2012年8月 のアーカイブ

170  アメリカが第三世界に墜ちる日

2012年8月27日 月曜日

この「アメリカが第三世界に墜ちる日」は、アリアナ・ハフィントン 女史の著書の翻訳本「誰が中流を殺すのか」の副題である。原著の題名 は「Third World America」で、それを翻訳した、この本の主題は、 少々エキセントリックで売れ行きの拡大を図るために奇をてらったと思 われるが、実際に読んでみると、中に書かれている内容を忠実に表現し ているとも言える。

さて、この著者であるアリアナはアテネに生まれ、16歳で英国ケンブリ ッジ大学に入った極めて優秀なギリシャ系アメリカ人である。どういう わけか、私の知り合いにはギリシャ人が少なくない。米国や英国で暮ら す彼らは皆、とてつもなく優秀である。今から四半世紀ほど前に、米国 のMITのメディアラボを訪問した際に、ボストンでギリシャ料理の店 に入ったら永年マサチューセッツ州知事を務めた民主党の大統領候補で あるデュカキス氏の写真が壁いっぱいに張ってあったのを思い出す。

さて。このアリアナ・ハフィントン女史は、2006年と2011年の2回、タ イム誌が選んだ「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。彼 女が立ち上げたブログニュースサイト「ハフィントン・ポスト」は、 サイト訪問者数は3560万人でニューヨークタイムスの電子版を抜き全米 一のインターネットニュースサイトとなっている。アリアナは、この会 社をAOLに3億1500万ドルで売却し、現在、AOL傘下となったハフィ ントンポスト社の社長を務めている。

こうした、アリアナのような優秀なギリシャ人が、皆、故国から出て行 ってしまったので、今のギリシャは、あのように体たらくになってしま ったのではないかと私には思えるのだ。そして、今、まさにギリシャで は優秀な人から順番に、どんどん国を捨てて脱出を図っているらしい。 本当に、ギリシャはどうなるのだろうかと極めて心配である。しかし、 このアリアナに言わせれば、今のアメリカは故国ギリシャ以上に、もっ と心配だと憂いている。

この本とほぼ同じ内容を、かつて堤未果さんが書かかれたベストセラー 「ルポ 貧困大国アメリカ」、「ルポ・貧困大国アメリカII」で読んだ 時には、いたく感動したものである。しかし、シリコンバレーに住んで 居たことのある私にとっては、未果さんが書かれた内容が、何となく実感として 理解できなかった。そして、今回のアリアナ女史の本と合わせて読んでみ て初めて未果さんの指摘が理解できてきた。

シリコンバレーで活躍している面々の殆どはアリアナさんのような第一 世代の移民である。しかも、インドを含むアジア系が多い。一見白人と 見えてもユダヤ系だったり、ヨーロッパ人でもイタリア系やギリシャ系 移民が多い。要は、アングロ・サクソンを中心とした、いわゆるアメリ カの中流エリート家庭の生活を知らないのである。だから、彼らは皆、 ハングリーで、強い上昇志向を持つと共に実際に勢いがある。失敗を恐れない し、何でもアグレッシブである。まあ、いざとなったら故国へ帰れば良 いかと考えている節もある。

ところが、このアリアナさんが書いている本の中の登場人物は少し違う。 まず、アリアナさんは、旧来のアメリカでは、底辺層から中間層へ這い上がる機会は殆ど なかったと述べている。高い月謝を要求するアメリカの高等教育システ ムが、階級間を跨いで登ることを許さなかったのだという。そして、現 代のアメリカで起こっていることは、中流家庭で何不自由なく育てられ 、十分な高等教育を受けたアメリカ人が、突然解雇を言い渡され、次の 職を見つけることが出来ないで、多額の借金で自己破産し、底辺に没落 していくことなのだと言う。

そして、殆どのアメリカ人が、もはや親の生活レベルを超えることが出 来ない。つまり、ごく普通の「庶民的な暮らし」が出来なくなっている と言うのである。こうなると当然、子供たちには自分たちが受けた高等 教育を施すことが出来ない。そうなれば、彼らの子供たちは二度と再 び中流階級に戻ることは出来ない。つまり、中流家庭で育ったアメリカ 人の、多くが、次の世代からはアメリカ社会の底辺層に、今後ずっと固定化され てしまうというのである。

国として豊かなアメリカの富が、ごく一部の人たちに寡占化されていく。 アリアナは、この仕組みは、民主党、共和党のどちらが選挙で勝っても 変わることはないという。政治は、選挙で変わることはなく、アメリカの未来 は全てワシントンのロビイストの手に委ねられているからだと言う。日本でサ ラ金に相当するクレジット業界は、アメリカでは年600%の高金利も許されている、 貧困ビジネスの筆頭格であるのに、誰も、それを糾弾することはないという。

確かに、そうかも知れない。アリアナが言うとおり、大統領が、議員が、 金融業界の一部のエリートが、アメリカをどんどん悪くしているのかも 知れない。でも、私には、もっと本質的な問題が隠れているような気が してならない。つまり、製造業を賃金の低い海外に移転したあとのアメ リカは高度な知識を有するサービス業へ業種転換して生きて行くという 前提条件が大きく間違っていたのではないかということである。

日本でもそうだが、米国でもサービス業の殆どは、参入障壁が低く、 常に価格競争に陥り、結果として、低賃金業種となっている。さらに、 インターネットの普及で、サービス業の仕事のプロセスの殆どは無人化 され、コスト競争は一層激しくなるとともに総雇用全体も減ってきている。

そのサービス業の王者として君臨していた金融業は、もともと雇用の受 け皿としての規模が少ない。そして、あのリーマンショック以降、もはや 打ち出の小鎚としての魔法を使うことが許されなくなった。実体経済の 何百倍もの規模で動いて仮想経済では、1%以下の利ざやでも実体経済 以上の巨額の利益が捻出できた。アメリカの消費経済は、そうした金 融業界の億万長者達のおこぼれにあずかって生きてきた。

所得格差の問題を糾弾するのは、もちろん大事なことではあるが、そもそも 、どうして所得格差が生じるような経済構造になってしまったのかという 本質を追求しない限り、このアメリカの「中間層の破壊」という課題は 解決できないだろう。もちろん、日本も、アメリカと全く同じ課題を抱えている。

 

169 「Gゼロ」後の世界

2012年8月22日 水曜日

この「「Gゼロ」後の世界」の著者イアン・ブレマーは、スタンフォード大学で博士号を取得後、フーバ研究所のフェローに25歳で就任した天才コンサルタントである。28歳で自らコンサルファーム、ユーラシア・グループを立ち上げた。米国の民主・共和両大統領候補、ロシアの元首相や、日本では安倍元総理など各国首脳のアドバイザーを務めた希代の英才である。

私は著書の中に流れる現実を直視した悲観論に殆ど全て同意できた。名前からするとロシア系であろうが、生まれながらの悲観論者であるドイツ人かと見間違うほどである。私は、長い間ドイツ人と一緒に仕事をして、ドイツ人の悲観主義から多くを学ぶことが出来た。ドイツは、この悲観主義をベースに先進国では最も安定した経済運営を行っている。それに引き替え、日本人の楽観主義には全く呆れるばかりである。経済運営も外交政策も、殆どが期待どおりにはいかないという前提で物事を進めるべきだろうに。

この本の原題は「Every Nation for itself」は、「どの国も自分の事で精一杯で、他の国ことなど考える余裕はない」と言う意味に私はとった。ブレマー氏が、この表題にした理由は、次の論拠による。ベルリンの壁崩壊後、唯一の超大国となったアメリカも、今や世界最大の債務国となり、世界の警察官としての役割を果たせなくなった。一方、世界最大の債権国となった中国も、アメリカの代わりに世界の警察官となる意志など全くないという。それは、中国政府の最大の脅威は、外ではなく内にあり、その国内の憂いを収めるには、雇用の安定、手厚い福祉政策が必要で、そのためには、軍備拡張よりも、まず国内の経済政策を最優先しなくてはならないからだという。

これまで、未曾有の経済成長を遂げてきた中国は、今、重大な転換点を迎えている。リーマンショック後に実施された4兆元(50兆円)の景気刺激策で見かけ上8%以上の経済成長を維持したが、その後遺症として生み出されたものは、地方政府と国営企業の莫大な借金と、それを貸し付けた国有銀行の巨額の不良債権だった。今回の欧州経済危機に端を発した中国の輸出減少による景気後退に対して、中国政府は決め手となる次の新たな政策を見いだせていない。

そんな中で、中国が海軍力を増強しているのは、必ずしも太平洋、インド洋らの海上覇権を狙っているからではないという。中国は、日本はもちろん、欧州、米国、南米、中東、アフリカにおいて最大の貿易相手国となった。まさに、中国の経済成長の牽引車は貿易立国による。そして、その中国の貿易を支えた世界中のシーレーンは、皮肉にもアメリカによって守られてきた。そのアメリカが世界の警察官の立場を降りてしまうと、中国の貿易を支えてきた安全な船の航行が担保されなくなるので、せめて独自でシーレーンを守ろうとしているのだという。もちろん、その行きがけの駄賃で、東シナ海と南シナ海で最大限、権益を拡大したいという軍部の目論見はある。しかし、そのために巨額の費用をかけて、今のアメリカ並みのハードパワーを維持するつもりは、中国には全くないと言うのである。

唯一の超大国であるアメリカが支配するG1の世界から、中国の台頭によるG2の世界になるという大方の予想とは違い、この本の著者であるブレマー氏は、アメリカも中国のどちらも世界を支配する力も余裕もないというのである。つまり、これからはGゼロの時代が到来する。いや、もう既に到来しているのかも知れない。このGゼロの時代になると、リーダシップを取る国はいないわけだから、世界には紛争を解決するルールも、レフェリーもいなくなり、一切何も決められない無法地帯となる。

私も多少関わったコペンハーゲンで開催された、COP15が良い例であった。本会議の半年前に同じコペンハーゲンで開かれた、世界の主要企業のTOP500人が参加した地球温暖化防止ビジネスサミットは大成功だった。私を招待して下さったヘデゴー環境大臣は、その場のヒロインであった。そのヘデゴー女史が、12月の本会議では途上国の不満から議長を降壇させられた。結局COP15は、その前の年に開かれたWTO会議と同様に惨憺たる失敗に終わった。今年、20年ぶりにブラジルで開かれた世界環境会議Rio+20は、CO2削減とは別な切り口で議論するので、きっと良い結果が得られるだろうと私は期待して参加したのだが、結局、大きな成果は何も得られなかった。

要は、今、現在、世界は誰も支配しない無法地帯である。シリアの惨状に対しても誰も何も出来ない。北朝鮮とイランの核武装を誰も止められない。そしてこのGゼロの世界は、この日本にまで大きな影響を及ぼしてくるとブレマー氏は指摘する。独自の強固な軍事力を持たずに、アメリカの傘の下で繫栄を謳歌してきた日本は、アメリカが、日本周辺の防衛線から引くことにより、突然、無防備な裸の状態に晒される可能性があるのだという。昨今、突然起きたかのように、日本が狼狽している、北方領土、竹島、尖閣諸島への周辺国からの介入は、このGゼロの時代を見据えた中での、各国の日本に対する牽制であるという。

各国は、アメリカがどう出るか?様子を見ている。今のところ、アメリカは日本の領土問題には全く関わらない姿勢を見せているので、日本はアメリカを頼りにすることは最早出来ない。つまり日本が独自の解決策を見出すしかない。当然、このGゼロという世界が無法状態にあるなかで国際司法裁判所も全く無力である。さりとて、メディアが煽るような強硬策をとれば、ハードパワーの衝突となり、あの太平洋戦争同様に多くの若き血が流されることになる。領土問題の解決には、絶対に妥協しないという決意の中で、お互いが血を流さないための冷静で深い知恵を出し合うことが必要となる。

そして日本は絶対に妥協をしてはならないという大きな理由は、韓国は竹島の次は、対馬を狙っており、中国は尖閣の次に沖縄を狙っているからだ。私が、韓国でデジタル教科書の見学に、あるモデル小学校へ行ったことがあった。その小学校で見学した歴史の授業では、高句麗は朝鮮民族の国だから、中国の東北地方の半分は、朝鮮民族の領土だという授業内容だった。よく聞いてみると、一方、中国では、高句麗の殆どは中国領なのだから、高句麗の残りである北朝鮮も中国の領土だと言う教育をしているので、対抗上、韓国としても高句麗問題を明確にしておかないと不味いのだという。領土問題と言うのは、双方の国から見たら、こうして不条理で冷静な論理を超えた議論がなされているので永久に解決策がない。

私は、一昨年までダボス会議に4年間参加し、昨年から、富士通の山本社長と交代した。その最後のダボス会議で感じた一番大きな変化は、世界全体のグローバリズムがアンチグロ―バリズムへと後退を見せていることであった。現在、ヨーロッパで起きている経済危機は、アメリカで起きたリーマンショックを含む金融危機とは全く性質を異にする。ECBが、いくら南欧各国の政府や銀行に資金を融通しても、何ら解決はしない。南欧各国には経常収支が赤字である限り、結局、財政収支を改善できる道はない。究極の解決策は、南欧各国がドイツに学び、生産性に見合った賃金にまで下げない限り、この問題は終息しない。つまり、南欧の人々は、賃金と社会保障のレベルを引き下げて、毎日の暮らしをアジアの人々と同じ生活水準まで引下げないと何事も解決しないということである。

当然、ヨーロッパの人々は、今更、そんなことは耐えられないから、保護主義への道を探る。つまり、賃金の低いアジアとの交易をやめてヨーロッパで閉じた経済圏を作って、もう一度、地産地消の経済に戻ろうという保護主義、アンチ・グローバリズムの台頭である。そうなるとGDPの50%近くを輸出に頼っているドイツは全く賛同できない。そこでドイツは、ユーロを捨てて、またマルクに戻るかも知れない。もっとも、ドイツでは、今でもタンスにしまってあったマルクが紙幣として正規に通用していて、最近はマルクで支払う人が増えていると言う。そうドイツは、いつでもマルクに戻れるのだ。第二次世界大戦前と同様、ヨーロッパでドイツは、またもや孤高である。

最後に、ブレマー氏がしている、いやな話は、このGゼロ時代の無法世界の秩序を取り戻すにはどうしたらよいか?ということである。戦後、ブレトン・ウッズ体制のもとでは、少なくとも非共産主義陣営として統一されたルールがあった。一体となって世界の経済運営が可能だったのは、そのルールがあったからだ。そして、アメリカと欧州をリーダーとした、そのルールが合意されたのは、ルールが出来る前の空白時代である第二次世界大戦でアメリカ以外の世界の全てが破壊されたからこそ出来たのだという。そんなことを言われても、我々は、もう二度とあんな戦争はコリゴリである。これから、世界は、皆で、もっと知恵を出さないと大変なことになる。日本も世界も「Every Nation for itself」では済まされないのだ。

168 屋根のない美術館 ブルージュを歩く

2012年8月18日 土曜日

「屋根のない美術館」、「北のヴェネツィア」、「水の都」と数々の呼称で呼ばれるベルギーが誇る世界遺産 「ブルージュ歴史地区」へ、私が最初に行ったのは今から30年前のことだった。それは、私にとって初めての海外出張で、ヨーロッパの各地の大学を訪れる旅でもあった。その大学とは、ドイツのミュンヘン工科大学、パリのソルボンヌ大学、ロンドンのオックスフォード大学と、今日の話題であるベルギー ブリュッセルにあるカトリック大学であった。いずれも私の上司が京都大学大学院時代に同じ研究室の先輩で、後に京都大学総長になられた、長尾真先生の紹介だった。さすがに長尾先生の紹介状を添えて訪問依頼を出すと、どこの大学も、二つ返事で快く受け入れて頂き、国際的にも著名な先生方が、私に貴重な時間を割いて下さった。

ベルギーのカトリック大学は、長尾先生から紹介を受けるまで、私は全く知らなかったのだが、実際に行ってみると最先端の半導体製造設備まで備えた理系の学科も有する立派な大学であった。聞けば、このカトリック大学のキャンパスがあるブリュッセル郊外の広大な研究学園地域は、NATO(北大西洋条約機構)の開発委託研究を一手に引き受ける場所で、大学だけでなく、IBMを始め、多くの民間の研究機関も、その居を構えていた。最寄りの駅からタクシーで行ったものの、1時間以上走っても、なお着かないので、これはオランダまで行ってしまうのではないかととても不安だった。帰りは、当然タクシーなど拾えるわけもなく、どうしようかと悩んでいたら、訪問先の大学教授が、親切にも、ご自身の車で駅まで送って下さった。

その初めての海外出張で、ヨーロッパも初めてなら、当然ベルギーも初めてである。せっかく、はるばるベルギーまで来たのだから、どこか有名な観光地を一つくらい行かないと一生後悔すると思い、ベルギーに3年間駐在していた叔父に、何処へいけばよいか?と尋ねてみた。この叔父は、ブリジストンに勤める技術者で、日本で初めてスチールタイヤを製造するための準備としてベルギーに派遣されたのだ。当時の日本の技術ではタイヤに入れる鋼線を作ること出来なかったので、ブリジストンはベルギーのベカルトスチール社から技術導入することにした。ベルギーから日本に帰った叔父は栃木県の那須に合弁会社ブリジストン・ベカルト社を設立し、その工場長となった。この叔父が、「ベルギーに来たら行くべきところはブルージュしかない!」と断言するので、私も迷わずブルージュに行くことにしたのだった。

ブリュッセルの駅から1時間ほど汽車に乗って、駅から歩いてブルージュの街に入ることが出来る。この街は、9世紀ころから記録に残っている欧州でも有数の古都で、15世紀にはハンザ同盟の主要都市として、毛織物の取引で栄えた。北海から直接、運河を通じて街まで入れるという利便性から、ヨーロッパ中の富が、この街に集まったのだという。それが、ある日、突然、街は没落してしまうのだ。ところが、街を歩いていて思うのは、没落するまで、どれだけの富が集まったのだろうと思わせるほど、綺麗で豊かな街である。その最も繫栄した15世紀の時代から、今日まで、全く時間が止まった街である。

だから、町全体が、建築物や庭園や彫像など。あるもの全てが美術品である。それで、「屋根のない美術館」と呼ばれるのに相応しい街となっている。また、徒歩で回れるほど、こじんまりした、この「ブルージュ歴史地区」は世界遺産として登録されているが、実は、このブルージュ歴史地区の中には、さらに、ふたつの世界遺産「フランドル地方のベギン会修道院」と「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一部が含まれている。つまり、一度に3つの世界遺産を見学できるというわけだ。街を歩くだけで、500年も時間が止まった、この景観を見るだけで、心が落ち着くのである。

私は、もう、二度と、この街に来ることはないだろうと、時間をかけて、ゆっくりと見て歩いた。お土産は、手編みレースが有名だと言うのだが、どれも、とても高価で手が出ない。未だ若くて、お金もなかったので、妻が教会のミサでかぶるベールだけを買って帰ることにした。そして、その時は、このブルージュに、その後、5回も行くことになろうとは夢にも思わなかったのだ。

私は、7年前から、日本‐EUビジネスラウンドテーブル(BRT)のプリンシパルメンバーになり、EUと深い関係を持つことになった。ブリュッセルは、EUの首都であるから、当然、ブリュッセルに行く機会は多い。そして、日・EU BRTの本会議はブリュッセル市内のエグモン宮殿内の広い国際会議場で行われる。宮殿内の各部屋や庭園の装飾は素晴らしいものである。残念ながら、この宮殿内に、一般の方はめったなことでは入れない。この宮殿を散歩しながら、30年前に、たった一人で、初めて、このブリュッセルに来た時に見た景色とは何と大きな違いだろうかと感無量の思いだった。

それで、ブリュッセルに行ったときには、必ず、ブルージュを訪れることにしている。前回、ブリュッセルで開かれた日・BRTでは、NTTの宇治副社長とご一緒だった。宇治さんから「伊東さん、明日はどこか行くの?」と聞かれたので、「ブルージュに行きます。宇治さんも、お時間が許せば是非行かれるべきです。」と進言した。「そうか、行ってみるか」とお答えになった宇治さんは、果たして、翌日、NTTの随行メンバーと一緒にブルージュに来ておられたのだ。この方は、本当に実直で義理堅い方だと感心した。私の助言をきちんと聞き入れて頂いた。「伊東さん、良いところを紹介して頂いた」と丁寧なお礼まで仰って下さった。

そして、ブルージュに行かれたら、昼食はブルグ広場のレストランで蒸したムール貝を注文されると良い。なにしろバケツ一杯のムール貝がテーブルまで運ばれて来る。嬉しいことに、値段は、決して日本で食べるような高い値段ではない。周りを見ていると、どの観光客も、どうやら、このバケツ一杯のムール貝を一人で全部食べている。そして、その食べ方だが、最初の一つはホークで取り出して食べるのだが、二つ目からは、今、食べたムール貝をハサミにして、次のムール貝の中身を取って食べる。こうして食べるとワイルドで何とも言えない風味がする。そうこうしている内に、バケツ一杯のムール貝を一人で平らげてしまう。

15世紀の景色を保った世界遺産の広場の中で、着飾られた馬が引く馬車が通り過ぎるのを眺めながら、ムール貝を腹いっぱい食べたら、本当に幸せな気分になれる。どうぞ、皆様も、ベルギーにお出での節は、ブルージュに出かけて下さい。来年の日・EU BRTは、4月開催で、場所はブリュッセルかパリで開催と聞いているが、もし、ブリュッセルなら、もちろん、又、ブルージュに行って、お腹一杯ムール貝を食べてくるつもりである。