2011年10月 のアーカイブ

83 電池のお勉強  (その3)

2011年10月11日 火曜日

先週金曜日に群馬県高崎市にあるFDKトワイセル社を訪問した。この会社は昨年1月に三洋電機グループのニッケル水素(NiMH)電池部門を担う三洋エナジートワイセル社をFDKが譲渡を受け、FDKトワイセル社と社名変更を行ったものである。「トワイセル」の名前の由来は、三洋電機と東芝電池の「2社」のニッケル水素(NiMH)電池部門が合併して出来たことによるらしい。そして、このFDKトワイセル社は、三洋電機のコンシューマ向け充電型乾電池「Eneloop」の開発・製造を担う、ニッケル水素(NiMH)電池の分野では、今や、日本を代表するというより「世界を代表するNiMH電池の会社」となった。

私も、パソコン、携帯電話事業に深く関わってきたので、一応、電池のことは少しは知っているつもりだった。しかし、この高崎のFDKトワイセルで、多くの知らないことを学ぶことが出来た。やはり、少々知っているつもりというのは、全く知らないよりも性質が悪い。例えば、パソコンも最初は二次電池としてNiMH電池を使っていた。しかし、ノートブックPCが主流となり、携帯性が重視されるようになると、NiMH電池に比べて、単位体積・単位重量あたりの蓄電容量が圧倒的に大きいLiイオン電池に急速に置き換わっていった。当然、今を時めく携帯電話など最初からLiイオン電池である。

そういう意味で、NiMH電池は旧世代の電池で、いずれLiイオン電池に置き換わっていくのだろうと考えていた。例えば、我が家にあるプリウスやハリアーハイブリッドなど現行のトヨタのハイブリッド車は、全てNiMH電池を搭載している。しかし、次のプラグインタイプのプリウスは、日産のリーフと同様にLiイオン電池に変更されると聞いている。車も容積や重量を考えると、コストの問題はあるが、 NiMH電池よりLiイオン電池の方が利点が多いからだ。そう考えると、今後のNiMH電池の活用の仕方は、一体どうなるのだろうか?と思っていたわけである。

ところが、例えば、3.11大震災以降、世の中は大きく変わったと言える。どう変わったかと言えば、皆が、「最新テクノロジーは災害時には脆弱だ!」ということを知ったからだ。これから家を建てる人は、まさか「オール電化」の家は建てないだろう。冬を迎えてホームセンターでは反射型石油ストーブが飛ぶように売れている。ファンヒーターは電気を使うから駄目なのだ。プロパンガスの家は、これまで肩身が狭かったが、今後は都心の瀟洒な住宅は地下にプロパンガスの貯蔵所を持ち、自家発電装置まで持つことがセレブとしての誇りなのだと、先日の国際環境会議でレモンガスの社長さんが言っていた。

さて、最新テクノロジーであるLiイオン電池の何が問題か?と言えば、とんでもない危険物だということである。私が、パソコン事業の責任者だった時に、品質部門が意図的にパソコンのLiイオン電池を燃やしたことがある。物凄く、良く燃える。そして、どんな消火手段を使っても絶対に消えない。燃焼物が燃え尽きるまで、ただじっと見ているしか手立てがないのだ。でも、Liイオン電池の危険性は、実は、皆が知っていることでもある。それでも、ノートPCや携帯電話の使い勝手を考えたら、少々のリスクより利便性を選択するのである。もちろん、パソコンや携帯電話に内蔵されているLiイオン電池には何重にも防爆の仕掛けが施されているので、そう必要以上に不安になる必要もない。ある時に、私が「車に大容量のLiイオン電池を搭載するのは危険じゃあないのですか?」と聞いたら、「お前は何を言っているのだ!」と怒られた。「今のガソリンタンクの方が、Liイオン電池より遥かに危険だ!」と言う。それは確かにそうだ。

一方、NiMH電池の材料には燃えるものが一切ない。そして環境負荷物質も全くないクリーンな素材で出来た電池である。現在、子供の玩具用電池として、充電型の二次電池の使用は認められていないが、このたびFDKトワイセルが開発したヒューズ付「Eneloop」は米国玩具協会からも安全な二次電池として認定されたそうだ。任天堂のWiiなども、玩具としての安全基準から一次電池を使っているが、夢中で遊んでいるうちに、すぐに乾電池がなくなるという欠点がある。そして、通常の乾電池などの一次電池は環境負荷物質を多量に含んでいるために環境上も良くない。そういう意味で、 NiMH電池は安全上、環境上も優れた、唯一の二次電池と言える。

さらに、今回の3.11大震災は、停電が、現代社会に、いかに大きな恐怖をもたらすかを教えてくれた。本来、電池は、そうした、いざという時の頼りである。今回の大震災で、電池関連では、一番社会に対する影響が大きかったのは、携帯キャリアの基地局だった。各社とも、世界最高品質の日本の電力が、それほど長い間停電になるとは夢にも思っていなかったのだ。せいぜい、数時間も持ち堪えられれば良いと思っていたに違いない。その結果、携帯キャリア各社は基地局の充電バッテリーの拡充に向けて本格的に動き出した。

ここで一番重要なのは、やはり安全性である。災害時に役に立つはずの電池が二次災害を起こしたら、どうにもならないわけだ。付近に火災が起きても絶対に二次災害を引き起こしてはならない。そこで、Liイオン電池に代わってNiMH電池が、再び脚光を浴びてくるというわけだ。そして、FDKトワイセルの NiMH電池は、高温、低温といった逆境にも非常に強い。マイナス20度でも放電特性が落ちないので、軍隊・警察・消防などで用いるトランシーバーなど非常用通信装置の電源には最適である。もともと電池は非常時にこそ、必要なもの。非常時だからこそ過酷な環境条件に耐えなければならない。

世の中は、二次電池と言えば、やはり本命は「Liイオン電池」である。電池各社は、このLiイオン電池のシェア争いで凌ぎを削っている。いまや、中国メーカーも巻き込んだ過激な価格競争では、部材価格も出ないという、まさにレッド・オーシャン市場である。かつてのDRAMを思い起こす。赤字だろうが、何だろうが、韓国、台湾、そして今度は中国も加わって、生き残りのサバイバル競争が始まっている。もちろん、この価格競争の結果、電気自動車の普及が加速することは間違いない。 そんな中で、FDKトワイセルが地道にNiMH電池の開発に注力すれば、きっとブルーオーシャン市場の雄になるに違いない。

ニッチ市場こそ、生き残る可能性が高い。しかも世界市場を制覇したグローバル・ニッチになれば最高だ。人類の未来に向けて、環境に優しく安全な二次電池は絶対必要である。最先端の技術ばかりが人類を救う道ではない。今度の福島第一原発の事故がそれを教えてくれた。

82 官民共働による公共サービス

2011年10月4日 火曜日

国も地方も莫大な借金を抱える中で、現政権が地域主権を声高に叫ぶ背景には国から地域に回す原資が最早十分にはないので、「地域は地域で勝手にやってくれ!」というなげやりのニュアンスが垣間見える。国の財政難も深刻だが、国の支援が断ち切られた時の、地方自治体の苦悩は想像を絶するものがある。そして、国が地方自治体への交付金を満足に出せない状況は、そう遠くない未来に、確実にやってくる。

本日、福岡県大野城市の見城俊昭部長が講演された「官民共働による新しい公共サービス」を聴かせて頂き、そうした地方の苦悩に対しての処方箋の一部を見せて頂いた感じがした。東京から遠く離れた福岡県の地方都市で、このような優れた思想で公共サービスを行っている自治体があったのかと久々に感動してしまった。一緒に見城さんの講演を聞いていた、私の秘書も、「こんな素晴らしい話を聞いたら、日記に書かないわけにはいきませんよね!」と言う。そう、秘書の言う通りで、書かないわけにはいかないのだ。

大野城市は福岡市のベッドタウンで、天神まで15分の通勤時間という地の利もある。人口は、96,000人だが、市役所の職員は366人しかいない。市の予算は310億円規模で、黒字決算の健全財政を誇る。この健全財政の秘密は、徹底した民間委託と住民の意思決定によるコミュニティ運営にある。こうした官民連携の共働システムを導入してから、既に三代の市長を経ているが、こうした仕組みを市民が責任を持って、主体的に運営しているので、市長の恣意的な考えで一方的に変えることは不可能なのだ。そして、見城さんの話を聞いていると、市議会議員の影が全く見えていない。多分、市議会議員は、コミュニティで決定された市民の要望を追認する形で条例を決議し、予算を承認しているに違いない。まさに、この大野城市は直接民主主義の先駆けなのかも知れない。

そして見城さんによれば、地方自治体は、体制的にも予算的にも、もはや住民が要望している公共サービスを行う能力に及ばないというのだ。そこを穴埋めするのは、地域に暮らす市民であり、地域で活動する企業の協力しかないと言うのである。住民は、もはや、市役所に対して不平不満をぶつけるだけでは済まなくて、限られた市の予算と体制で中で、公助、共助、自助を含めて、どうすることが一番良い方策かを自ら考えて、市に提案する義務があると言うわけだ。そのコミュニティで決められた方策が、予算的にも、道義的にも妥当だとすれば、それは市会議員も市長も、市の職員も従わざるを得ない。

そうした大野城市の市政の重要な構成要素であるコミュニティは、4つの中規模コミュニテイと、その傘下にある26の小規模コミュニティ(自治会)からなっている。見城さんによれば、大野城市の自治会は、固定経費吸収の観点から、最低1000所帯以上の規模を持たせているのだという。中規模コミュニティには学校レベルの建物を整備し、小規模コミュニティには公民館と老人憩いの家を、それぞれ持たせている。そして、その建設費には国の社会教育費補助金は一切使っていないのだという。理由は、その補助金を貰うと、その建物内で収益事業が出来なくなるからだ。

大野城市は、こうしたコミュニティセンターの建設費を負担しているが、水道光熱費や管理職員給与などを含む運営費用は全てコミュニティの負担である。つまり、コミュニティは、自身が持つコミュニティセンターの経営者なのだ。ここを使って、学習塾に貸すも良し、茶道教室を開くもよし、あらゆる収益事業を運営して費用を賄っている。コミュニティセンターで催されるものは、少ない金額ではあるが受益者による自己負担となる。なぜなら、自治体は、こうした市民サービスを無料で行う財政余力を既に持っていないからである。

NPOによる民間委託の例を2つ説明して頂いた。一つは、40年前、高台に建設された大規模団地の高齢者向けサービスである。40年前は、30代から40代で福岡市まで毎日通う健脚の壮年だった住民は、高台までの道を歩いて上り下りするのは何の苦労もなかったのだ。しかし、70代から80代になった高齢者は、麓のバス停までの往復の道を、もはや歩いてはいけないのだ。そこで、市は10人乗りの小型バスを提供した。その運営は市民ボランティアが有償で行っている。運行ルートも時間割もバス停も全てコミュニティが決めている。その結果、現在は、この高台の団地の高齢者達を隣の町の大型ショッピングセンターまで買い物に連れて行き、隣の市の病院まで診療に連れていく。もし、このバスを市が管理・運営していたら、住民の希望とは裏腹に市内にある個人商店街や、市内にある個人病院までしか運べなかっただろうという。

そして、もう一つは同じく高齢者向け買い物難民救済サービスである。九州イオンがインターネット経由で宅配サービスを始めたが、高齢者はインターネットで注文など出来ない。それで、NPO法人が高齢者から電話で注文を受けてインターネットで九州イオンに代行注文をする。これも市はNPO法人にシステムの初期費用だけ出したが、運営費用はNPOが高齢者から1件50円づつ手数料を取っていることで成り立たせている。つまり、ここでもサービスは有料なのだ。これも、運営まで市が関わっていたら、「なぜ、市がイオンの味方をするのだ」と地元の商店街からクレームが来ただろうという。

さて、これら大野城市のコミュニティセンターは市役所の窓口業務も行っている。サービス提供時間も、平日昼間だけでなく、夜間や休日もサービスを行っている。そして、その仕掛けも民間委託である。コミュニティーの管理職員に委託しているのだ。なぜ、そういうことが出来るかと言えば、大野城市では、窓口業務を3段階に分けた。受付と入力と審査・照合である。このうちで、官公権で処理する必要があるのは審査・照合だけだと整理した。従って、受付と入力は市民が来るコミュニティセンターで行い、審査・照合はITで結ばれた市役所というバックオフィスで処理を行うのだ。素晴らしいIT活用である。見城さんによれば、この考え方をとれば大野城市で北海道の夕張市の窓口業務(バックオフィス)だって出来ると言う。

さて、他の自治体から聴講に来られた方から、講演の後で、見城さんに質問が出た。「窓口業務で受付と入力だけとはいえ、市民の個人情報を民間人が見ることになるのだが、そこは問題ないか?」という質問である。見城さんは、「個人情報保護という問題に関して公務員と民間人で差があるとは思えない。むしろ民間人が個人情報の漏えいを行えば懲戒免職であり、受託企業は契約破棄の罰を受ける。しかし、公務員が漏えいしても、現行法では、せいぜい停職レベルで懲戒免職にはならない。そう考えると、民間人の方が個人情報保護に対しては、むしろ信頼できると言えるかも知れない。」と結んだ。そして、随所に仰っていたことは、「こうした自治体の改革に対して、国は法制度上も、監督上も、応援する心強い味方というよりは、敵対する側に回っている」ことであった。

国は、もはや出すお金がないのなら、改革する自治体に対して文句を言うなということだろう。そして、見城さんは、これからの地域主権時代における公共サービスのありかたは、コミュニティセンターを「自助」、「共助」、「公助」からなる新しい役場に転換することであり、行政の役割は、そのコミュニティセンターを「管理」することではなくて「経営」することだと結んでいる。