私は、昨日行われた日立造船の株主総会にて社外取締役に選任して頂いた。私としては、また新たな経験が出来ると大いに喜んでいる。もともと日立造船とは全くご縁がなかった私を選んで頂いた、古川会長兼CEOには大変感謝をしている。広く欧米を見渡してみても、どの企業も社外取締役の選任には皆、極めて慎重である。大体が、社長、会長の友人や、そのまた友人など何らかの縁で結ばれていて素性の分かった人を選ぶことが多い。その意味では、日立造船という会社自体と私を選んで頂いた古川会長ご自身も、会社の透明性という点で強い自信がおありになるからであろう。
今回の話も、私が富士通の海外事業責任者だった時に、お付き合いしていたヘッドハンターから頂いた。「伊東さん、面白い会社があるので、経営に参加してみませんか?」と言われて紹介されたのが日立造船だった。世界屈指のヘッドハンター企業の日本支社長を務めておられた方なので、会社と人物の目利きには大変鋭いものがある。しかし日立造船が、なぜ「面白い会社」なのだろうか?
リーマンショック以降、世界中の資源と食料に対する爆食大国であった中国が4兆元の景気刺激策の後遺症で変調をきたして以降、「世界の常識」が大きく狂い始めている。中国の爆食が一息ついたところで、資源大国であるオーストラリア、ブラジルの景気が後退し始めた。次に、中国やブラジルと共に21世紀の成長の柱と言われたBRICsの仲間であるロシア、インドまでもが変調をきたし始めている。もちろん、欧州の景気後退で中国からの輸出も低調となった。こうなると、世界の物流は大きく冷え込み、先が見えない海運不況、造船不況へと連なって行く。
こうした動きを、さらに大きく加速させているのが、石油など燃料費の高騰である。もはや、運送費はタダ同然というわけには行かなくなってきた。地球の裏側から野菜を輸入するなど採算が合わなくなってきている。さらに中国の人件費が高騰して、もはやメキシコと肩を並べるまでになった。そうなると、人件費から見ても、輸送費から見ても、世界最大の消費市場であるアメリカに向けた生産拠点として、メキシコの優位性が非常に高くなってきている。今や、メキシコはブラジルと並ぶ中南米GDP大国の一つになるのではないかとさえ言われている。そうなると、もう船は要らない。メキシコから米国へはトラックで運べるからだ。
特に造船業界は、例えば、ばら積み船に関しては、むこう50年間新規受注が見込めないとも言われている。もう、これ以上貨物船は要らないようなのだ。先日、日本造船工業界の会長に就任された佃三菱重工相談役も、日経新聞の取材で「世界の造船需要が年5000万トンであるのに、生産能力が1億トンもあるのだから業界として何らかのことを考えないと生き残れない」と仰っている。日本以上に造船業を基幹産業としている中国や韓国でも、今後、造船大手の半分は倒産に追い込まれるだろうとも言われている。
ああ、それなのに、どうして日立造船が「面白い会社」なんだろう。実は、日立造船は、未だに社名に「造船」がついているものの、今から10年以上も前に、かつての主力事業だった造船分野を分離・売却していたのだ。そして、造船技術で磨いた技術を用いて地球と人類のために役立つ「環境、防災、資源」という21世紀の注目分野へと産業構造転換を行い、それが軌道に乗り始めて利益体質に転換し、既に復配まで成し遂げている。凄い!確かに十分に「面白い会社」であった。さっそく、ヘッドハンターに「私、参加してみたいと思います」と電話したのは言うまでもない。
お話を頂いてから、昨年秋に、3年に一度開かれている技術展示会に招待された。結論から言えば、全ての展示やデモが、心躍る、わくわくするものであった。よく、CSRの観点から「地球と人に優しい」という枕詞を掲げている企業が多いが、この日立造船が行っている研究開発活動は、一目見て「地球と人に優しい」製品やシステムを目指したものであることが直感できる。例えば、環境分野ではゴミ発電焼却炉、防災分野ではGPS津波波浪計、津波の力で海底から起き上がり、津波の力を利用して津波を堰き止める防波堤、資源分野では海水淡水化プラントと言った具合に、誰が見ても「これは地球と人類にとって必要欠くべからざるものだ」ということが極めて判り易い。
最近、妻が、新聞で日立造船関連の記事を目ざとく見つけて、「本当に地球と人類のために良い事している会社ね」と感動しているのを見ると私もまんざらではない。そう言えば、この何年か私が講演してきたテーマは、「産業構造転換による日本再生」とか、「資源問題からみた環境経営」と言った内容であったが、その中で話していたことを、まさに日常の営業活動、研究活動で行っている会社が日立造船であった。私は、常日頃、21世紀で生き残れる企業は「社会から必要とされている企業」と言い続けてきた。ようやく、ヘッドハンターが、何をもって「面白い会社」であるかという理由が少しずつ判ってきた。
もう一つ、造船事業を手放した日立造船は、日立製作所とは何の資本関係もないのに、なぜ「日立」なんだろうか?という疑問である。どうも、聞いてみれば、戦前、日立製作所を含む日産コンツェルンに吸収され、日立製作所の100%子会社であった時代があったらしい。戦後、GHQの財閥解体によって日立造船は日立製作所から完全に分離独立したが、代々の経営者には「今でも日立グループの会社」という想いがあり、日立製作所とはつい最近まで相互に社外取締役を交換していたらしい。
先日、5月9日に行われた日立造船の決算発表時に、私の社外取締役就任予定に関する人事案件が新聞に公表されたので、大学時代からの親友である日立製作所の中西宏明社長にメールで、その旨の挨拶をした。ほんの2分もしないうちに、中西社長から返信が来た。多分想像を絶するほどに多忙なはずなのに本当に律儀な人である。「日立造船のTOPとは、今でも旧日立グループの懇親会で会い、お話をしている。日立造船は、これまで長い間苦しんできたが、ようやく将来が見えてきた。ぜひ、支援をしてあげて欲しい。」と言った内容だった。そうなのだ、私は、日立造船とは全く縁もゆかりもないと言うわけではなかったのだ。