本日、自民党の安倍総裁が第96代首相の就任。3年半ぶりに自民党への政権交代が実現した。しかし、歴史的な惨敗を被った民主党にも、実は、真っ当な考えを持ったきちんとした政治家は数多くいる。そして、民主党政権には歴史的な成果を上げた功績もあった。その中の一つが、私が、3年間に渡って、お手伝いをさせて頂いた規制制度改革委員会かも知れない。この委員会は内閣府の配下にある行政刷新会議の元で運営されていた。
私が最初に参加させて頂いた時の主担当は内閣府の平野副大臣だった。大変立派な方である。大震災後に、平野さんは、岩手県選出ということもあって、復興大臣に昇格された。その次に、大変、お世話になったのが内閣府の当時政務官だった園田さんである。園田さんには、福島県の飯館村に隣接する伊達市にある富士通のコンピュータ製造工場へ視察にも来て頂いた。内陸とはいえ、地震の被害は相当なもので、その惨状をつぶさに見て頂いた。また、工場でリサイクル処理した後のプラスティック素材や鉄材が、福島県の工場と言うだけで、引き取られないという悩ましい問題も丁寧に聴いて頂いた。
園田さんは、震災復興の加速化を目指した特区としての規制緩和問題もご担当され、大変真摯に政務に携わられた。その後、環境省の副大臣に昇格され、今度は、環境省の立場から、再生可能エネルギー促進のための規制緩和問題にも大きく貢献されることになった。その園田さんの後を、引き継がれた内閣府の中塚副大臣は、昨年度期末の最後の追い込みで106項目にも及ぶ大規模な規制緩和を実現された。当時、既に傾きかけた民主党の勢いを取り戻そうと岡田副総理の肝いりもあって、官庁間を必死に走り回って役人を説得する中塚さんの姿は鬼気迫るものがあった。その後、中塚さんは金融担当大臣に昇格されたが、今回の選挙で落選され下野されることとなった。
規制改革は、予算措置を伴わない、最も強力な成長政策となる。既に、莫大な財政赤字を抱えた日本にとって、成長を阻害する規制を緩和する政策は最も効果的な施策である。いろいろ厳しい批判を浴びてきた民主党ではあるが、唯一、これまでの自民党政権に比べて良い仕事をしたと言えるのは、この規制緩和だったと言えるだろう。既得権に縛られないという民主党の利点を最も活かせる政策課題だったのかも知れない。しかし、本日、政権交代に伴って、この規制改革委員会を含む行政刷新会議全体が廃止された。民間企業から内閣府への出向という形で集められた精鋭たちも、全員、本日付をもって辞任することになった。
もちろん、自民党とて、規制改革を含む行政刷新が、日本の再成長戦略にとって最も重要だと言う認識は全く変わらないと思われる。本日、その担当大臣として、党の副幹事長という要職にあった稲田朋美さんが選任された。それにしても、民主党が手掛けた体制は、良かろうと悪かろうと、一旦、全て消滅させるというのは、また凄いものだ。この勢い、このスピードで、ぜひ、民主党以上の勢いをもって規制改革、規制緩和を推進して頂きたいものである。
一方、今回の第二次安倍内閣は、私にとって大変懐かしい顔ぶれが多い。まず、安部総理大臣。ドイツで行われたハイリゲンダムG8サミットに随行させて頂いた。ドイツのメルケル首相は、この時のEU当番代表で、安倍総理は、次の年に日本で開催される洞爺湖サミットの主宰者になるはずだった。このハイリゲンダムサミット最大のテーマは地球温暖化を防止するための温室効果ガス削減目標の設定であった。安倍首相は日本の「美しい星」提案として、2050年に世界全体の温室効果ガス排出量を半減させるという画期的な提案を、このG8サミットの議長であるメルケル首相に提出したのである。この提案が、次回G8サミット開催の議長国である安倍首相から出されたと言う意味で、非常に大きな意義があった。
次に、私が、安倍首相に随行させて頂いたのは、インドネシア、インド、マレーシアの南アジア3か国訪問だった。夏の非常に暑い時期で、私たちは、デング熱防止のための蚊取り線香や除虫スプレーを持参した厳しい随行となった。大変なハードスケジュールの中で、安倍首相は精力的な行動をなされ、遂にインドで体調を著しく壊された。インドは、私達のような、全く健康に問題がない者でも、どんなに気を付けていても下痢になることを免れない国である。安倍さんのように、もともと胃腸に持病を抱えておられる方にはひとたまりもない。
最後の訪問国、マレーシアに入った時には、もはや気の毒で見ていられない蒼白の顔色であった。それでも、苦痛を我慢しながら、快く、200人近くいる随行員達と一人一人記念撮影の応じて下さった。もはや、とっくに、苦痛は忍耐の限界を超えておられたであろうに。そして日本に帰国して、1週間もたたない間に、安倍さんは、突然の総理辞任表明をされた。国内は騒然となったが、私達、随行員には、「やはり、ご無理された結果だな」と納得する辞任であった。この結果、せっかくお膳立てされた洞爺湖サミットという場での、「2050年に全世界の温暖化効果ガス50%半減」という歴史的な宣言をご自身で表明される機会を失われた。安倍さんとしては、これは、本当に残念だったであろう。再度、総理大臣に復帰をという熱い思いは、この辞任表明以降途絶えることはなかったに違いない。
もう一つ、このたびの第二次安倍内閣の最重要閣僚として経済再生担当大臣に就任された甘利さんとの思い出も忘れられない。先の安倍内閣で甘利さんは経済産業大臣であった。この甘利さんほど世界中を駆け巡った経済産業大臣を私は知らない。中東、南米、中央アジア、オーストラリアを巡って資源確保のために地球を縦横無尽に回られていた。私が、甘利さんに同行したのはインドで、日本がインドにDMIC(デリームンバイ産業回廊)の計画を初めて提案に行った時である。そこでは日本の大企業のTOPが一堂に顔を揃えていた。さらに資金調達面のサポートでは、当時の東証社長であった西室さんが流暢な英語で、DMIC向けの特別な債権発行の仕組みについて、ご自身で、詳しく、ご説明をされた。もちろん、この甘利デリゲーションは、先述した安倍首相インド訪問のための前振り興業であった。
そして忘れもしないのは、この甘利デリゲーションがインドの首相官邸で、シン首相と面会する場面である。数多くの著名な経済人が参加する中で、甘利大臣と同行して首相官邸に入れるのは、たった10人。どなたが推薦して頂いたのか全く存じ上げないが、私は、この10人の中に入っていた。首相官邸に到着するとボディーチェックを受けるのは当然であるが、一人一人、別々な小型の車に搭乗させられ、合計3回もの検問を受けるのである。迷路のような回廊を、その小型自動車によって運ばれて、先ほどの玄関と、首相の執務室がどのような位置関係になっているのか全く分からない仕組みになっていた。
首相官邸の奥の院に、私達、甘利デリゲーションの全員が到着すると、シン首相がお一人で現れた。予定では、30分の面会であったが、シン首相は、今回日本が提案したDMIC計画への期待と、これまで日本がインドに対して行った援助にインドが、どれほど感謝しているかを、何と、90分にわたって、お一人で静かに滔々と語られた。もちろん、手元には、何の原稿もなく、ご自身の御言葉で全てを語られたのである。そして、最後にシン首相は、何と訪問者全員と一人一人握手をして下さったのだ。10億人以上の人口を抱えた超大国のTOPが笑顔で丁寧に一人一人握手をして下さるのだ。私にとって、一生忘れられない感動である。このことで、私は甘利さんには心から感謝している。人間なんて、全く単純なものである。
今度の第二次安倍内閣で経済産業大臣を務められるのは茂木敏光さんである。茂木さんが、かつて自民党IT部会の事務局長を務めておられるときには、本当に、よく懇切丁寧に、私は直接、ご指導を頂いた。茂木さんは、部会で私がご説明する資料を、議員会館で、ご自身で事前にチェックして下さるのだ。それも、赤鉛筆で直接、不具合な場所を、ご自身で修正されていく。この方は、本当に国会議員なのかと我が目を疑った。それも、そのはずである。茂木さんは、議員になられる前は、マッキンゼーの辣腕コンサルタントだったのだ。なにしろ、ハーバード大学から帰ってきて、マッキンゼーで最初に手掛けた仕事はNTT分割だったというのだから恐れ入る。このように実務に長けた方が、日本の産業政策の基本を立案する経済産業省のTOPに就任されるのは、大変、心強いことである。
民主党政権において、規制制度改革、特にエネルギー、廃棄物処理の分野で、お手伝いをさせて頂いたことは、私にとって環境・エネルギー問題における多くの知見を手に入れる機会を頂いた。今度の政権交代で、今後、どのような貢献が出来るか、まだわからないが、少しでも、日本再生のためになるのであれば、ぜひ、その一端を担わせて頂きたいと願っている。