この「地域起点で日本再生」は、私が今月、青森、仙台、福島の各地で講演を してきたテーマである。別に、地方の方々向けに受けようと、わざわざ作ったテーマでも 何でもない。本気で、そのように思っている。その本気が伝わっているからこそ、 聴衆の方々も真剣に聴いて下さっているに違いない。今日は、これから福島(郡山)に向かう 前に、なぜ、私が、そう思うかについて少し語ってみたい。
一つは、これから日本は大企業の力だけによって再生することは難しいように 思っている。経団連の産業政策部会長をさせて頂き、日本を代表する大企業の 方々の戦略を聞かせて頂いて、さらに、その思いを強くしている。実際、今の 日本の企業は金余り状態にある。メディアでは、困っている企業の話は、頻繁 に報道されるが、儲かっている会社の話はあまり出ない。儲かっている人たちは ダンマリを決め込んでいるからだ。
日本の企業の余剰流動性預金は何と200兆円もあると言われている。そして、その なかで、いわゆる大企業の余剰現金は30%の60兆円しかない。残りの140兆円は、 中堅、中小の企業群が保有している。ただ、これは反面、大きな問題でもある。つまり 大企業は積極的に成長市場である海外に投資しているので、余剰資金を沢山持ってい ない。一方、中堅、中小企業は余剰資金の投資先を見つけられないのだ。海外は 、ちょっと怖くて出ていけない。確かに、大企業でさえ手を焼いている新興国市 場など下手に出ていこうものなら大やけどをする。しかし、投資余力と言う意味では 中堅、中小企業の方が遥かに高い可能性を持っている。
そして、これまで日本を支えてきた巨大エレクトロニクス企業の困窮は目を覆う ばかりである。省電力を謳うエコ製品の振興政策により、需要の先取りをした反 動とは言え、不調なのは国内市場だけではない。DRAM、液晶、TVという 従来、日本が得意としてきた安くて品質の良い製品を大量生産するという産業 領域では、韓国、台湾、中国との戦いで勝算を見出すことは困難のように見える。 日本を代表する消費者向けエレクトロニクス企業であった、パナソニック、SONY、 東芝、日立、シャープといった企業は、世界レベルでも巨大企業であった。これ だけの巨大企業が日本に集中していたというだけでも本当はミステリーだった。
ところが、中国やインドなど人口が巨大な新興国の中間層が伸長してくると、 「巨大企業」規模の定義が変化した。中国山東省の青島で見た、ハイアールの 工場の巨大さは驚くばかりである。とにかく地平線の彼方まで工場の敷地が 続いていると思えるほど巨大である。冷蔵庫の生産でも、年間数千万台を出荷 するという。1日10万台以上製造する勘定になる。こうなると、日本の大企業も もはや「大企業」ではない、「中小企業」である。その上、デジタル革命は、製品の品質 バラつきを極端になくしてしまった。要は、誰が設計しても、誰が組み立てても 同じような品質のものが大量に出来てしまう。
一方、欧州経済危機の中で一人勝ちのドイツはGDP当たりの輸出比率は50% 近くあり、日本の3倍以上であるが、このドイツ経済を支えている輸出企業の 大半は中堅、中小企業である。彼らは、最先端のR&Dには投資しない、身の丈に あったR&D投資しかしない。そして、狙う市場は、台湾や韓国が目もくれない ニッチな市場である。しかし、世界シェアは60%以上、だから利益率も極めて 高く50%の利益率など普通である。つまり、東アジアの国々と血眼になって レッドオーシャン市場で戦うという無駄なことをやめたのだ。
イタリアも同様である。イタリアは先進国のなかで日本に対して貿易黒字を誇る 数少ない国である。彼らは、さすがローマ帝国の末裔、「大量生産」そのものを 馬鹿にしているのだ。そんなことは、帝国の末裔がする仕事ではないと言う。 そして、イタリアの各都市はローマを経由しないで、世界市場に直結したビジネス を独自に行っている。イタリア人はローマにある政府など眼中にない。7%の利率 に近づいたイタリア国債を心配している人がいるが、そんな心配は無用である。 イタリアの地下経済は統計に出ている、つまり納税対象になっている地上経済の 2倍の規模を誇っている。だから、イタリア人にしてみれば、誰が首相になって も全く関係ない。
日本だって同様である。各地域に素晴らしい臥龍企業が多数あることは、東日本大震災 の直後に世界のサプライチェーンが止まったことが既に証明している。こうした臥龍 企業は、何も東京なんて気にしないでイタリアのように世界市場で直接勝負すれ ば良い。ところが、例えば東北地方で優れた技術を持った臥龍企業は、大企業の 下請けとして薄利のビジネスを強いられてきた。いつも東京の大企業を向いているのだ。 これまでは、それで良かった。日本の大企業が世界で活躍するのを、ひたすら後追 いしていれば良かったからだ。ところが、その親方の大企業が躓いたら、臥龍企業 でさえ一たまりもない。だからこそ臥龍企業は、その高い技術力を武器にして 、自ら世界市場に打って出る時が来た。
もう一つ、私が懸念していることは、日本の成長を妨げている、数多くの規制で ある。これらの規制は、既得権者の利益を保全してきたのだろうが、その利益に しても国内市場の低迷で、従来のような旨みは既にない。だから、規制は一方的 に日本の成長を阻んでいるものと言える。一昨年、昨年と内閣府の規制改革制度 分科会に参加してみて分かったことは、霞が関の官僚は、それほど規制の保持に 拘っているわけではないということだ。日本には、大変便利な局長通達や課長通 達など超法規的とも思える規制緩和手段がある。これを使えば、法改正などしな くてもかなりの規制は事実上、無力化することが出来る。
ところがである。この規制で苦しんでいる業者が一番困っているのは、霞が関の 官僚ではなくて、規制の許認可権を持つ地方自治体の首長である。彼らは極めて 保守的で、霞が関が大丈夫だと言っても頑として譲らない。想像逞しくして 考えると、その規制除外を許したことを後世に批判されることを恐れているのか 、あるいは、特定業者と癒着していることを疑われるのが怖いのか、ということ なのかも知れない。でも、それで地域の発展が阻害されるのは余りにも勿体ない。
首長一人の判断に委ねることは難しいのであれば、地域の住民を巻き込んで協議会 でも作り、住民主体で規制緩和、構造改革を実行すべきである。国の借金が1000兆円 を超えそうな今、国にはもはや、お金がない。まさに日本の再生は、霞が関から地方 に降りてくるものではなくて、地域の首長が地域の再生のために、自らのリスクを とって規制を撤廃するために率先して働かなければ、地域の再生はあり得ない。ひいて は日本全体の再生もあり得ない。今後とも、そのことを日本各地で訴え続けていきたい。 来月は被災こそ免れたが事実無根の風評被害に苦しんでいる山形に行く。