2013年3月 のアーカイブ

215 アメリカ製造業の再生にむけて

2013年3月29日 金曜日

昨日、経団連会館にて行われた、MIT国際問題研究所が主宰するシンポジウム「新しい時代の製造業」に参加した。オバマ大統領が陣頭指揮を執る、アメリカ製造業復活に向けて、アメリカ全体が真剣に取り組んでいる様子が伺えた。

今年、初頭にシリコンバレーを訪問して感じた、アメリカの製造業復活への意気込みは、やはり半端ではない。シェールガス革命によってアメリカ最大の懸念事項であったエネルギー問題が解決したことと、これまでアメリカが必ずしも得意ではなかった、イノベーションからものづくりに向けたインプリケーションの道筋が三次元プリンターの出現によって極端に簡略化される見通しが出てきたことで、アメリカ全体が活気づいている。今日の議論も、日本の成長戦略、産業政策を立案する上でも大変参考になったのだが、私が、ただ一つ気になったのは、アメリカの産業政策を担う教授たちのプレゼンテーション資料のベンチマークに登場する国は、アメリカ、中国、ドイツの3か国だけで日本がなかった点である。

最初に登場したスザンヌ・バーガーMIT政治学部教授は、今日のシンポジウムを行うきっかけとなった問題提起を行った。つまり、イノベーションが、その価値をフルに発揮する製造業とは何か? アメリカは、未だ、そうした事が出来る可能性を持っているのか? 一体、何をすればイノベーション創造から価値創造へと結びつけることができるのか? アメリカの将来の製造業は、どういう形であるべきか? 新しい、エマージング・インダストリーとは何か? ファイナンシャルモデルは? アメリカには、未だスキルが残っているのか?

そして、アメリカのモノづくりは、どこで間違ったのか? サミュエルソンは、そんなに驚くことではない。農業生産人口が40%から2%に減ったのと同じことだと言う。それでも、農業の生産性向上が、生産人口の減少をカバーしたと言う。しかし、良く見ると、アメリカのものづくりの生産性向上は、この10年間でさっぱり向上していない。輸入に含まれる生産分を計算に入れてみれば、直ぐに明瞭になる。いや、製造業からサービス産業へ移行したのだから、問題ないと言う人もいる。私は、そうは思わない。サービスとモノづくりは一体化したものであり、不可分だ。

それとも、アメリカの製造業衰退はグローバリゼーションのせい? 特に、中国のせいだというのか? そうではなくて、それはアメリカ自身の問題だ。アメリカは、1980年以降、企業の形態を変えた。1980年当時は、アメリカのTOP25社は全て垂直統合型の企業形態だった。R&Dから製造まで1社の中に全て存在した。今日、金融市場からの圧力もあり、アメリカは生産を国外に出し、細分化、特に機能の分散化を行った。サプライチェーンを含む形で企業構造が変化した。

その結果、イノベーションが起きた所で、一定以上の規模にスケールアップすることが出来なくなった。まず、お金がない。人材がいない。それに対して、何の政策的対応もなされなかった。私たちは、アメリカで180社、中国で36社、ドイツで32社の企業を訪問して、その実態を調べた。イノベーションを市場へと結びつけるMade in Americaを行うためには、強い生産能力をもたなくてはならない。そして、外部企業との連携、アクセス能力が必要である。ここで特許や知材権の問題は、さして重要とはならない。むしろ産業エコシステムを再構築することが重要である。特に重要なのは中小企業同士のコーディネーションである。

続いて、登壇したのは、MIT産業生産センターのエリザベス・レイノルズ エグゼクティブ・ディレクターである。彼女は、米国のイノベーターが起業して、ある程度の規模の事業化まで成功して、その後のScale Upで苦しんでいる実態を調査した。ボストンを中心として、創立から5-10年を経た、約150社を調査した。平均年間売り上げは5億円で、平均的にベンチャーキャピタルから15億円の投資を受けていた。こうした中堅企業が、アメリカの労働市場から多様なスキルを持った人々を調達するのは、それほど難しくない。また企業間ネットワークもボストンのみならず西海岸のシリコンバレーとも密接な連携を持っているし、一日24時間、週7日にわたり不断のサプライチェーン網も米国内に築き上げている。

こうした中堅企業が、それ以上にScale Upできない最大の問題は、米国では製造業の分野で50億円以上の規模の投資を集めることが極めて難しいということだった。アメリカのベンチャーキャピタルはスタートアップには投資するが中堅企業のScale Upには投資しない。特に製造業には投資しようとはしない。調査した150社の内で、Scale Upに成功している17社の内、12社が外国の資本と提携している点に注目したい。特に、中国企業との連携が大きな割合を占めている。結局、中堅企業は、Scale Upのために米国から逃避して中国資本を受け入れている。つまり、米国には、長期的な製造業支援のための公共政策(Industrial Commons)が欠けているということだ。

そうした問題指摘を受けて、エドワード。スタインフェルドMIT政治学部教授でMIT-中国プログラムディレクターは、アメリカが中国から学ぶべきこと、そして、これからの中国との付き合い方についての語りは、日本企業にとっても大変注目すべき内容が含まれている。

中国が、アメリカを脅かす製造業大国となった原因の一つは、現代の製造業が国境を越えた多国間の連携なしでは出来なくなったことである。川上のR&Dと川下のモノづくりは、分離せざるを得ない状況になっている。この最大の原因は中国が築き上げた見事な製造エコシステム(生態系)にある。アメリカから見ると、中国製造業の顕著な発展は過剰な国家介入ではないかとの疑いを持っているが、一方で中国政府は自国では、いつまでもイノベーション創造が起こっていないという苛立ちがある。

中国は賃金が急上昇しており、低賃金だけが中国製造のメリットではなくなった。中国の魅力は、同時並行的にテンポ早く事業のScale Upが出来るプラットフォームが整っていることだ。また、川上から川下への架け橋をするエンジニアリング人材が極めて豊富である。また、多数の企業間のネットワークが極めて緊密で、それも近年は中国国内だけでなくグローバルネットワークにまで発展させている。

これまで中国への技術移転は知材権の問題も含めてリスクがあると言われてきたが、結局特許というのは技術移転を阻むことに何の役割も果たさないことが判ってきた。中国への技術移転は、単なる移転ではなく、むしろ双方向に学習できる道を築くことでお互いにメリットがあると考えた方が良い。

アメリカが中国の製造業から学ばなくてはならないこととして、バックワード・デザイン(リバース・エンジニアリング)がある。中国におけるイミテーション技術は単純な模倣ではない。中国のエンジニアは模倣する際に、バックワード・デザイン手法を用いて、構成部品の単純化を行うと同時にコストダウンも行う、合わせて製造の容易性を追求している。この結果、オリジナルなものより安く、大量生産可能で、結果的に品質も向上することになる。

そして、中国の技術者は、単なる製造技術的な改善だけに留まらず、これまで高級市場向けに開発されてきた製品をミッドレンジ市場に向けて大幅に再設計することも行っている。これは、もはや単なる模倣とは言えない。アメリカは、こうした中国の技術者が行うバックワード・エンジニアリングから大きな恩恵を受ける筈だ。アメリカは、中国で成功した手法を学び、みずからの事業に取り入れて、さらに新たなイノベーションを起こせばよい。

さらに、製造技術開発のプラットフォームとして中国がアメリカより優れた点は、大きなリスクを取って投資を行う土壌が出来上がっておりスピーディーなScale Upが可能となっていることにある。実験室段階から大量製造へ向けての実用化プロセスは、今、世界で中国が一番進んでいる。最近の、大きな成功例はクリーン・コール(石炭ガス化発電)である。MITからスピンアウトしたボストンのスタート・アップが中国企業と連携し、大規模なクリーン・コール発電機の開発に成功した。

最後に、ご紹介したいのは、ポール・オスターマンMITスローンスクール教授が語った、「米国の製造現場における人的課題・労働者スキルの欠如」という問題である。オスターマン教授が語ったのは、今、アメリカの製造業で必要とされるスキルは高まっているのか? そのために教育は必要なのか? アメリカの労働者は、望んでも必要なスキルを手にいれられないのではないか? というテーマであった。

多くのエコノミストの主張は、アメリカの労働力需要はハイエンドとローエンドに2極化していて、特に製造業の分野ではスキル不足と言うことはないと言う。一方、製造業界の主張は、7割の会社が労働者のスキル不足で悩んでいると言う。一体、どちらが本当なのだろうか? という疑問を持ったオスターマン教授はアメリカ全土の工場と各地域のコミュニティスクールや高校を訪問して実態を調査した。

結果として得られたことは、アメリカの製造業で必要とされるスキル需要は、それほど上がっていない。75%の製造業は、必要な労働者をいつでも集められる。しかし、残りの25%の製造業は、高いスキルを持った労働者を必要としており、簡単に集めることが出来ない。また、頻繁な退職により労働者のスキルはむしろ悪化しており悩んでいる。

労働者のスキルで悩んでいない75%の製造業の中で、58%の企業はスキル需要は上がっていないと答え、60-75%の企業は読み書きと算数が出来れば良いと言い。63%の企業が週一回程度PCが使えれば良いと言っている。こうした企業は、全米に溢れている何百万人もの失業者が居て、賃金も全く上がっていないので、必要となれば4週間以内に95%の労働者を集められると言う。

問題は、残りの25%の製造業である。こうした企業は、小規模ながらイノベーションが進んでいる企業で、将来の成長余力が高い企業である。労働者に必要なスキルとして三角関数が判るような高度な数学を理解できる能力を挙げている。現在のアメリカでは、若者にスキルを与えるシステムが劣化している。また企業側も退職率が高いために企業内教育を殆どしていない。これが、アメリカの製造業発展を阻害する大きな要因となっている。

こうした課題こそが、政策提言のテーマとなる。イノベーティブな製造業が必要とするスキルセットをきちんと教育できるコミュニティスクールや高校のカリキュラムの見直しと助成策の強化が必要である。そして、そうしたスキルを持った若者と、それを必要としている企業との仲介者が要る。また、離職率を下げるための製造業におけるジョブセキュリティの仕組みが必要である。

今日は、こうした多角的な面から、MIT教授連中の真剣な議論を聞かせて頂いた。日本の各地で行われている「モノづくり復活」の議論よりも、熾烈な国際競争が行われている現実を直視し、労働問題、教育問題まで含めた、より深刻な課題まで掘り下げている点に感銘を受けた。多分、日本の成長戦略、産業政策にとって大いに参考になる点が沢山あるように思えたのは、私だけではないだろう。

214 経済学は死んだ??

2013年3月27日 水曜日

先週は3回も講演があり外を出歩いていたが、今週は何もないので久しぶりに、オフィスでじっくりと買いだめしておいた本を読むことにした。何冊か読むうちに、一見無関係に思えた次の2冊の本が密接にリンクしていることに気が付いた。一つは、ジョン・クイギン著「ゾンビ経済学」で、もう一つはエリック・ブリニュルフソン、アンドリュー・マカフィー共著「機械との競争」である。

「ゾンビ経済学」では、かつて一世を風靡し、政策にまで影響を及ぼした経済理論は、本当に正しかったのか?を問うている。経済学では、既に破たんした思想や理論が、破綻した後も、化粧直しをしてゾンビのように復活し幅を利かせているという。確かに、数多くのノーベル経済学賞を取った欧米の経済学者が政策のリーダーシップを取る、アメリカやEUにおいて、未だに経済復活の施策を見いだせないで苦しんでいる。グリーンスパンが採用した、大中庸時代説(安定した経済がずっと続く)も、新ケインズ派であるサミュエルソンが唱える効率的市場仮説(市場は合理的でバブルは起きない)や金持ちが豊かになれば貧困層にも、その恩恵は波及するというトリクルダウン説も、このたびの世界金融危機の中では正当性を否定されたはずだった。

今の日本で持て囃されているアベノミックスも、こうした経済学理論で日本経済を再生しようというものである。金利政策と市場に出回る通貨の量で経済を発展させようとする政策は、既に、アメリカとヨーロッパで何度も試されたが、決して顕著な成果を挙げることは出来なかった。しかし、今回のアベノミックスで「市場のムード」を前向きに変えた効果と「為替の正常化」が、日本経済の高揚に及ぼしたことは大きく評価されてしかるべきである。実体の経済は、「経済学に基づく政策」よりも消費者や経営者が持つ「ムード」の方が遥かに大きな影響を持つ。

今、アメリカはシェールガス効果もあり、着実に景気が上向いていると言われている。しかし、本当にそうだろうか? アメリカ経済は、その7割を個人消費に依存しており、個人消費に、たった3割しか依存しない中国経済とは構造が大きく異なる。そのアメリカの個人消費を支えるのは給与水準よりも、もっと重要なのは雇用統計である。従って、アメリカの株価も、毎月発表される、この雇用統計の数字に極めて敏感である。そして、ここのところの雇用統計は毎月10-15万人増と、増え続けていることが、市場に好感を与えている。だから株価が上がっている。

しかし、もはや経済学者たちは、2007年から2009年までの金融危機ではアメリカ全体で1,200万人の雇用が失われたことを忘れている。この数字は、仮に毎月20万人に雇用が増えても、その穴埋めには60か月かかることを示している。もし毎月の雇用増加が10万人ペースなら120ヶ月かかるわけである。実際、2009年7月にアメリカが大不況集結宣言を出して以来、7四半期ベースで年率換算2.7%のGDP成長を見せ、企業の設備投資も、この30年間で最大のペースとなり、アメリカ経済は完全復活を示しているように見える。だから株価も高騰し、アメリカ復活と沸き返っているわけである。しかし、雇用は目覚ましく増加しているわけではない。つまり、この2年半は「雇用なき繁栄」が続いている。これでは個人消費が伸びるわけがなく、アメリカ経済の繁栄は、またしても実体経済と乖離したウオールストリートだけのバブルに陥る可能性がある。

さらに日本と異なり未だに人口が大きく増加しているアメリカは、この雇用問題に関してもっと深刻である。アメリカの人口は過去10年間で3,000万人増えている。この結果、全人口の就労比率を2000年と同率に保つためには、リーマンショックで失われた1,000万人の雇用を別にしても、さらに1,800万人分の雇用増加が必要であった。しかし、2000年以降の雇用増加はほぼゼロであったため、2000年の就労率64%は10年後には58%にまで下がっている。就労可能人口の半分しか就職口がないということである。

なぜ、経済学の大家が、現在の経済動向を見誤ってしまうのか?雇用拡大に向けての有効な経済政策を見いだせないのか? その疑問に答えるのが「機械との競争」である。17世紀に英国で始まった産業革命は、農業から製造業への労働力シフトを大規模に行うことになった。それでも農業は機械化と大規模化によって生産効率を高め、生産額が縮小することはなかった。その後、製造業の自動化が進展するとともに、先進国の労働者はサービス業へとシフトしていった。また、国民全般の高学歴化に伴い、サービス業の中身も、どんどん高度化し、雇用の拡大と賃金の増加が同時並行的に行われることになった。

この「機械との競争」は、コンピュータやロボットの高度化によって、高度なサービス業の領域まで雇用が失われていると指摘する。例えば、グーグルが自動車会社になると言われると誰もが驚くだろう。実際、グーグルは真剣に自動車会社になろうとしている。いや、べつにグーグルは自動車の車体やエンジンを作ろうというのではない。グーグルが自動車に見出している付加価値は「自動運転=無人運転」である。グーグルは米国政府の許可を得て、トヨタのプリウスを改造した車で米国の一般道路を22万キロも自動運転で走行させているのだ。グーグルMAPやストリートビューは、そのためにあったのかと今更気がついても遅い。このグーグルの自動運転カーは免許取り立ての新米ドライバーや、高齢者ドライバーより遥かに安全であると言う。

私もアメリカで経験したが、訴訟を受けるとデスカバリーと言って、相手の弁護士に会社の資料を全て持っていかれる。よく日本であるように検察が段ボール箱を何十箱もトラックに詰め込むのとは全く違う。アメリカではサーバのメールや資料保管ファイルをコピーして持っていくだけである。従来は、押収した資料を印刷して、弁護士が人手で何か月もかけて怪しいところがないかと調べ上げたものである。今では、コンピューターが、きちんと指示さえ出せば、数十分で結果を出してくれる。これだけで、訴訟社会であるアメリカの弁護士業界の雇用機会は大きく失われる。

製造業でも同じことが起きようとしている。Appleがテキサス州に広大な工場用地を購入し、現在、中国で生産されているiPhoneやiPadを米国内で生産するのではないかという噂があるが、私は、これは本当だと思う。しかし、この工場を運営するのは台湾資本で現在中国で工場展開しているフォックスコンだろうと推察できる。このフォックスコンのテリー・ゴンCEOは2011年に稼働している生産ロボット1万台を2012年には30万台、2014年までには100万台にする計画を発表している。こうなると折角、中国からアメリカ本土に移転してきたApple製品の生産拠点では、全てロボットが製品を作ることになり、アメリカでの新たな雇用は生まれない。

経済成長が、新たな雇用を生み、個人消費を押し上げ、それが、また新たな経済成長へと結びつくという景気の循環サイクルがテクノロジーの高度化で動かなくなっている。いや、下手をすると、従来からの雇用もテクノロジーによって失われて、それが個人消費を低迷化させ、さらに景気を押し下げる方向に繋がって行く可能性の方が高い。これまでの経済学は、こうしたテクノロジーの変化を考慮にいれていない。私達に、本当に必要な学問は、景気循環を予測し、景気を高揚させる政策を立案する、こうした経済学という分野ではなくて、人間が人間らしく生き、暮らしていくための価値創造社会をつくるための社会学ではないかと思えてくる。

213 あれから2年(その6)

2013年3月25日 月曜日

昨日、武藤真祐先生から、先生が監修された高齢先進国モデル構想会議編「石巻医療圏 健康・生活復興協議会(RCI) 在宅医療から石巻の復興に挑んだ731日間」を頂いた。震災から3か月後、石巻の日和山から見た惨状は今でも忘れられない。また、同じ時期に女川町立病院がある高台の下で横転した5階建てのビルを見て、ただ茫然として声も出なかった。そう、この本の中に書かれていることは殆ど知っている。富士通の生川氏が武藤先生と石巻に在宅医療の拠点を作ろうと計画していた時点から、この本に書かれている8割方は既に知っていることばかりである。

それでも、「そうだったのか」と初めて知ることも多い。特に、武藤先生や祐ホームクリニックの運営を支えている園田さん達の時間を追った心の変化の過程は、この本を読んで初めて知った。そして、その部分を読むと思わず目頭が熱くなる。次々と起こっていったイベントの変化は外からも判るが、人の心の中までを窺い知ることはなかなか難しい。

この本にも登場する女川町保健センターでリーダーを務める保健婦の佐藤由里さんには、富士通のフォーラムでも講演をして頂いた。「被災地の事を心配してくれるのは嬉しいが、皆さんの周りで一人の自殺者も出さないよう心遣いすることも大事ですよ」と語って下さった佐藤さん。私が女川町立病院に隣接する保健センターに、講演のお礼に行った時も、笑顔を絶やさずにテキパキと同僚に指示を出していた佐藤さんが、実は、あの大津波で高校生だった一人息子さんを亡くされたとは、佐藤さんと別れて車に乗ってから初めて知った。

富士通からは生川氏と川村氏が、会社に在籍のまま、このRCIの活動に参加しているが、都内の大手IT企業を退職して、このRCIに参加している方もいる。また、アメリカやインドから、この石巻に駆けつけてこられた方もいる。私も、このRCIを訪問させて頂いたが、多くの若い方が、目を輝かして熱く活動をされている。少なくとも外目からはそう見える。しかし、活動の中身は、今も、毎日苦難の連続が続いている。石巻市民病院が地盤陥没で使用不能となり、石巻の海岸地区の個人診療所の殆どが破壊されてしまったのにも関わらず、将来の高齢者医療の本命と目される在宅医療制度は、この石巻・女川地区でさえも、未だなかなか認知されてきてはいない。そうした状況の中で、皆が、思いを一つにして頑張っている。

在宅医療システムは、これまでの医療システムを根本から大きく変える。この在宅医療専門の祐ホームクリニックに隣接する、石巻医薬品センター薬局を経営されている丹野先生は、この在宅医療システムを支える薬剤師側のリーダーである。丹野先生は、在宅医療システムは医師だけで出来るものではない。医師と看護師と薬剤師が一体となって運営されるものだと力説する。長い間、石巻市民病院に隣接した薬局を経営してこられた丹野先生は、これまでは医師が発行した処方箋を持参した患者に薬を渡すだけだった。それを受領した患者が、そうした薬を、どのように飲んでいるかなど想像だに出来なかったと言う。今回、在宅医療システムの中で、患者宅に薬剤師として訪問して驚いた。つまり患者宅に溢れるほどの大量の飲み残しの薬を見て呆然としたのだそうだ。

そして、このたび石巻医療圏 健康・生活復興協議会(RCI)は、単に在宅医療システムを立ち上げただけでなく、地区全体の住民の健康アセスメントを開始し、各家々を巡回して調査票を集め始めたのだ。元々は、行政が破壊された女川町の6人の保健婦さんたちが始めた3,000人分の被災者健康調査票をコンピューターへ入力することから始まった、このシステムは画期的であった。石巻の行政からも全く見えなかった在宅被災者の実態を明らかにしたのである。被災者は、避難所だけに入る人達だけではなかったのだ。外観的には、殆ど壊れかけて人が住んで居ないように見える半壊住宅にも被災者は住んで居た。避難所を中心とした被災者支援が、そうした膨大な数の在宅被災者を見逃していたのだった。

こうした考え方は、これまでの病院中心の医療システムを根本から変える。良く、漫談で、「あの人は最近、病院で見ない。どこか、体でも悪くしたのではないか?」という冗談がある。本当に体が悪い人は病院にまで行くことすら出来ない。むしろ、毎日病院へ通える人は元気な人である。「老化に伴う慢性的な疾病は、もはや治癒することが出来ないので病気ではない。」という最近の医学界の見解を私は本質的に正しいと思う。サロンのように、毎日病院に通う元気なお年寄りに過料な投薬を施すことは、むしろ健康を損ねるだけである。

それよりも、いよいよ体調が思わしくなく、病院にすら行くことも出来ない高齢者の方々を自宅で診て差し上げるという方が、遥かに本質的な高齢者医療とは言えないだろうか? そして、在宅医療に関する全ての医療行為を医師だけに任せるのも医師の負担を過度に重くするだけである。アメリカの在宅医療の殆どは、医師の委託を受けた看護師が患者宅を訪問して行っている。丹野先生が言うとおり、在宅医療は、医師と看護師と薬剤師が三位一体となって最善の医療行為が行えるよう、在宅医療システムを意識した新たな規制改革が必要である。

そして、今でも、石巻で聞いた、武藤先生の、あのお言葉が私の耳から離れない。「ITはもっと医療に関わるべきです。いかに優秀な医師であっても、知識ベースではコンピューターには全く適いません。医師は、もっとコンピューターを診断に利用すべきです。医師には、コンピューターでは出来ないことがある。それは患者とのコミュニケーションです。会話によって、患者の気持ちを安らかにすることは投薬以上に効果があるはずだ。」