中国の9つのTier-1重点大学であるハルビン工業大学ビジネススクールにて講演をさせて頂く機会を得て念願のハルビンを初めて訪れることができた。冬季にはマイナス40度にもなる厳寒の地も、5月を迎えると街中が、ハルビンの市花であるライラックの花が満開となり、その品の良い香りが心地よい気持ちにさせてくれる。それでも、毎年5月初旬に満開を迎えるのに、こうして5月下旬になって漸く満開となるのは、今年の春の訪れが遅いのだという。
初めてのハルビン訪問に際して、講演をするハルビン工業大学以外に紹介されたのが、ハルビン電機が誇る世界最大のタービン工場と、731部隊跡地の資料館だった。特に、731部隊跡地には「本当に行かれますか?」という質問が事前にあった。つまり、「お嫌なら別な訪問場所もありますよ」ということだったと思う。そういえば、私自身、731部隊に関してきちんとした歴史教育を一度も受けたことが無いし、自分で勉強したこともない。漫然と浮かんでくるキーワードは「化学兵器」、「細菌兵器」、「人体実験」というものだけである。もちろん、森村誠一の「悪魔の飽食」も読んだことがない。
ただ、この森村誠一氏の著作も含めて731部隊の存在までも含めて、一部あるいは全てがでっち上げという極端な議論があることもうすうすは知っている。だから731部隊について殆ど何も知っていない私が、このコラムで、その真偽について語る資格もないし、そのつもりもない。今回、731部隊跡地に作られた資料館を見学した感想だけをただ淡々と述べていきたい。
私が想像していた731部隊の場所とは人里離れた荒涼たる僻地にあるものとばかり思っていた。いや、当時はそうだったのかも知れない。なにしろ、現地の方に聞くと、当時は上空を飛行機が通過することも禁じられているばかりか、近くを通る鉄道も、731部隊があった場所の前後30キロは窓のカーテンを閉じて外部を覗くことさえ禁じられたのだという。
しかし、その後、ハルビン市街が広がったためだろうと思われるが、731部隊の跡地の周囲は高層アパートが林立しており、敷地の壁のすぐ脇まで生活の場が隣接していたのだ。それだけではない、敷地後方は壁も一部なくなっており、アパートの住民は731部隊跡地を自由に出入りしているのである。さながら、その敷地は、私たちの町の中にある都市公園的存在のように見えなくもない。
731部隊は日本の医学界でも最優秀の医師ばかりが集められたという。実際、戦後、このハルビンから日本に戻った医師たちは、皆、日本の医学界の重鎮に就いている。8月15日のポツダム宣言受諾により日本が降伏すると同時に、この敷地の建物は本館を除いて全て爆破され、一部の医師はソ連軍に捉えられ尋問のためソ連軍の捕虜収容所に監禁されたものの、残りの殆どの医師たちは、あの混乱の中、既に周到な準備をしていたとしか言えないほど俊敏な撤退を成し遂げ、8月21日には全員門司港に帰国しているのだ。
なぜ、そんなことが出来たのだろうか?そして、731部隊の存在が、未だにでっち上げだとか言われるほど、これほど秘密のベールに包まれているのは何故だろうか? そうした俊敏な動きや、その後の情報隠匿、関係者の身辺警護まで含めた一連の活動が、既に力尽きた日本政府や日本陸軍の出来るワザとは到底思えない。つまりは、連合国の中で、日本を占領する実質アメリカのGHQが、将来冷戦の敵国となるソ連や、5年後に朝鮮半島で肉弾戦を行う中国に対して731部隊が得た知見を絶対に渡したくなかったからだと思われる。
第二次世界大戦勃発のずっと前から、現在に至るまで、化学兵器や細菌兵器は国際法上禁止されているにも関わらず、常に各国の軍事研究の対象だった。当然、アメリカは日本軍が、このソ連国境近くのハルビンで生物化学兵器の研究活動を行っていることは知っていたにちがいない。だからこそ、全力で、その研究員達を、ソ連や中国から保護し、いち早く日本に帰還させたのだろう。もちろん、極東軍事裁判において彼らを免責する代わりに、彼らから研究活動成果の全てを取得し、また一切口外することを禁じたのであろう。だから、戦後に生まれた私が、731部隊に関して正規に何も教育されていないのも、また何も知らないのも、決して不思議なことではない。
しかし、あまりに突然に急遽帰国したために、731部隊の研究施設の破壊は全く不完全だったようだ。本館は、全て当時のまま残されているばかりか、実験棟が施設の地下にあったため、爆発で破壊された上部の建物の瓦礫の下に、あらゆる実験器具や資料が当時の姿を留めたまま埋設されていたのであった。この資料館は、殆ど無傷で残された本館の建物の中に瓦礫の中らから掘り起こされた当時の実験を想起させる莫大な資料が展示されることで構成されている。まさに圧倒されるほどの量の展示物である。
こうした資料が、果たして、本当に、この敷地の地下から出てきたものなのか? あるいは、この資料に貼付されている説明資料が、正確に事実を語っているものか? 多分、いろいろな議論が、今なお、この資料館についても存在するのかも知れない。ここでも、私は、その議論には与したくはない。やはり、この731部隊の存在に関心のある方は、このハルビンの資料館に実際に来て、ご自身の目で、これらの展示物が真実のものなのか、でっちあげのものなのかを確認されるしかないだろう。
さて、この資料館を見て、私が真っ先に想起したのは「オウムの地下鉄サリン事件」だった。彼らは、東京都心の地下鉄で行う前に松本で事前に人体実験をしている。731部隊が撤退してから、未だ、たった50年しか経っていない。化学兵器、細菌兵器、そして核兵器も含めて非戦闘員の大量虐殺を行う兵器の開発の歴史は、未だに終わってはいない。人類が、もっと賢くなるためには、やはり何人も過去の歴史から目を背けてはならないと思う。