日本の輸出を担ってきた自動車とエレクトロニクス、とりわけTVを 主力製品とするエレクトロニクス業界が大変な苦境に陥っている。 一方、三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅といった 日本の総合商社は、今、まさに我が世の春を謳歌するがごとく巨額の 利益を生み出している。厳しいグローバル競争の中で、こうした総合 商社復権の秘密は、一体どこにあるのだろうかを考えてみたい。
さて、この総合商社という業態は日本だけのもので、欧米を初めアジ ア諸国にも見当たらない。しかし、この日本特有の業態である総合商 社こそが、戦後日本の目覚ましい経済発展を支えてきた。これを見た 欧米の企業家達が、この日本の総合商社を真似て起業したが、 いずれも失敗して撤退していった。そうしているうちに1960年代に入り、 日本が本格的な高度成長期に入ると、実力を付けた大手製造業の連中 は、これまで海外への輸出取引を仲介してもらっていた総合商社を 頼らずに自身で行うようになった。即ち、商社斜陽論が台頭してくる。
さて、1970年代に入り、湾岸戦争の勃発で起きたオイルショック時代 では、商社の買占め批判が起きて、社会の商社への風当たりは強くな るなかで、いよいよ日本経済は高度成長の終焉を迎えることになる。 1980年代に入っては円高、土地の高騰から生じたバブル経済となり、 これも商社には何の利益ももたらさず、商社冬の時代と言われるよう になった。
1990年に入ると、そのバブルでさえも崩壊、世の中は、どんどん不景 気が拡大するなかで、効率化を目指した各企業は、仲介業務そのもの が無駄として排除するようになり、『 Middlemen will die 』とまで 言われるようになる。加えて、冒頭に述べた、総合商社という業態が 日本以外では存在しないため、もともと世の中には必要のない存在で はなかったのでは?という『総合商社の存在懐疑論』まで出てくるよ うになる。
例えば、総合商社の業界No1である三菱商事の場合に、その傘下に ある海外子会社約600社のTOPは8割以上が現地人であるのに対して、 三菱商事本体には、海外支店も含めてExecutiveには、殆ど外国人が 居ないのだと言う。その理由は連結子会社は、それぞれ業態がきちん と定義付けられるのに対して、親会社である総合商社を定義するもの が存在しない。一般に外国人に対して雇用契約の中で、会社の業務を きちんと定義付けて説明する必要があるのだが、総合商社はそれが出 来ないからだという。
だから、商社から日本政府に対する最大の要望は『商社法』なるもの を定めて「定款をきちんと決めないと商社とは認めない」と言うよう な法律は絶対に作らないで欲しいということだ。それだけ、日本の総 合商社は時代時代の変化に応じて業態を変化させてきた。さらに、彼らは 市場や顧客の要請に応じて、今でも業態を変化させ続けている。今の、日本 の総合商社の最大の強みは、自らの業態を厳密には定義しないで、日 々変化させられる力、その能力が、この不確実性の時代にあって、毎年数 千億円にも及ぶ純利益を稼ぎ出す力の源泉になったのだと言う。
さて総合商社は、どうして、そんなに利益を稼げるのだろうか?もう少し、 掘り下げてみよう。その秘密は原料(川上)から商品(川下)までの サプライチェーン(バリューチェーン)の全てに関わるからだと言う。 石油の例で言えば油田の採掘からガソリンの小売りまで全てのチェー ンに関わると言うことである。それはコングロマリットではないかと 指摘があるが、それが違うのだと言う。つまり、このバリューチェーンの 全てに何らかの形で関わるのだが、顧客企業の強いところには弱い関 わり、顧客が弱い所で強い関わり、つまり自らのリスクを取ってコミ ットを行ってまで顧客を助けるのだという。
そして、この顧客企業との関わり方は、従来の商社の機能である仲介 取引だけでなく、金融支援、自らの責任による投資、物流、さらに 情報提供まで含む幅広い支援である。とりわけサプライチェーンの最 終段階である小売りには必ず何らかの関わりを持つことにしていると 言う。それは、小売りに関わって初めて市場を詳細に知ることになる からだと言う。市場(川下)を知らないで原料(川上)の開発は絶対 に出来ない。市場の変化を素早く汲み取っているからこそ、次の時代 の原料の開発に巨額の投資を行うことが出来る。
今の総合商社の業態を、敢えて他の業態と比較するならば、例えば、 コンサルファームは顧客から直接具体的なニーズを受けて、その専門 機能を用いて知識とノウハウを提供するが、それは一回限りのコンサル テーションであり、最終結果に対するリスクは取らない。投資ファンド は自らの投資基準に合う案件を見つけると買収し、その知識とノウハウ を用いて事業再建を行い短期的なリスクは取るが、企業価値が上がると さっさと売却して利益を得る。それに対して、総合商社は顧客や業界 の暗黙のニーズを発掘して知識とノウハウを用いて顧客企業へ金融面 でのリスクを取って自らコミットを行うなかで、成功報酬として取引 手数料や配当の受け取りで長期的な利益を得ていく業態と言える。
実は、総合商社は間接比率が非常に大きい会社で間接部門費用だけで 30%近くに及ぶ。普通の会社なら大幅なリストラが必要な間接比率 である。しかし、総合商社では巨額の投資案件を緻密に精査するため には、それだけの間接要員は絶対に必要なのである。そして、各社員 は高給取りであると同時にプロフェッショナルである。チームとして ではなく個人として巨額の投資案件にコミットして責任も取る。だか ら、どの投資案件も最終的には高率のリターンを生むの で間接比率が高いことが総合商社のデメリットにはなっていない。
確かに、カメレオンのように業態を器用に変えていく日本の総合商社 とは世界が真似できない素晴らしい仕組みを持つ業態ではあるが、も ちろん運が良かったということもある。日本の総合商社が利益を急速 に伸ばしたのは2004年からである。一体、その年から世界では何が起 きたかである。
第二次世界大戦後、世界経済の平均成長率は年率3%で何十年も続い て来た。ところが、2004年のアテネオリンピックを終え、次の北京 オリンピックに向けてブラジル、中国、ロシア、インドと言ったBRICs の目覚ましい台頭が始まり、世界経済の平均成長率は突然年率5%に まで上昇したのだった。これまで、年成長率3%に整合してきた世界 の資源(エネルギーや鉱物、食料)の供給体制が変調をきたしたのだ。 需要が急速に膨張しても供給が追い付かない。まず最初に起こるのは 資源価格の高騰である。
次に世界が望んだのが資源を安定的に確保し、物流、販売まで責任を とり、そしてコミットできる業態を持つ総合商社の存在だったのだ。 日本の総合商社は時代の要請に素早く適合できるカメレオン能力を、 商社不要論まで唱えられた、永く続いた不幸な冬の時代に着々と蓄 えていたのだった。
やはり、真の『成功者』とは常に変化し続けられる 適応能力とバリューチェーンの上流と下流にまで密着できる現場力と、 自らが巨額のリスクを取る責任力があって初めて成れるものなのか も知れない。これはコンサルファームでもある当社にとっても全く 耳の痛い話ばっかりである。