2012年10月 のアーカイブ

179  ワーク・シフト

2012年10月17日 水曜日

「ワーク・シフト」を書いた著者、リンダ・グラットン女史は、ロンドンビジネススクールの教授で、タイムズ紙、フィナンシャルタイムズ紙、エコノミスト誌が世界のTOP10に入ると絶賛するビジネス理論家である。同時に、妻であり、母でもあるリンダは、当時小学生だった二人の息子に「将来、君たちは何になりたいの?」と聞いた。

そして、リンダは自分自身にも問うたのだ。今(2010年)から15年後、2025年には世の中の職業、働き方はどうなっているだろうか?と。なぜなら、今(2010年)から15年前の1995年、インターネットが普及する前に、人々は今とは全く違う仕事の仕方をしていたからだ。パソコンや電子メールなど手元になく、ビジネスレターをタイピストに打たせて、せいぜいFAXで送るのが精一杯の手立てだった。

リンダが世界中の一流企業の戦略家達と共同で調査した結果では、今の小学校の生徒達が大人になるころの職業の内、その7割は、今現在、存在しない職業であろうという結論だった。だとしたら、今の子供達は、将来、何を目指したらよいのだろうか?また、そのために、どのような勉強をしたら、職業選択に役に立つのだろうか? と自問する。まず、リンダは、この本の中で、2025年に働く、5人(3形態)の未来像を描いて見せる。

最初は、「いつも時間に追われ続ける未来」で最先端ITを駆使してロンドンから世界中のビジネスを3分刻みでこなす超ビジネスエリートの姿を見せる。そして、この人は、この先、どのようなキャリアパスを歩むのだろうか? 時代は、常に変化する。しかも、今よりももっと加速して。超多忙な仕事を送る中で、このビジネスエリートは学ぶ時間を全く持たないために、使い捨てられて昇進の階段から脱落していくのである。

次に、ムンバイで暮らす外科医師であるが、これも最先端技術により、世界中の遠隔地の病院に入院する患者に、難度の高い手術を施す仕事をしている。その手腕は、世界から絶賛されるが、高級マンションに一人で暮らす彼は、手術の仲間や患者と話す機会もなく、家族も友達もなく、孤独に苛まれる。

三番目は、アメリカ、デトロイトに暮らす高校中退のアルバイト女性である。祖父や父親に比べて世代を経るごとに、街は荒んでいき、生活のレベルもどんどん落ちて行く。そうした繁栄から見放された世界で新たな貧困層が、どんどん拡大していく。勉強をしても、努力をしても、その街には、もはや働き口がないのだ。

リンダが指摘するまでもなく、2025年を待たないでも、もはや、今でも、人々の働き方は大きく変わっている。今、世界中で起きている困難な課題は、高学歴者の就職難である。人は、皆、親の世代より豊かな暮らしを夢見て努力する。特に、新興国、途上国の人々は、先進国以上に努力する。大学進学率が未だ低い時代は、大学を卒業すれば、社会のエリートとしての希少価値を認められ、一定の生活水準を得る暮らしが出来た。しかし、国が少しずつ豊かになり、高学歴者の比率がある一定比率以上に高まると、今度は、増加した高学歴者の数が社会の受容能力を超える。

北アフリカのジャスミン革命の本質も、高学歴者の就職難だと言われている。努力した成果が出なければ、人々の心は荒廃する。勤勉な東アジアでも、この悩みは深刻だ。韓国は、既に大学進学率が80%を超えている。だから、より高い学歴を目指して米国の大学院やビジネススクールへと大挙して押し寄せる。今や、米国の一流大学は韓国からの留学生で溢れているが、それが彼らにマイナスに働く。大学内に韓国人コミュニティーを容易に作れるのでアメリカでの人脈作りに失敗し米国内で仕事を見つけられずに帰国する。韓国に帰ったら米国留学帰りが溢れているので、またもや就職難ということになる。

高学歴者の就職難は中国でも起き始めている。過激な反日デモも、そのことと無縁ではないだろう。そして、もちろん日本でも例外ではない。日本の大学生の就職率が年々低くなっていることが大きな問題となっているが、これは明らかに景気動向に拠るものではない。そして、運よく就職に漕ぎ着けた大学卒の3割以上が3年以内に最初の会社を離職する。どこかに就職しなければと焦って、なんとか就職はしたものの、自分の理想とはかけ離れた職場であり、働き方だったのだろう。

一方、アメリカで大学新卒者の就職難という話は聞いたことがない。日本の就職率が80%を切ったと問題にされているのに、アメリカの新卒就職率は既に20%を切っている。そもそも、アメリカは大学新卒一斉採用という文化がない。そのかわり、新卒でないと差別されたり、不利だったりすることもない。要は、職業人としてプロフェッショナルであるか、どうかが問われている。極めてフェアーな世界である。それでも、アメリカの大学生も就職では悩んでいるし、苦労もしている。大学の高い月謝を支払うために借りたローンを仕事が見つからないために返せないので自己破産する若者が増えている。

今でさえ、こんな状況の中、将来は、どうなるのだろうか?と不安に苛まれる若者の気持ちは想像を絶するものがあるが、リンダは、むしろ、2025年には、企業と社員と言う関係が大きく変わると思った方が良いと言う。つまり、「良い会社に就職して安定した生活を得る」という考え方を早く捨てるべきだと言うのである。そのために、働き方の考え方、つまり3つのワーク・シフトを行うべきだと提言している。

その第一は、ゼネラリストからスペシャリストへのシフトだと言う。未来は、現在のようにゼネラリストが管理職として出世の階段を上っていくことはあり得ないからだ。つまり、企業が従来型の組織で構成されないので管理職と言う職種が存在しなくなる。そして、高い価値を持つ専門技能の3条件とは、「高い価値を生み出す」、「希少性がある」、「まねされにくい」であるという。それを身に着けるためには、あくまで「好きな仕事」を選び、「職人のように考え」、「子供のように遊ぶ」ことだという。

第二のシフトは、「孤独な競争」から「協力して起こすイノベーション」ということだ。ここで、大事なことは人的なネットワークである。一つは、「頼りになる同志」。次に「支えと安らぎの人間関係」。そして、三番目は「関心分野を共有できるビッグ・アイデア・クラウド」だと言う。こうした人間関係によって自己再生のコミュニティを築くべきとリンダは説く。

最後に第三のシフトは、「お金と消費によって得られる幸福感」から「情熱を傾けられる経験を味わう幸福感」へのシフトだという。未来は、働いて給料を受け取り、そのお金で消費して幸せを味わうという「古い約束事」が壊れていると言う。そこではバランスの取れた働き方を選ぶ勇気が必要だと言うのだ。

このリンダの本の冒頭の記述。「漫然と迎える未来」には孤独と貧困な人生が待ち受け、「主体的に築く未来」には自由で創造的な人生が待ち受ける。これは、これから新たな人生を出発する学生諸氏だけでなく、今年、高齢者の仲間入りをした私自身にも大きな意味のある言葉でもある。

178 高齢者の仲間入り

2012年10月16日 火曜日

今月、65歳の誕生日を迎え、「高齢者」の仲間入りが出来た。自身で、特に意識することがなくても、周りが「お前は今月から高齢者だ!」と教えてくれる。生命保険は満期になるし、介護保険証も送られてくる。65歳以前は、介護保険は健康保険と一緒に支払っていたそうだが、65歳を超えると年金から自動的に天引きされることになるらしい。そして、年金受給開始のお知らせと共に、あなたは未だ働いているので年金は受け取れませんとの通知も来た。そして、年金を貰っていないのだから介護保険は別途支払うようにとの通知も来た。こんな具合だから、否応なしに、自分が高齢者の仲間入りをしたことがはっきりと判る。

昔、ゴルフを始めたばかりの30代の頃、60代になられた大先輩と一緒に回って「60代でもゴルフが出来るんだ!」と驚いたことがあった。子供の時に「今年60のお爺さん」が船頭として船を漕ぐ歌を聞いた感覚では、船は漕げてもゴルフは無理だろうと思ってもおかしくはなかった。その私自身、65歳になった今でも、月に2-3回のゴルフを行っている。もちろん若い時のような飛距離は出ないが、毎日1万歩のウォーキングをやっているのでカートに乗らずにコースを歩いて回ることは全く苦にならない。周りから見る高齢者の姿と自分が感じる高齢者の意識には相当大きなギャップがあるようだ。

日本は、これから超高齢化社会になるようだが、高齢者=要介護者という考えは、少し改めた方が良いかもしれない。私の母は、今年88歳になったが、3人の息子が東京や横浜に出て行ってしまったため湘南平塚の家で、一人で暮らしている。週に2回、訪問ヘルパーさんに洗濯や買い物をお願いしているが、それ以外は炊事も含めて、全て自分でやっている。一人暮らしは大変だろうが、緊張感を持って暮らしているせいか、話す速度と歩く速度は少しも衰えていない。そして携帯メールが出来ることが自慢で、電話するより、メールで連絡してくることの方が多い。確かに、その方が受け取る方は便利である。

私の、今の仕事の中心は外部講演である。大体、月平均で5回のペースで行っている。この仕事は、以下の2つの意味で自分にとって価値がある。一つは、絶対にキャンセル出来ないというプレッシャーである。主催者は会場を設定し、多くの聴講者を招待しているのに多少体調が悪いくらいで欠席できるわけがない。幸い、これまで一度もキャンセルをしたことはない。程度はまるで違うが、きっと芸能人の方々も、こうしたプレッシャーの中で暮らしておられるに違いない。しかし、このことは、逆に健康管理にはうってつけである。講演日にまで体調を万全にすべく毎日を大事に過ごすからだ。

もう一つは、人前で話すようになると、以前より沢山勉強するようになる。いつも同じ話はしていられないし、旬を外した話をしても興ざめだ。また新聞やTVで、よく聞くような話をしても、何の新鮮味もない。世界の経済は、どう動いているか? 世の中の議論は、どのような方向に向かっているか? いろいろなアンテナを張って情報収集する必要がある。そのためには、これまでに築いた社外の人脈が非常に役に立つ。

こうした方々との1対1での会話こそが、今は、大事な情報の収集源である。やはり、重要な話は活字や映像には出ない。特に、日本では「出せない」と言ったほうが正しい。正論を表に出すと四方八方から叩かれるからだ。政治も世論も、日本は全てポピュリズムで動いている。日本ではマスメディアが雁字搦めになっているからこそ、講演会というミニメディアに多くの方が聴きに来られるのかも知れない。私も、出来るだけ、そうした要望に応えられるよう、既存メディアが報道していることと重複しない話をするようにしている。

次の仕事は社内向けを中心とした人材教育である。実は、これが、一番楽しい仕事かも知れない。社内なので、かつ限られた人数なので本音が話せるからだ。しかし、若い人は説教じみた話は大嫌いだ。もちろん、話す方の私も説教話は最も嫌いである。幸いにして、海外勤務を経験し、何年か海外事業に携わったので、世界各地を数多く訪れている。こうした話が、若い人には一番受ける。そして、他人から聞いた話よりも、自分で実体験した話の方が受けが良い。そして、今から思えば、極めて幸いだったのだが、私は、入社以来、会社生活では全くと言ってよいほどエリートコースを歩んでいない。そうした回り道をした珍道中の人生の方が、聴いている方も面白いようだ。きっと「それなら自分でも出来る」と自信が沸いてくるのだろう。

会社の経営に直接携わらなくなった今、自分にとって一番大事な仕事は「教育」だと思っている。ここで「教育」というのは、教育者でもない私にとっては、少しおこがましいが、他に良い言葉が見つからないので、敢えて「教育」と言わせてもらう。社内の人材教育は、もちろんだが、お客様やパートナー様の「教育」に携われることが、高齢者の仲間入りをした自分にとって、まさに使命ではないかと思っている。幸い、この点について、富士通の山本社長からも、全く同じことを仰せつかっているので、私としても毎日迷いなく進めることが出来る。

さて高齢者の仲間入りをしたと言っても、体は至って元気である。そこで、「もうひと踏ん張りして働くか」という志は大変結構なのだが、世の中の変化は、私たちが生きてきた時代を遥かに超えて速度を増している。社会や会社の将来を決定づける重要な判断を、高齢者が過去の経験だけをベースに関与してはならない。そう、私たち高齢者は、もはや、その決定は、自分自身で責任を取る必要のある、次の世代に判断を任せなくてはならない。私たちは、むしろ、過去に失敗した経験を披露し、彼らの選択肢を狭めてあげる助言やアドバイスをするに留めるべきであろう。

177  隠れたチャンピオン企業(新光電気)

2012年10月4日 木曜日

書店のビジネスコーナーに並ぶ、エクセレントカンパニーの紹介本。ベストセラーになった直後に、衰退が始まり、暫くすると苦境に陥って市場から消え去ったり、かつての競合相手に買収されたりする。それを何度も目にしてきた私たちは、その類の本には、もう飽き飽きしている。一方、ハーマン・サイモン著の「グローバルビジネスの隠れたチャンピオン企業」を読んだ私は、「これこそが、真にエクセレントカンパニーの本質だ」と頷いた。実際、この本の中で紹介されている隠れたチャンピオン企業の8割はドイツ企業である。

現在のEU経済危機は、どうして始まったのかという説は多々あるものの、私は、根本的な要因はドイツ企業の圧倒的な強さにあると思っている。現在のEUの中では、ドイツだけが巨額の経常黒字を誇り、オランダを除く、他の全ての国が赤字である。この状況を、日本に例えれば、東京だけが圧倒的な黒字で、名古屋を除く全ての地方が赤字という状態だと思えばよい。日本国内は円という通貨で統一されていて、日本の中で国税から各地域に配布される地方交付税が存在しないで、地方税だけで各地域で住民サービスをしろと言われているのが、現在のEUの状況だと思えばよい。こんな状態が続くわけがない。

ドイツの企業が、これほど強くなったのは、それほど昔ではない。1990年以降、ドイツはアジアの新興国である日本と、これまでの競争方法では勝ち目がないと戦略を大きく変えたのだ。好調なドイツ経済の原動力は、GDPあたりで50%近くにもなる輸出にある。このドイツの輸出を支えてきたのは、シーメンスやメルセデスのような大企業だけではなく、多くの中堅企業群であった。日本は貿易立国を目指しながら、GDPあたりの輸出比率は、たかだか10-15%にしか過ぎない。世界の平均が30%であることを考えると、いかに日本の経済が、あるいは日本の企業経営者が内向きであったかが理解できる。こんな状況で、さらに内需拡大施策など考えること自体、とんでもない幻想に過ぎない。

そして、ドイツの輸出を支えているのが、中堅企業群であり、ハーマン・サイモンが言う、隠れたチャンピオン企業達である。これらの企業の特徴は、消費財ではなく生産財をターゲット領域としてグローバル・ニッチを目指している。多くの人たちに知られていない市場であるが、堅実な市場が存在し、プレーヤーの数も多くない、その分野で、グローバルで50%-80%という高いシェアを誇るのだ。特定の顧客と間に親密な関係を築き、顧客の要望を真摯に聞いて実現する。規模の大きいコモデティ市場で、低コスト、大量生産を得意とする日本企業と正面からぶつかっても勝てないとドイツの経営者たちは考えたからだ。

そして、今、コモデティ市場をターゲットとして、低コスト、大量生産を武器にエクセレントカンパニーとなった日本の大企業達は、中国や韓国のメーカーに敗れて、その存続に向けて死力を尽くしている。つまり、こうしたコストカット、低価格型ビジネスモデルは新興国の企業モデルだったのだ。既に、先進国となった、日本は、これまでとは、全く違う戦い方をしなくてはならなかった。そういう意味で、先進国の企業のあるべき姿を書いた、ハーマン・サイモン著「隠れたチャンピオン企業」は、我々日本再生のバイブルになるだろうと私は信じている。もちろん、この本の中で、日本の企業も幾つか紹介されており、例えば、浜松フォトニクス、島精機製作所、東洋炭素、マキタなどが挙げられている。

こうした企業にはブランド戦略は必要ない。むしろ、ブランド力を高めるよりも、隠れて誰にも知られないようにひっそりとビジネスをしていることを好む。せっかく、誰も気が付かないニッチな市場で頑張っているのだから、下手に競争相手に入って来られたくないのである。だから、ビジネス本として書店に並べられることもなかった。彼らにしてみれば、そんなことは大きな迷惑である。そして、読者となる大衆は良く知らない会社の話を聞いても、仲間の間で話題にもならないし、面白くもない。だから、これまでの、エクセレントカンパニーを紹介したビジネス書は殆ど役に立たないということになる。

そうなると隠れたチャンピオン企業を探して訪ねてみたくなるのは人情だ。まずは、今、自分が所属する富士通グループにおけるチャンピオン企業を訪ねることとした。長野市に本社を置く、新光電気工業(以下新光電気と略)である。一昨日、昨日と2日間に渡って工場見学をさせて頂いた。新光電気は富士通が50%の資本を有する東証一部上場企業であるが、親会社である富士通との取引は殆どない。こここそが、チャンピオン企業たる所以でもある。新光電気の主力製品は、半導体パッケージで、その主要顧客は世界最大の半導体メーカー、i社である。

富士通の前身であった富士通信機製造の社員であった光延丈喜夫氏は、戦後閉鎖することになった長野事業所を60名の社員とともに引き継いで新光電気として創業された。光延氏が、最初に手掛けた仕事は電球のリサイクル事業で、切れた電球のガラスと口金を外して、中のフィラメントを交換し、再度接続して中の空気を抜いて再生することだった。その作業の中で培った、真空技術・金属材料の加工技術・ガラス封止技術を深化させ、今日の半導体パッケージの製造にまで発展させてきた。

かつて、長野地区は富士通のコンピューター製造の一大拠点であった。同じ長野地区に拠点を置く、新光電気は、その富士通から大型コンピューターに用いる半導体のパッケージ製造に大きな貢献をすることになった。そして、1980年、富士通が大型コンピューターの分野でIBM互換機ビジネスを世界展開して行く中で、富士通から要請を受けて、当時としては社運をかけて100億円を投資した一大パッケージ製造工場を作った。しかし、工場の建屋が完成した段階で、そのプロジェクトは中止となった。富士通は、もう新光電気のパッケージは要らないというのである。不運にも、高速半導体がバイポーラー技術からCMOS技術へと大きな転換点を迎えた時期と重なったからだ。新光電気創業以来の最大の危機であった。

そこで困った新光電気は、日本の半導体メーカーの攻勢に会いDRAM事業から撤退し、プロセッサ事業に集中することを決めたi社を生涯のパートナーとして選んだ。この時点で、新光電気は半導体パッケージというニッチな分野で世界に雄飛することを決めたのである。それから、i社は、パソコン分野からサーバー分野へと幅広く、次々と高性能半導体製品を開発していった。半導体が進化すれば、当然、それを搭載するパッケージも合わせて進化していかなければならない。なにしろi社は世界最高技術で製品を開発してくるので、その高度な要求にタイムリーに応え、かつ高品質なパッケージ製品を供給しなくてはならない。その困難さが、新光電気の技術をどんどん高めることとなった。

それから、新光電気はi社の世界最高の技術要求に応えることによって、世界最大の出荷量を任されることになった。もちろん、i社のコスト要求は極めて厳しい。しかし、それに応えれば、i社の事業拡大に合わせて出荷数量を飛躍的に増やすことが出来た。そして、新光電気にとって最も幸せなことは、i社のプロセッサの技術進歩が極めて速かったことである。当然、その進歩に合わせてパッケージの技術も進歩するわけなので、新興国の競合他社が追随する暇すら与えなかったからだ。今では、i社が次に進めてくるであろうテクノロジーを独自に予測して、それに最適なパッケージを新光電気の方から提案することもあるという。

富士通本体は、コンピューター製造を長野から沼津へと移管し、その後、北陸と福島へと製造拠点を移転させた。現在、新光電気が抱える5,000人ほどの雇用は、富士通が移転した後の長野地区の雇用を殆ど埋め合わせている。さらに、新光電気は、来年にかけて、この長野地区に世界最先端のパッケージ工場を建設中である。今年、中部電力管内で新工場を建設しているのは、この新光電気だけだと言う。なぜ、5重苦とか6重苦と言われる日本の工場立地競争力の中で、新光電気は日本に新たに工場を新設できるのだろうか。

そのコアとなる競争力は、トヨタ生産方式の導入による「1個流し」にある。新光電気が製造する製品は、年間で、多いものだと何億個、少ないものでも1千万個はある。どれも、大きさは小さくて微細加工の極みを追求した超精密品である。従来は、何万個単位のロット生産を行っていたという。ところが、顧客によって仕様が微妙に異なり、しかも半導体業界はサプライチェーンの上流にあるため所要変動幅が極めて大きい。部品在庫、仕掛在庫、製品在庫はキャッシュフローを厳しくするだけでなく損益も毀損する。

トヨタ生産方式の1個流しの考え方は、従来100mあった製造ラインを10mにまで縮めることができた。カンバン方式の導入で、中間在庫も殆どなくなった。さらに、この製造ラインの改良は、今も日々進行中である。そして、この工場で使われている製造装置の殆どは自社製である。金型も、工具も全て自社製である。だから、設備メーカー経由で製造技術が他社に流れていく心配がない。また、長野という暮らしやすい地域に住みなれた技術者の流動性も極めて少ない。そして微細化と共に、ラインはどんどんクリーン化する必要が出てくるので、製造ラインに多くの人が関わることを嫌う。

そうした、もろもろの条件が海外移転のメリットを打ち消している。そして、なによりも、一番大きな要因は、顧客密着型で、顧客から次々と絶え間なく要求される最先端テクノロジーをタイムリーに実現するためには、日本で開発した技術を海外へ移転などしている暇が全くないことである。