この「アメリカが第三世界に墜ちる日」は、アリアナ・ハフィントン 女史の著書の翻訳本「誰が中流を殺すのか」の副題である。原著の題名 は「Third World America」で、それを翻訳した、この本の主題は、 少々エキセントリックで売れ行きの拡大を図るために奇をてらったと思 われるが、実際に読んでみると、中に書かれている内容を忠実に表現し ているとも言える。
さて、この著者であるアリアナはアテネに生まれ、16歳で英国ケンブリ ッジ大学に入った極めて優秀なギリシャ系アメリカ人である。どういう わけか、私の知り合いにはギリシャ人が少なくない。米国や英国で暮ら す彼らは皆、とてつもなく優秀である。今から四半世紀ほど前に、米国 のMITのメディアラボを訪問した際に、ボストンでギリシャ料理の店 に入ったら永年マサチューセッツ州知事を務めた民主党の大統領候補で あるデュカキス氏の写真が壁いっぱいに張ってあったのを思い出す。
さて。このアリアナ・ハフィントン女史は、2006年と2011年の2回、タ イム誌が選んだ「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。彼 女が立ち上げたブログニュースサイト「ハフィントン・ポスト」は、 サイト訪問者数は3560万人でニューヨークタイムスの電子版を抜き全米 一のインターネットニュースサイトとなっている。アリアナは、この会 社をAOLに3億1500万ドルで売却し、現在、AOL傘下となったハフィ ントンポスト社の社長を務めている。
こうした、アリアナのような優秀なギリシャ人が、皆、故国から出て行 ってしまったので、今のギリシャは、あのように体たらくになってしま ったのではないかと私には思えるのだ。そして、今、まさにギリシャで は優秀な人から順番に、どんどん国を捨てて脱出を図っているらしい。 本当に、ギリシャはどうなるのだろうかと極めて心配である。しかし、 このアリアナに言わせれば、今のアメリカは故国ギリシャ以上に、もっ と心配だと憂いている。
この本とほぼ同じ内容を、かつて堤未果さんが書かかれたベストセラー 「ルポ 貧困大国アメリカ」、「ルポ・貧困大国アメリカII」で読んだ 時には、いたく感動したものである。しかし、シリコンバレーに住んで 居たことのある私にとっては、未果さんが書かれた内容が、何となく実感として 理解できなかった。そして、今回のアリアナ女史の本と合わせて読んでみ て初めて未果さんの指摘が理解できてきた。
シリコンバレーで活躍している面々の殆どはアリアナさんのような第一 世代の移民である。しかも、インドを含むアジア系が多い。一見白人と 見えてもユダヤ系だったり、ヨーロッパ人でもイタリア系やギリシャ系 移民が多い。要は、アングロ・サクソンを中心とした、いわゆるアメリ カの中流エリート家庭の生活を知らないのである。だから、彼らは皆、 ハングリーで、強い上昇志向を持つと共に実際に勢いがある。失敗を恐れない し、何でもアグレッシブである。まあ、いざとなったら故国へ帰れば良 いかと考えている節もある。
ところが、このアリアナさんが書いている本の中の登場人物は少し違う。 まず、アリアナさんは、旧来のアメリカでは、底辺層から中間層へ這い上がる機会は殆ど なかったと述べている。高い月謝を要求するアメリカの高等教育システ ムが、階級間を跨いで登ることを許さなかったのだという。そして、現 代のアメリカで起こっていることは、中流家庭で何不自由なく育てられ 、十分な高等教育を受けたアメリカ人が、突然解雇を言い渡され、次の 職を見つけることが出来ないで、多額の借金で自己破産し、底辺に没落 していくことなのだと言う。
そして、殆どのアメリカ人が、もはや親の生活レベルを超えることが出 来ない。つまり、ごく普通の「庶民的な暮らし」が出来なくなっている と言うのである。こうなると当然、子供たちには自分たちが受けた高等 教育を施すことが出来ない。そうなれば、彼らの子供たちは二度と再 び中流階級に戻ることは出来ない。つまり、中流家庭で育ったアメリカ 人の、多くが、次の世代からはアメリカ社会の底辺層に、今後ずっと固定化され てしまうというのである。
国として豊かなアメリカの富が、ごく一部の人たちに寡占化されていく。 アリアナは、この仕組みは、民主党、共和党のどちらが選挙で勝っても 変わることはないという。政治は、選挙で変わることはなく、アメリカの未来 は全てワシントンのロビイストの手に委ねられているからだと言う。日本でサ ラ金に相当するクレジット業界は、アメリカでは年600%の高金利も許されている、 貧困ビジネスの筆頭格であるのに、誰も、それを糾弾することはないという。
確かに、そうかも知れない。アリアナが言うとおり、大統領が、議員が、 金融業界の一部のエリートが、アメリカをどんどん悪くしているのかも 知れない。でも、私には、もっと本質的な問題が隠れているような気が してならない。つまり、製造業を賃金の低い海外に移転したあとのアメ リカは高度な知識を有するサービス業へ業種転換して生きて行くという 前提条件が大きく間違っていたのではないかということである。
日本でもそうだが、米国でもサービス業の殆どは、参入障壁が低く、 常に価格競争に陥り、結果として、低賃金業種となっている。さらに、 インターネットの普及で、サービス業の仕事のプロセスの殆どは無人化 され、コスト競争は一層激しくなるとともに総雇用全体も減ってきている。
そのサービス業の王者として君臨していた金融業は、もともと雇用の受 け皿としての規模が少ない。そして、あのリーマンショック以降、もはや 打ち出の小鎚としての魔法を使うことが許されなくなった。実体経済の 何百倍もの規模で動いて仮想経済では、1%以下の利ざやでも実体経済 以上の巨額の利益が捻出できた。アメリカの消費経済は、そうした金 融業界の億万長者達のおこぼれにあずかって生きてきた。
所得格差の問題を糾弾するのは、もちろん大事なことではあるが、そもそも 、どうして所得格差が生じるような経済構造になってしまったのかという 本質を追求しない限り、このアメリカの「中間層の破壊」という課題は 解決できないだろう。もちろん、日本も、アメリカと全く同じ課題を抱えている。