が痛いとか足が痛いとか言っている暇がない。ほら見てください。一人で脚立をかけて高い木に登って葉っぱを取っている、このお婆ちゃんは、撮影当時が97歳です。今は、101歳ですが、相変わらず、毎日、葉っぱを取っています。そして、この写真で見てお分かりのように、お婆ちゃん達は、山の中をこうしてタブレット端末を見ながら注文に応じて品物を集めていきます。
ねたみとか、やっかみではなくて、ポジティブな競争だと思っていますが、実は、これは紙一重です。そして、良い方へ転がれば、信じられないようなパワーを発揮します。もともと、田舎は、競争が大好きです。隣が田植えを始めればすぐに始める。隣が家を新築すれば、すぐに追随する。となりが車を買えば、直ぐに追いかけて買う。もともと、こういう文化で育ってきているから、競争心は、都会の人たちには絶対に負けない。これが良い方に回転しだしたら凄い。もう、都会の人には勝てません。
こんな風ですから、上勝町の生活保護所帯は数軒しかないです。上勝町は2,000人の人口で30億円の余剰資金があります。だから絶対に近隣市町村と合併なんかしません。大体、高齢者が病院にも行きません。皆、元気だからです。脳梗塞で左半身付随で一生車いす生活だと医師から宣言された、このお婆ちゃんは、右手だけで出来る葉っぱの区分け作業を毎日している内に、左半身も動くようになり、今では普通に歩いています。多分、何も仕事をしていないでベッドで寝ているだけだったら、二度と車いすから離れられなかったでしょう。高齢者を介護するのではなく、自立して働いてもらう。出来ることをやってもらう。これだけで、社会保障の費用は極端に減るのです。
横石さんの講演は、まだまだ続くのですが、横石さんが始められた「葉っぱビジネス」は、いろいろな意味で、日本の地域再生、高齢者対策、人材育成、あるいはダイバーシティの問題まで、幅広く応用が効くと思われます。文字通り、命がけで信念を貫き通した横石さんの功績が、長く、日本社会に語り継がれることになると私は思います。